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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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ダイエットブーム到来

ダイエットブームが到来した。主に家人に。私も体調不良も重なって居ることでもあるし、三十路を過ぎてすっかり贅肉の塊になった自分を久しぶりに叩いて(鍛えて)みようかというような気持ちになった。子供の頃は普通体型であった。それが、小学校、中学校とかなりの肥満状態が続き、高校入学後に幾つかの事情で、強制的なダイエットを迎えることになった。

その原因の一つに、靭帯断裂による入院が挙げられる。長閑な入院生活。今であれば、情報デバイスもあり、多くの時間を楽しめると思うのだが、当時はそんなことは出来なかったので、テレビを観るぐらいしか楽しみがなかったのだが、残念なことに、その病院では二人部屋に入院していたにも関わらず、テレビは有料であった。

その金銭を母親はくれたが、それをムダにすることも出来まいと思って、昼の時間と夕方の時間と夜の時間と大体2時間程度の時間をテレビを観ることにし、残りの時間は活字を読むことに費やした。本を読むことは悪いことではないという考えが、私の家族にはあるようで、本を読んでいることに対して、とやかく言われた覚えが無い。むしろ、それは賞賛されるべき行為とされていた(今もその傾向は有るし、私のその傾向を引き継いでいると言って良い)。

その頃に読んだ本は割りとよく覚えていて、長編の歴史物から、その当時のデビュー作家から、評判になっていたエッセイまでどちらかと言えば、横断的に読んだように思う。今は一冊読むとその作家の著作を読み進む縦断的な読書を行うことが多いように思うので、今よりは切り替えが巧かったのかもしれないし、あるいは、本の内容に入るのが早かったということかも知れぬ。例えば、ある作家のエッセイに別の作家の著作を紹介されていたとすれば、その紹介されていた本を読んでみるというような読書をした。

入院していた病院は実家からそれほど離れていない整形外科であったが、そこそこに名前のある病院であったらしく、手術した医師もまた、名のある人であったそうで、予後もよろしく、格別の問題はなかったが、設備面と食事面は全く期待できないというようなことだったが、足を怪我しているということでもあって、自分で何処かまで出掛けるにも一苦労であるので、余計な食事は取らない。そして、管理された食事が定時に出される。ダイエットの初歩の初歩と言って良い生活を送ることで、急激な減量をした。

退院後にも、その食生活や生活習慣が取れなかったせいか、急激に減量をすることになった。その後、社会人となり、体を壊したり、わりあいと厳しい生活を送っていく中で、痩せたというか、やつれたのだが、実家に帰り、更に、家人と世帯を持ったことによった安定したものか、そこそこに膨らんでしまった自分がいて、そろそろ、改めようかと思っていた所に、家人がダイエットを開始したので、相乗りしょうかという塩梅である。

私はついでなので、好物でもある豆腐を多めに食べる生活を行ってみようということで、主に豆腐を食べている。それ以外を一切口にしないということではないが、とりあえず、豆腐主体とした。

元々、豆腐類が好物であって、私にとっては、焼いた厚揚げ、おでんの厚揚げなど大御馳走であって、それが出ていれば文句を言うわけでもない。安いことだと思わないでもないが、そういうことになった。飽きるまで試してみることにしよう。それで、体が健康になれば何よりのことではある。

せっかくなので、昼食も試してみようということを思いつき、家人がお弁当を作る手間も省けることでもあるので、会社でも食べられるようなメニューということで、豆腐茶漬けにハマっている。豆腐をレンチンして、御茶漬海苔を掛けて、お茶を掛けただけ。誠に、簡単で料理と言えるようなものではないかも知れないが、存外と腹持ちも悪くないので、オススメしたい。コツとしてはお茶漬け海苔に醤油か、塩を少しだけ加えて、お茶を多めに掛けることである。お茶は日本茶でも烏龍茶でも良い。熱々を掛ければ良い。ネギでも散らせばご馳走風にもなる。

こうして、12月も半ばを迎え、2013年の暮れの合図がこのような流行になるとはつゆ知らず、今年もあと2週間ほどである。新たな年を迎える準備が始まっている。終わり良ければにならって、今年を締めくくり、良い年であったと振り返りたいし、また、来年が良い年になるための準備もして行きたいのである。

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片田舎の現場と中年の気持ち(以下略)

片田舎の現場と中年の気持ち

-かくも身勝手なオッサンに足を踏み入れた私の現場への未練のようなものを断ち切れない気持ちの根源は青臭いかも知れない理想論のような思い込みに影響されたようなやや気恥ずかしくも戯言のようなもの-

忍者ブログさんの仕様でタイトルが書けなかったので記事内に書いときました。いや、本当に長いタイトルって難しいですね(白目

<-- 以下、本文1-->

大いなるバトンが!こんな片田舎のオッサンの元に渡って来るのであります。バトンは海を渡り、九州へやってきました…!

