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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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夫婦の貌と家族の貌

貌とは、かたちと読む。形でも、型でもない。カタチとも書きたくなかった。貌と書きたかったのである。私も現状のステータスとして、独身ではないので、経験者としてでなく、現在、そうである者として考えることを得た。

http://anond.hatelabo.jp/20120721222138

のことである。一部で話題になっていたように思われた。ここで問題になっている事の根源は、この夫婦のバランスが悪いということがあるのではないか。自分が興味が無いことに対して、時間を割いている夫に対しての苛立ちが書かれている。

私もこのご主人と同じように多くのSNSに時間を割いている方だと思う。一日中、それだけを眺めている訳でもないし、それだけで完結する職に就いている訳でもない。しかし、そこにはコミュニティがあり、関係性があり、多くの示唆に富んだ発言があり。自分自身の困り事を助けてもらったのも一度や二度ではない。
家人も私とは違うスタンスで独自のコミュニティがあり、私には伺い知らぬ関係性を作り出しており、SNSも利用している状況があるとはいえ、それぞれには不可侵ではある。夫婦であっても他人である。ただ、その他人同士が思い合って、一組となっているに過ぎない。その一組のルールはそれぞれの夫婦が独自に作り出せば良いのであって、類型的な何かに影響をされるような類の事であってはならないと思っている。

例えば、昭和の時代には、主人は主人然としていなければならず、夫人は夫人然としていなくてはならなかった。専業主婦も今よりも多く、専業主婦の心得のようなものは今よりも明確にあった。それは恐らく、今のように電化製品の発達していない時代の家事がそれだけでも重労働であったし、それだけの時間を取られる作業であった事の証左でもあるだろう。時代の移り変わりによって、その辺りも変わってきて当たり前のことではある。変わってきたから、起こる問題もある。私は専業主婦だったことはないけれど、一人暮らしを長く送ってきたので、家事の要諦については解らないでもない。実際、一人で暮らし、自炊をしてきたことで、恐らくは平均的な主婦のお仕事をこなす事が出来るだろう。その経験から言えば、専業主婦が重労働であることは認めるが、自分の時間が無いほどに忙しいとは言い切れない。そんな中で、その時間を何処に持っていくのかが大きな問題となってい、近頃では専業主婦がネットゲームにハマり、家事を放棄するなどということすらあると聞く。このような事になっては元も子もない。専業主婦で有って欲しい理由が、男の矜持にあったり(それは愚かなことであると思うが)、他の理由があり、それを出来るだけの収入や気遣いが出来るなら、それは本人たちの選択であって、素晴らしいことではないかと思う。しかし、それを選択した事でこの奥さんの視野は大きく狭まってしまったのではないかと思うのである。

子育てを始めて、最初期というのは赤児はいつ泣き出すか解らぬ。自分が世話をしなければ、命を落とす可能性のある生命を身近に置く事で気を抜く暇が無い。また、ほとんどの場合、専業主婦として夫人が家庭に入った夫婦の場合、家事や育児の分担ウエイトが夫人に掛かる場合が多いし、主人側もそれを当然と見てしまう節がある。そうなると途端に身近にいる赤児と自分たちが住む家とその周辺程度までしか、意識できる範囲が無くなってしまう。そのことで、視野が狭くなってはしないかと思うのである。
我が家では家計的にも共働きの方がベターであろうということでもあるし、何より、家人が家にこもることによって、そういった視野狭窄に陥ってほしくなかった。積極的に家人に外に出ることを推進し、娘の0歳時保育へと舵を切った理由はそこにもあるのである。確かに、忙しくハードではあるだろうが、家人が娘と離れて、一個の社会人たる時間が有ることは夫婦にとっても、娘にとっても圧倒的に良い方向に働くと思えるのである。心身の健康という意味において、この選択は正しいと思っている。世間の専業主婦の女性は思うところがないなら、自らの小遣いを稼ぐようなつもりでも構わないので、外に働きに出てみると良いかもしれない。収入を得ると同時に、自らの新鮮さと同時にもし非協力的であると言うなら、そのご主人への言い訳をさせないためにも最も有効な行動であると思うのだ。仕事を真剣にする人であれば有るほどに、労働している相手に対しての協力や感謝や尊敬を惜しまないものであるからでもある(そこでご主人の姿勢や仕事ぶり、または能力を図るものさしにもなるかもしれない)。