この投稿は、DevLOVE Advent Calendar 2013 「現場」の17日目になります。16日目のよしむらーさんからバトンをいただきました。なんとか次にリレーを!というわけで、ここも「私の現場」ということになりますでしょうか。これまで読ませていただいたところで、皆さんの考えがよく分かる名文ばかり。私の駄文が目立って仕方ないんじゃないかと思ってガクブルしております。調子に乗って申し訳ないと先に謝る必要があるのでは無いかと思うほど、読み手の方には、それほどご縁の無いお話をさせていただく事になりそうです。

<--本文1終わり-->

<--以下駄文-->

というわけで、自己紹介。ふぃるめんて(@filemente)でございます。ほとんどの方が知らないことでありましょう。偶然、ブログを書く人を求めていた某トップバッターちゃちゃき(@chachaki)氏にコメントしたところが、大丈夫ですのでというところで、思い切ってみようかと思った次第。三倍頑張る(赤くなれるものならなりたいぐらい)予定ですが、駄文・乱文には平にご容赦下さいませ。

地方住みの上に、勉強会にほとんど出ない。何かにコミットするようなこともほぼ無い。九州は福岡の片田舎で割と狭い業種(web業界やIT業界には全く関係の無い業種です)の企業グループでシステム周りの面倒を見ている部署を統括しており、あとは、マイナー業界向けの半パッケージソフトの開発責任者でもあります。以前は、フリーランス半分、派遣半分というようなことで、色々な案件に関わる為に短期間で転居をしていました。現在、所属する企業の社則(会社の許可が無い場合に於いて、所属を明らかにした講演や情報発信の一切は許可を得ることというルールがあるので)にて、皆様のようにお名前は出せませんが、少なくとも、ここまでのブログをお書きの皆様のように華々しくも無ければ、聞けば誰でも解るような企業に居るわけでも無ければ、何かの勉強会に大きな貢献をしているわけでも無いわけです。

そんな私が、何故、今回の「現場」について手を上げたかというと、誰もが、在京の「聴けば解る」会社で開発をしているわけでも無ければ、何かの勉強会やコミュニティに参加しているわけでは無いですが、私にとっての現場はそんな場所にもありますということです。そして、私にとっての現場(現場人)とは何だろう?と若いころから茫洋と持っていた抽象的なイメージをしっかりと考えて、具体的なイメージや言葉として考えたいと思ったことがキッカケでした(特にそういう状況がダメだとか、嫌だとか、そういうことではなくて、世にある開発現場の10の内、7~8はそういう人々がそういった場所で作業しているのだし、それがほとんどの現場なのだという基本的な考えを持っています。良悪や好悪のことを言っているわけではありませし、それが現実であるということだと考えています)。では、少々お付き合い下さい。

現場とはプロとして責任を持って課題に向かう人々の集う場所(であってほしい)。

大小。様々な開発案件があります。それは大規模な開発案件もあるでしょうけど、小規模な開発案件から、以前から運用しているシステムの一部機能追加、機能変更など、様々な出来事があるわけです。どこかのビジネス系サイトから取材が来るような華々しい実績のある案件の方が数は圧倒的に少ないのではないかとも思います。実際には「こんなクソな条件で仕事持ってきやがって!」と営業に悪態をつきながら、開発や運用側の担当者が関わる時間の長短も有りながら、それぞれに「プロ」として責任を持って仕事をしているのが「現場」だと思うのです。それが例えば、一行の追加で終わるような作業であったとしても、仕様変更の内容として、それほど重要とは思えないことであっても、その作業で発生した変化が利用者にとっては重大なことかもしれないし、お客様にとっては、自分が把握しきれていない事象に関わっているかもしれず…。ただ、共通して言えることは、誰もがその理由は何にせよ。責任を持って、課題に向かっているというのが現場です。炎上している案件を抱えた火事現場(デスマ)であっても、責任を持って課題に向かっている人々が集まっている場所が現場であって、そのような責任の所在がハッキリしない場所は現場ではないと思っています。そういう場所は単なる作業場だろうと。

現場人とは有名無名。中央地方に関わらず。今いる現場で全力である人々のこと。

自分が思い切れない。やりたいことが出来ないという悩みを若手から聞くことが増えました(私も若手のつもりがいつの間にか最年長に近い方になってしまいました)。そして、有名無名、大小と様々な企業が集まる中央と比べて、地方のほうがこの悩みは顕著に現れるのだと思います(同業他社への転職にしても、自分が憧れるサービスを提供する会社にしても、それが身近な場所に本拠を構えていることが少ないからです。こればかりはどれだけ頑張っても地の利といえるかもしれません)。それらの原因を「状況」に求める人も少なくありません。つまり、「ここに居るから私はダメなのだ」というような発想です。しかし、その状況を変えるために、転職した結果、それが良化したというケースは稀有だというのが、複数の都市を移動しながら「現場」に入ってきた感想ではあります。状況を変えて、生き返る人の多くはどのような現場でも全力です。そして、そんな全力な人々をほっておくような現場はいつか淘汰されるし、全力な人々が盛り立てられて、新たなステージに向かうステップボードも、また、その新たなステージも現場が持っている魅力だと思うのです。

つまり、プロが集まり、責任を持って、全力で作業している場所が現場。技術者にとって、成長もチャンスも次へのステップも大事なことはみんな現場に転がっている(に違いないと信じたい)。

私も三十路半ばになり、アラフォーと相成りました。昔から都市伝説のように語られた「35歳定年説」を自らが迎えた時、なるほど、こういうことになるのか?とその都市伝説の端緒を見付けたような気がします。「あ、これは、管理職目指す人も居るよね?」と素直に受け取れました。当たり前に新陳代謝している会社だと自分よりも若い馬力のある人が増えます。そして、自分がメインでやってきた技術よりも新しい技術が増えてきます。それを頭に入れる作業が前よりも時間がかかるようです。年齢的に周りの若手が遠慮をするようにもなります。他の業種と比べて、自らを「老害」と認める時が近いでしょうし、若手から疎まれる時も早いのだろうと思います。職人技を発揮するチャンスは職人系の職業と比して、チャンスが少ないという事でもあると感じています(今のように余裕のあるリソースを使う時にそれでも必要以上に詰めていく作業は昔と比べたら求められていませんよね)。それでも、現場を離れたくない。そう思って、それを実現できるのは本当に一部のデキる人だけなんでしょう。

私も現場を離れて管理側へと割と早い段階で言われていました、自らの力不足も顕著だっただろうし、私自身の努力不足かも知れないし、あるいは、管理側に移った方がいいと廻りが判断したのかもしれないし…。色々な要素が噛み合って、そういう話が早い段階から出ていただろうということがあります。現状、以前と比べたら、本当にソースも書かずに、人と会うことやExcelで文書を作る(この事がそもそもクソな作業だと思うんですが)ことがメインの仕事になりつつあって、現場を離れることの寂しさを感じないでもありません。体力も集中力も加齢と共に落ちてきた自分を感じるけれど、それでも「自分の理想の現場に自分の理想の現場人として在りたい」し、少しでもそこに居たいという思いで、若手に「ダメっすよ」と怒られながらも、コミットし続けて居るところです(そろそろ管理者も譲った方がいいのかしらん)。こんな困ったオッサンを相手してくれるという意味では、周りに恵まれているなと思いながら、若いころから持っていたイメージを確実な言語化出来ないなら、なんとか体現をしたいと思うのでした。

<--駄文終わり-->

<--本文2開始-->

「理想を高く持っていて、しかし、情熱の「赤い炎と青い炎」の2つ(2つ以上かもしれない)を兼ね備えつつ、スッと座相を正し(猫背の人も多いですが)、雪の日も雨の日も風の日も、ただ黙々とキーボードに向かい、旨くないかもしれないコーヒーをすすりながら(日本茶や紅茶、あるいはコーラかも知れないし、ドクペやレッドブルやモンスターエナジーかも知れない)、ときには悪態をつき、ときには叱咤し、ときには激励されながら、顧客の要件定義に疑問符を感じ、新規オープンするサービスがいつまでもβが取れない状況であっても、仲間と呼べる同僚たちと一緒に誰かが怠惰になる為の「何か」を作り続けるそんな人に私はなりたい」


というわけで、誰もが何処かの現場で必要とされ、そして、そんな皆様の仕事が評価され、誰もにとっての理想に近づき、正当な評価を受けられることを願って、日本語編集用のエディタ(Terapad)を閉じます。