夫婦は、概ね、同じ方向を向いている必要があるように思うが、その上で、完全に同じ直線を歩いているという意味ではない。多少のズレがあっても良い。ただ、着地点として夫婦が納得できる近しい場所か、全く逆方向であっても、腑に落ちる場所に着地すれば良いのである。それこそが夫婦の貌なのである。似たもの夫婦とはよく言ったもので、長年の暮らしの内に行動や判断基準が似てくるのだろう。そんな似た者夫婦に納得出来ないほどに風変わりな子供が育つわけもなく、夫婦の貌を拡大すれば、それすなわち、家族の貌ではないか。夫婦が子を持ち、家族になり、そして一家を成すのである。形でも、カタチでもないのである。そういった形式の話ではない。風貌という言葉があるようにそれは感じさせるものである。目に見えるだけのものではない貌であって、色付くのだ。無理してすることは無く、無理をしなくても作れるものではあると思う。そのような貌を作れないのなら、それを納得出来ないままで一緒に暮らす必要を全く感じないのである。別々の道を歩けば良いのだ。

別れを選べない理由が「自活できない」「働きたくない」などの理由の人も少なくないらしいが、私にはそれこそ理解が出来ない。そのような言い訳をするほどには人生は長く無いと思っている。このような言い訳は卑怯者の言い草であって、相手に文句を言うべきではない。自らで自活し、自らの思うような暮らしをすれば良いのであるから、それを選択しないならば、そのような不平不満を述べるべきではない。また、そのような家庭を不幸であると心底思うし、その場に居られる事を私は信じられないでいる。自らの生き方は余儀なくされるべきではない。自ら選ぶべきで選んだ以上はそこに最大限の努力をし、周囲の生活者への感謝と尊敬の念を持ってしてするべきであると思うからである。私は精一杯が夫婦の貌と家族の貌を良い物にしていくと信じて疑っていない。

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選択肢としての学校

この事についてはあまり触れるべきではないかもしれないと思ったが、昨今、話題になっている大津の自殺の件で考えたことがある。これの不幸さについて言い出せば、枚挙に暇が無い。例えば、被害者を受けた少年の不幸については言うまでも無いし、そのご両親の心を考えたとき、到底、それは平静で居られるようなことでもあるまい。同じく、子を持つ親として、我が子がと考えれば、相当に辛いであろうことは言うまでもなく理解できるし、何よりまずは自分自身を責める。その上で、我が子がどのようなことであったのかを知りたいと願うのは当然のことではないか。そして、加害者とされる少年たちについて、様々の憶測もあり、色々と状況的によろしくないことになっていることはあるが、それでも、今、表に出ている事象が事実なら、それは十分な犯罪行為であって処罰されなくてはならない。子供だからという理由にはならないのだ。子供であっても犯罪は犯罪である。その事について、親は指導しなくてはならないはずなのだが、どう考えても指導しているようには思えず、我が子を守るためとは言いながら、延々と自分の子供の行為の正当化に終始する状態でもあるという。これは到底正気の沙汰とは思えず、私には異常に思える。立場を利用すれば何でも出来るのか?という疑問すら沸いてくる。これではあまりでは無いか。
そして、学校側の責任も到底ゼロではあるまい。モンスターペアレンツの問題が言われて久しい。何か事が起きるたびに親がしゃしゃり出るというような事は私の頃にはそうそう無かった(実際にはあったのかも知れなかったが、私の周囲ではそれほど多いことでは無かった)。それが当たり前になって、学校側は崩壊していると言われている。知人の子供の参観日の様子を聞くと、うろうろと席を立つ子供が居たりということは当たり前の様にあるという。授業中に座っていられないような子供が居ただろうかと考えたら、私の頃は居なかったように思う。授業は当たり前のように座って受けるものだった。これも教師が強く出られない土壌があるのかも知れないと思う。