次の書き手はもとはしさん。寡聞にもというか、勉強会に顔を出さない私は存じあげなくて、お名前をググった所、色々な所にお名前が!どんなお話が聴けますことか愉しみにしております。

<--本文2終わり-->

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相方(合方)という言葉

相方という呼び方に違和感がある。というと、「何故?」と言われることも少なく無いが、こればかりは何とも説明しようのない感情がわき上がってくる。

相方とか、合方とか、まあ、書き方は良い。若い男女が「相方」という言葉を使う、その端緒が何処にあるかは解らぬ。けれども、彼氏彼女であるし、結婚すれば、夫妻であるわけで、その呼び方は立場で変わっていくとは思うけれども、その中に「相方」という呼び方は私の中では含まれないというだけなのかも知れない。それがしっくりと来る関係の存在を全否定するわけでは無い。長い年月や様々の出来事を経た結果、そのような関係になっている人の存在がある事は十分に解った上で、このような事を感じている。また、そのような関係を持っている人に十分な納得もする。そういう方をごく少数知っているが、そうで無い人々が会話で使う「相方」には本当に微妙な感情が沸く。

相方(合方)とは、本来は日本舞踊などの用語だったように記憶している。二人以上なら、準主役の人を合方といい、一人の場合は三味線奏者などが合方に相当する。つまり、一つの物事を作り上げていく中で、お互いが不可分な組み合わせであるということである。そのような関係を「出会ったばかり」で作り上げられるような事があるのなら、それは幸せな事だろうとは思うが、そんなことを言っているカップルの多くが短い時間にくっつきは離れて、相方を変えていく態を観ることが多い。それが悪いということではなくて、その事と、相方という言葉がそぐわないのではないか?ということである。

ちなみに、私は細君の敬称を家人として固定している。私の妻であって母ではないし、私は父としてよりも家人の夫として優先されるべきだと思っている。責務という言葉が合うかどうかは不明だが、子育てが全てに優先されるとも思って居ない(無責任に振る舞うという意味では無い)。物がわかるようになり、人として生きてけるようになったとき、子は個の部分を強くして、独立していくのだろうと考えるからに他ならない。夫婦は他人同士が一緒に好きこのんで住み暮らしている。子供は切っても切れない血縁である。当然どちらにも等分に心を砕くのだけれど、他人同士である以上、家人に心を砕く方が優先されるのは当たり前のことでは無いかと思うのだ。

このような事を書いていると「子育ての手を抜くのか!」とか、「子供最優先」とか、そういう輩が沸いてくるが、何もしなくても何でも子供優先になって行く世の中で、子供を優先する気持ちばかりが先に立って、夫婦がお互いの事を顧みないような事では、その家庭が上手く行くわけも無いと思っている。

このような事に考えが及ぶような頃合いであるが故に、余計に、「相方」なる言葉の遣い様が安直になっているのが、何ともむずむずとして痒い。

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歳(年)を重ねるということ。

自ら、何か喧伝するようなまねをするでも無いが、昨夜半からiPhoneの通知が鳴り、なるほど、誕生日であったなと気が付いてはいたことを再認識する。誕生日という自分自身の大変にプライベートな話に周囲の方々からの「おめでとうコール」を受けるというのは照れくさいような何やら嬉しいような。そんな気持ちにはなる。それは子供の頃とはまた違うものである。やもすれば、自分の歳が何歳だったか?を数え直す時もあるぐらい。ある程度の年齢を迎えたものにとって、年齢というのは特別な意味を為さない。

30半ばにもなれば、それが少々前後したところで、仕事の付き合いのある人々にとっては大差無いし、もし、その年齢差を語り、何かの原因にでもしようという動きがあるというなら、それはまた、別の話と言って良い。そのような人はそのような世界で生きていれば良いのであって、少なくとも、私の世界には馴染まないという気がするのだ。

長広舌は得意とするところでは無い。文字の上ではそれなりだが、実際はそんなに口が達者な方では無い。いや、昔は達者だったということを思い出せる。有るときに喋れなくなったというのが正しい。一つには少しばかり病んだ時の後遺症かも知れない。内弁慶、外弁慶という意味で言えば、昔は内弁慶だったが、今は圧倒的に外弁慶で有り、自宅でそれほど喋ることもない。家人と不仲であるとかそういうことでも無い。
ただ、喋ることが無いのだ。自分の中で。これはむしろ良い傾向なのでは無いかと思うのだ。私の中の様々は、私の中で解決されており、家人には迷惑を掛けずに済んでいるということでもある。思い悩むことが無いわけでも無いし、脳内から全てが消え去るわけでも無いが、自分の中に壁のようなものがあって、その壁は自らを律して、据えておかなくてはならない基準を据えているということでもある。