私が小中学生だった当時、学校の教師は、今考えれば、全ての先生が正しいとは言わないが、概ね、私たちを正しいと思われる方向へと導いてくれていたように思うし、親からの信望も厚かったのではないか。確かに、中には変わり者と言われる先生も居たが。私たちは尊敬もしたし、親たちはこう言ったものだった。

「あんたが悪い事をしたから叱られるんだよ」

10の内、10がそうだとは言わない。確かに、今考えても理不尽なことはあった。最も、理不尽だったのは宿題をしたノートを忘れた私に「宿題そのものをやっていないのに嘘をつくな」と決めつけた女性教師で、私はこのこと以来、この女性教師とソリが合わなかった。当時、自宅から学校までは子供の足で30分ぐらい掛かっただろうか。その道程を戻るわけにもいかなかった。今ならあるいはさっと走って戻るなり出来たのかもしれないが、小学生にはその時の先生の決めつけに対する論理的な反論など浮かばず、今思い出しても、あの時は本当に悔しくて泣いた。教師は自分が叱ったことで泣いたと思ったかもしれなかったが、私は悔しくて泣いたのだ。幼い頃の記憶などほとんど残っていないが、そのようなことだけは直ぐに思い出せるものだ。人間の記憶というのはなかなか面白い。他にも幾つかあったが、中学校の頃は体を壊していたので、あまり中学校の時も思い出というものはない。その時の担任ともあまりソリが合わなかった。なんとも自らの指導力不足が明白な女性教師であり、体調不良であるという私に登校を強いた。結局、私の体調は更に悪化し、おおよそ、中学二年生から、中学3年生の夏休み前まで療養を余儀なくされた。そういった黒歴史的な学生時代を演出した教師がいた事も覚えてはいるが、その二人以外の教師には大変に恵まれたといって良い。その他の時に叱られた理由には子供特有のいたずらや考え無しの行動もあったように思う。それは怪我の可能性のある遊びをしている時などがそれに相当するが、それらの行為を叱ってくれる相手ではあったようには思う。
私が偶然に出来た先生に当たったからかもしれないし、今ではそういった先生は少ないのかもしれない。時代の移り変わりといえば、それは単純なことかもしれないが、時代の移り変わりだけでは解決できないだけの物があるに違いない。

問題はいくつかあるだろうが、まずは、職業として、教師を選ぶ人々に対して、制度的に安直であるということはあるかもしれない。4年制大学に通った者なら解るはずだが、教員免許そのものは、それほど取得困難ではない。多少、同級生より多くの授業を選択すれば、取得可能な部類のものも少なくない。都道府県別の採用試験については別問題ではあるが。まずは、その点について大きく触れられてい、教員に対して、教員免許の期間を設ける動きがあった。この点についての良し悪しの判断を私が出来るほど勉強していないので、良し悪しについては述べない。ただし、割と安直に教員免許が取れるということについては事実である。

次に教員の収入について、確かに昨今の世情を考えれば安くはないのかもしれない。世情を考えずにみれば、決して、高いと言えるかもしれない。しかし、職業を考えれば、それは高いとは言い切れない。よくよく考えてみるがいい。我が子ではない子供たちを預かるということの責任の重さ。そして、年頃になり、思春期を迎える子供たちの相手をする。それは精神力がそがれる行為ではないのか。我が子であってもそれが難しく家庭崩壊などという事態が起こる。それを不特定多数を相手にするということがどれほど困難かということである。そう考えれば別に高いとも思えない。私が思うに、もっと厳しく教員になる為の教育を行うと同時に大きく収入を上げて、そのステータスを上げるということである。その代わりと言ってはなんだが、医者並みの激務となるほど、厳しく様々の行動や倫理観、専門教育を含めたプロフェッショナルを教育する仕組みへの改変が望ましい。この方法は官僚にも使える方法であって、正しく国を導くことが出来るエリート官僚たちの収入を大幅に増加させることで、天下りなどということは起きないのではないかと考る。また、不正も起きにくくなるのではないか。最も生きの良い50代半ばまでを精力的に仕事に邁進することで、その後が十分に安泰であるなら、血道を上げて、一所懸命に働くのではないかと思うのだ。人間は貧しくなると心が貧しくなるものだ。十分に評価されていれば、邁進できるものなのである。理念や理想を追えない(負えない)ならば、その職を去るべきではないのかとも思う。特に、それが各人の能力や倫理観に伴う職業であれば有るほどにそれは明白であろう。

もう一方で、子育ての責任ということについて考える。子育ての責任とはいったい何処にあるのか。無論、両親がその最大の責任者であり、外に出た時の所行についての責任は親が取らなくてはならない。だからといって、

「○○では恥ずかしい」

などという諌め方は良くない。社会通念などというものはそもそも子供には存在しないのではないかと近頃思えてくる。間もなく一歳になる娘を観れば明白で、彼女にとって、我が家と祖母、曾祖父母。そして、保育園というような世界が彼女の世界の全てであって、まだ、それ以外の場所や他人に対して、世界は拡がってはいないように見える。その証左に今上げた人々以外には当然人見知りをするし、あまり、長時間の外出は疲労を蓄積させ、機嫌を損なう。これがもう少し、広く社会と接続されれば、彼女もその場その場の立ち居振る舞いを理解するだろうし、行動もかわるに違いない。そう考えれば、今はその限られた箱庭のような世界の中での指標はとしては、主に、私と家人であるので、私の家人の行動を範として彼女が行動するのは疑いようがない。子はかすがいという言葉が広くあるが、子供が親を写す鏡でもあるということも疑いの無い事実であるだろう。私も家人も恥ずかしい行動は取らないことに自覚的であると思う。私はあまり周りの目を気にしない。一つに没頭すると、後は、どうでも良いというわけではないが、あまり周りの眼に対して、意識しなくなる悪癖があって、よく家人にも指摘を受ける。そういった事も娘の眼に映ると考えれば、襟を正そうという気持ちもいやます。そして、前述のように、風聞や報道の類で言われることが全て事実であるなら、加害者側と言われる家族の行動を見れば、一目瞭然であって、「あのような恥知らずの所業に出てしまうようなことでは…」と思わざるえない。子を思うなら、そうならない努力をするべきではなかったか。または、そのような訴えを起こした子供に周囲の大人が目を向けるべきではなかったか。いずれにせよ。多くの問題が重なり、悲しい出来事になったのである。子を持つ親としてひとごとではない。我が子がどちらの立場になるのか解らないのである。「うちの子に限って」などと言っている時ではない。

学校に通うことが前提となっている社会。確かにそれは間違いでは無い。義務教育という事で、基礎学力を高めつつ、集団生活とは?について学ぶことは社会に出て働く上で重要な事ではある。その事を否定するわけでは無い。また、学生時代に知り合う仲間達との交流は良いものである。生涯にわたって関係が続くような相手は学生時代の友人が結構な数を占めたりする。

しかし、学校に行くことは前提であり、国としては義務教育と言っているが、この場合の義務はどちらかと言えば、当人に係る義務ではなくて、養育する親の側に係る義務では無いのかと思っている。つまり、ちゃんと教育を受けさせる義務ということだと理解している。

本人がその場に居ることを苦痛だとするような学校であれば、親の義務として苦痛で無い学校を探す必要があると思うのだ。集団生活というのは多少の苦痛を伴うものではあるだろう。自分勝手な行動だけを取れない。また、決まった時間で動く必要がある。それらの強制はその後の人生にも多少なりとも影響は出るだろうとは思う。これは当然、組織の一員として生きるための経験であり、必要な事でもあるとは理解しているが、それ以外の部分で何かの問題があるというなら、それは周囲が解決する必要があることでもあるだろう。子供一人の力で学校を探し、転校をするという手立てが取れる仕組みがあれば良いが、そのような仕組みは今の日本には無い。