近頃は融通無碍な自分を見出せたような気がする。これは良い事だと感じる。頑固であるとは言われるし、その事を認めるのにやぶさかではないが、私の頑固さは昔と比べて、随分と大人しくなったように思う。20代は今よりも狷介で、人に話せないような薄暗い人間だったし、それより前は狷介では無かったが、声を大にして、前に進むようなタイプであり、今観れば、微笑ましさも沸くだろうが、同窓にとっては単なる迷惑なトラブルメイカーだったに違いない。それらを経て、今の自分が居るということには一時期の茫洋とした、もう薄れゆく記憶の中にも残っている。今の自分を好いているということではない。ただ、それは仕方の無いことで、自分で意識して変えていくより他ないのである。

「これより他に道は無し」と心に決めた道筋が絞られたわけでも無いし、何か職人の修行をしているわけでも無い。思う様、自分のことを変えてみる。これぐらいのことは出来るだろう。それぐらいの時間も自分には残っていると信じたい。

多くの祝辞に感謝を。ありがとうございます。自らの誕生日で歳を重ねたことと同様に思うのは、「そういえば、今年はあと幾日も無い」ということに他ならず、暮れていく今年について思いを馳せつつ、「終わりよければ全て良し」の言葉を守れるかどうか?が、一つ身近な目標に加わるのである。

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物事の機微

9月が終わり、10月となった。早いモノだ。9月の台風が幾つか通り過ぎた辺りから、何やら、秋の色が濃くなり、気温も下がったように思える。まだまだ、暑い日もあるが、朝夕の涼しさはそれなりに秋だなあと感じる。私がどちらかと言えば好きな季節。秋から冬が近づいてきたといってよい。私自身、10月の産まれ。この月に一段落するわけである。なるほど、やはり、生まれ月に体調が良いというのはそういう記憶があるのかも知れずとは毎年思う次第である(毎年、枕のようにこの感慨にふけっている)。

娘の成長と日々の仕事に邁進していると書けば聞こえが良いが、次々と残念なお知らせは入るし、祖父母の体調もそれほど整わない感じで、何とも閉塞感は漂っていると言って良いのかも知れない。

私は良くこういう言い方をする「心を折る」という。「心を折る」というのは「挫折する」ということではなくて、自分の力配分をシフトするということで、突っ張ってばかりではダメだということである。年齢を重ねるごとに、自分の立ち位置が変わり、自分の力配分も変えていかなくてはならないし、私のように再びの妻帯し、家族を持つということであれば、その為に腐心する事も少なく無い。

観ていて、もう少し、丸みが出た方が良いなあと思う人は居る。加齢で多少の丸みが出る人のほうが数が多い。それは加齢と共に新陳代謝の速度が落ちることで、基礎代謝なるものが落ちるので、同じ食べ物を食べて、同じカロリーをとっても、消費しきれないから増えるのである。理屈は解っている。しかし、その理屈を解っているからといって、自分の好きなものを我慢するとか、酒を控えるとか、自分自身をギリギリの線まで追い詰めるようなことは、そう簡単にできるものではない。人は易きに流れる生き物であるし、若い頃よりは少しばかり、理由と言い訳も増える。まあ、それは良い。体型の話ではない。心持ちの話であるし、人当たりの話である。その時の丸みは必要不可欠と言って良い。そのような丸み無くして、人としての熟成は無いと感ずる。永遠の少年と言われれば聞こえは良いが、それは単なる、ワガママを繰り返す莫迦者なのではないかと思うのである。押し引きの加減を身につける事で出来ることの幅も増えるという次第である。押して押して押しまくるスタイルを否定するわけではない、押し引きの加減を十分に身につけた人々の物事の運びは気がつけば、自分も巻き込まれ、一所懸命にそのことに邁進しているといった事で、どちらにも悪いようにはならない。言うなれば、それは物事の機微を理解しているということに他ならない。

仕事も、恋愛も、家庭も、すべては「機微」で決まっていると言って良い。そのような機微を身につけられなければ、人は何時まで経っても成長も成熟もない。熟れてゆかぬ果物に価値がないように、熟れてゆかぬ人にも価値はないと思うのである。私もそろそろ熟れなければならぬ。そのようなことを感じるのである。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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