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「忙しい」変換と時間の優越と「呼び名」について

「忙しい」という言葉を最近よく使っていた。それは本来的な意味での忙しさというわけでは無くて、周囲の状況に巻き込まれた結果忙しいという話であった。

自分自身の業務はそれなりにやっている。管理者が師走状態ではあまりにもアホである。その管理者は管理者失格であると言って良い。私自身、システム管理者だけをしているわけでも無いが、管理者としての私が忙しいということは障害が起こっていると言うことでもあるので、それが多発するようでは無能の誹りを免れない。毎日、自分が冷静に判断できる範囲で、障害が起こらず、過不足が無く、運用できているのなら、それは何よりのことで有り、その管理者の有能さを表現していると言えるだろう。果たして、私が有能な管理者であるという自信は無いが、人並みに一般的な中小クラスの会社であれば、建物が建った後に計画をし、配線し、ネットワークを引き、そのネットワーク環境を業務に問題が無いレベルで運用できるぐらいの能力はあるようだ。それ以上の能力があるかどうかについては全部を一人で運用したことは無いので、保証は無いが、前にデータセンターの運用チームに居たときも大規模な障害は起こらなかったので、問題は無いのでは無いかとは思っている。その時の経験から考えれば、一人で管理運用できるのは社員全員に端末がある状況で、200人~300人ぐらいが限界だろうとは思う。最近では様々のソフトやアプリがある。一定の規約を作って運用すれば良いのである。これは勉強し、経験を積めば誰にでも出来ることだとは思っている。その辺については気が向いたら書いてみることにする。

で、本題に戻る。「忙しい」という言葉をよく使っていたなあと思い立ったという事。「忙しい」とは「心を亡くす」と書く。「忙殺される」などという言葉がある。「心を亡くしてしまうほどの事があって、殺されてしまう」という状況を指す言葉である。本当に仕事が立て込んでいたり、考えることが多くあって、「忙しい」状況ではあったので、口をついて「忙しい」の言葉が出ていた。一種の負の言葉である「忙しい」を多発する事で、相手に対して、そこから先の発言をさせない事になって居ると言うことでもある。
忙しさを理由にすることは相手が物分かりが良ければ良いほどに優先順位を下げることになる。「蔑ろ」にしていると言われても反論の余地は無い。この事は「傘を開いて、空を」というブログに書かれたエピソードに書かれていたように記憶する。深く納得した。そして、「忙しい」という言葉を使う代わりに「自分の時間に不自由してる」という言葉を使うと書かれていた。成る程、確かにその言葉で十分に意味が判る。そして、言葉も丁寧な言葉である。私は今月一杯程度は自分の時間に不自由しそうな気配があるので、この事に気をつけてしゃべるようにしよう。

そして、自分の時間を出来るだけ有意義に使えるように動かなくてはならない。一人の時間は私にはそれほど無いし、家人と娘の為の時間は公的な時間よりも圧倒的に優先される必要があるからである。私の中で優先される事情や事項は仕事でも私自身でも無く家族の中でも家人の為に使われなければならない。娘を大事にする気持ちは確かに大事だとは思うが、自発的に私や家人の手に寄らなければ、生存できない娘よりも家人の方にその意識を振り向けなければ、到底、均等な時間割にはならないし平等にもなるまい。

24時間という時間が誰にも平等であるなら、その時間の時間割は私自身が決めて良いはずなのであるから、当然、自分の中のルールに則って決める。一部の例外はあるにせよ。その例外を全体に適用してはならない。つまり、仕事の忙しさに甘えることはしてはならない。忙しく精神的に疲れているのは私の都合なのであって、家族には関わりの無いことである。そして、言わなくても見れば判ることでもある。そんなことに気が付かない程度にしか相手に興味が無いというなら、その関係は既に関係性を終わっていると言っても良かろう。それぐらいには相手を見て、識っているはずなのである。それが的外れだったり、観ていなかったりということが続けば、関係の清算にも繋がるというわけで、早めに諦めて関係を清算することに私は反対では無いので、その選択をし、相手が悪いと相手を非難することをしないのなら、幾らでも自分が精魂を込めて、続けられる関係性を別の環境や場面や登場人物で再構築すれば良いだけの話である。このように考えているが、我が家は家人の不断の努力によって、関係性が良好に保たれてい、ありがたくも、このまま続けられそうでもある。よって、さらに意識をして、私は家人のために自分の時間を家人に振り向ける必要性がある。不均衡が長く続くのはどちらか片方の疲労を増す結果になるだけで良好では無い。

その一環として、家人に強いていることもある。「お父さん、お母さんと呼び合うのは娘が喋るようになるまで」というルールである。お互いの父親でも母親でも無く、一組の夫婦(めおと)なのであって、本来は血縁も無い赤の他人が自分たちの気持ちで一緒に住み暮らしているのである。繰り返す、娘を大事にしないと言うことでは無い。私たちはもちろん、周囲の大人達から無条件で愛される権利を有している事に異論は無いが、お互いがお互いを選んだという理由のみによって成立した夫婦(めおと)の関係はお互いのケアが無くては維持できないのではないかと思うのだ。よって、私どもの間では、あと二年ほどで言葉も増えるだろう娘の成長を待っている状況なのである。

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娘の成長について

いつの間にか梅雨入りしており、いつの間にやら梅雨明けをするような日々が何年か続いた。九州の梅雨はジメジメとしており、それは結構不快な季節である。この時期に体調を崩す人も少なくない。そういった人も多くある。今年は私も夏風邪で少々苦しんだ。今年の風邪は喉くるようだ。この梅雨入りから訃報が続き、様々のスキャンダルが流れて(私にとってどうでも良い話題もあったが)、騒がしい梅雨となった。亡くなった方のご冥福をお祈りするばかりだ。

閑話休題。話が逸れた。最近は娘について少々書こう。昨年の夏。娘が産まれた果たして、健やかに育ってくれるかどうか不安で仕方なかった。何しろ、男兄弟であり、女性の生態を知らぬ。しかも、そんな小さな赤子の面倒を見た記憶もそれほど無い。驚きの連続のままに半年が過ぎて、10ヶ月ほどになった。いよいよ、歩き出しそうな勢いで元気よくつかまり立ちをし、ハイハイをしつつも、周囲の物体に興味津々の様子でもある。近頃はマウスが気に入っているようである。私が今は使っていないUSB接続のマウスを渡した。そのマウスで遊んでいる事も多い。また、第一子でもあり、周囲の方々の暖かな支援もあり、ありがたくも多くの祝いをいただいた事もあって、色々と興味が出そうなおもちゃの類もプレゼントされており、毎日、何か遊んでいる。

家人が勤めに出ている事もあって、娘は0歳児保育をされている。慣れない両親に加えて、プロフェッショナルの保母の方々に面倒をみてもらうこと。そして、同年代の子供達のやりとりは本人にもプラスになっているようで、あっという間に家に居るときに出来なかったことを出来るようになっている。子供の成長は早い。私が何かを身に付けようとすれば、多くの本を読み、知識を蓄えつつ、体を動かし、鍛錬して自分自身を変えてゆくための準備をしなくてはならない。しかし、生後1年以内の子供達は感覚的に何かの要諦を掴んで、ぐいぐいと成長しているようで、その能力は段々と失われていく感覚に違いないのだなと改めて感じたところである。

我が子は当然可愛い。その可愛さを例えることは出来ない。眼の中に入れても痛くないなんてのは、例え話で眼の中に入れれば痛いとは思うが、その気分を理解しないほどの野暮では無いつもりである。家人は娘を厳しく叱る責任の所在である。娘が正しく生育していくためのしつけに対する責任を親がおっていると言うことを考えれば、当然、私も家人も娘を叱ることはある。しかし、私はまだ、娘を叱りつける事が難しい。親に叱られる経験など皆無になった。当然、私が長じた事もあるだろうが、叱られるようなことは高校卒業前後には既に無かったように思える。そして、歳のそれほど離れない弟しか居ないわけで、何か物申すようなことも無い。私は叱ることになれていないようだ。そして、10ヶ月ほどの娘には日本語が通じない。叱られている事が判っているかどうか?が不明なのである。

成る程、親業とはなかなか難しいものであるなと改めて感じる日々である。歯も生えて、体もしっかりしてきている。いつ歩いてもおかしくない。そんな娘を眺めているのは楽しいが、親業の手練れとなる日はいつのことか。子のお陰で親も育つという話もあった。特別なものでありたいとは思わないし、全てにおいて正解を選んで生きてきたとも思わぬけれど、観る者が居る今となってはだらけた事は出来ないということだろうか。娘の日進月歩の姿には到底見劣りするけれど、当面は先に進むしかない事は自覚している。

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豊かさと貧しさとピンキリと均一と

社会に出て、それほど経たない頃の話しである。当時、某大手企業の情シスに所属しており、そこから色々と出先での仕事をしていた。イントラネットが一気に広まろうとしていた時でもあった。また、そういった言葉が世間に広まりつつあった。当時、タグ打ちが出来て、NTサーバやLinuxサーバが少々わかって、PerlでCGIが組めれば、まあ、それなりに金が稼げたというぐらいの時代である。実際、多少のバイトもした。まあ、その辺りは当時の会社には申し訳ないが、時効であろう勘弁していただきたい。

リーマン、一年・二年生の給与などというものは企業の大きさもあるだろうが、それほど高額なものでもない。大企業に居れば、高級というのは生涯年収を考えた部分でもあり、企業によってその給与の上がり方は異なる。私の属していた企業は30過ぎまで割りと良いペースで上がり、40前後までは緩やかに50前後までそれなりに上がり、そこからはポジション次第で所属が決まるというシステムであり、55歳で第一回目の出向や転籍などが行われるという企業であった。その月給を正しくは覚えていないが、手取りで20万円までは行ってなかったのではなかったろうか。そのような収入でも独り者であるから、それなりの生活を送ることは出来た。同僚と酒を飲みに行く事に不自由しない程度のことでもあった。

今ほどのデフレではなかった時代でもある。転勤で福岡に舞い戻った時に母親のアドバイスもあってスーツを買い足すべきということを言われた。なるほど、仕事に使う勝負服である。疎かには出来ない。当時で、一着三万円程度だっただろうか。デフレの今ではもっと安いモノもあるが、当時はその程度の値段が紳士服売場で妥当な値段でもあった。それを夏冬と季節の変わり目に二着ずつ買い足した。それで十分だと思っていた。

しかし、他部署に移籍されてきた大先輩がおられて、私のことを色々と眼をかけてくださった方がおられた。その大先輩はその社内では大変に優秀な方であり、次期の役員が確実と言われた方で、あらゆるところに人脈を持っておられた。しかし、いくつかのご当人の私的な理由もあってその道を辞退された。その先輩と食事をご一緒させていただいた時の事。

「そのスーツ何処で買った?」
「○○ですが」
「お前、そんな安いスーツじゃあ駄目だ。この名刺の店に行ってこい」

そういって、一枚の名刺をくれた。洋品店の名刺であった。つまりはスーツをオーダーしろということであった。オーダースーツがいくらするのか?について、私は知識が無かった。とりあえず、財布に5万円ほど入れて、その店に向かったのを覚えている。そして、紹介された旨を伝えると、

「話は伺っております」

そう言われて、テキパキといくつかの生地を勧められた。そして、寸法やズボンの裾、ボタンの材質、裏地など、当時は知りもしない知識を色々と解説付きで教えられながら品物を選んだ。果たして、最後に値段を言われた。その時のスーツの値段が8万円だった。

「8万?」

「高いなあ」と心の中で思いながら、持ち合わせが足りない旨を伝えたら、払えるだけ置いていき、品物を受け取る時に残金を払えば良いと言われた。結局、半金の4万円を払い、後日、出来上がりを受け取った。そのスーツを着ての出勤日。

「お、いいスーツ着ているね」

と言われることが一度や二度では無かった。人は褒められて悪い気はしないものである。

「どうだ?それぐらいのものを着ておく方が良い。気持ちも違う」

その大先輩はそう言って、ネクタイとネクタイピンをくれたのである。

その後もその店を含めて、いくつかの店を紹介され、身の回りのモノについてのこだわりを数多くアドバイスを受けた。まさにこれは私にとってはかけがえの無い財産であると思える。こういったことが金高だけでは無い豊かさの由来では無かったか。

その後もその大先輩には、個人的なことでも、仕事のことでも懐深くお世話になった。女性にも人気のある方だったが、独身を通されていた。理由はいくつか漏らされたが、若い頃に大失恋の結果であると言うことを一度だけ聞いたことがある。深い関係になる女性がほとんど居ないとは言われていたが、常に、女性の影はあった。まさに、「ダンディ」という言葉の似合う二枚目だった。その後、その会社を辞めることになり、こっそりと会社とは別に送別会を開いていただき、過分な餞別までいただいた。感謝の念に耐えない。

その後もその大先輩がお亡くなりになるまで、年に数度はやりとりがあった。しかし、私が再び転職し、日本をうろうろとしている間には、いろいろな場でその時のことを思い出しながらも、この教えを守れない生活もあり、今の姿を見たら、深いため息をつかれるに違いないとは思う。世間や社会情勢にその理由を求めるのは簡単だし、それが一般的な結論なのかも知れぬ。しかし、自分自身の不心得をそのような理由であると思ったら、それは後が無い状況であると言って良い。ここは心を入れ替えて、そこに墜ちてゆかぬようにしなければならぬ。

SNSで話題になった件のスカイマークのサービスポリシーにせよ、いくつかの事件が連続したことも含めての格安のサービスに対する意見もそうだが、前述のような教えを受けていれば、その安さには何が「無い(亡い)」のかを考えるようになる。私は大先輩にアドバイスを受けたスーツについての一件を例にした。このスーツは確かに良いものであったが、量販店で同一の値段のモノを買えば、同程度の品質のものや一目でそれとわかるブランドの品物だって買えないことは無いのだが、私自身の体を見て、プロが判断をしてくれるというサービスも含めての対価としては十二分に価値があるものなのだ。その事について考えが至らない人が多い。

その無い(亡い)モノ(サービス)について、どうしても必要であったり、自分自身でそれを求めると言うのなら、対価を支払って、それを享受すれば良いのである。何かが足りないから、対価が安くすんでいるのだ。そして、それが悪いと言っているわけではない。必要とされるモノやサービスは各個人によって違いがあって当たり前である。均一ではない中で何処を重視して選ぶかという「選択肢の広がり」であるととらえなくてはならない。日本の場合、均一である事が前提として考えがあるように感ずる。「ピンキリ」という言葉があるが、そのピンとキリの違いに対しての認識があまりにも薄い。良いモノを知らぬことでそれがわからないというのならそれは不幸では無いかと思うのだ。

思い切って、良い服を買ってみると良い。その服は良い生地と良いシルエットで長くあなたの体を彩るに違いない。その間にそれ以外に買った他の服が次々と駄目になり、段々と着心地の良いものを選びたいと思うようになる。思い切って良いレストランで食事をしてみると良い。その行き届いたサービスと素晴らしい味わいの料理に陶然とする時間はどこかの格安のレストランで喧噪の中で詰め込むだけの食事とは違う。

何事にも訳がある。お金だけでは無い付加価値があるのである。その訳を知ることが豊かさでは無いのか。私自身、それほど高年収というわけでもないし、何かに秀でていると言うわけでも無いが、貧しさで心まで貧しいと言うことにはなりたくない。「貧すれば鈍する」とは昔の人はよく言ったと思う。今の誰もが「貧」して「鈍」するような世の中だからこそ起こる状況や議論のような気がする。自分まで「貧」して「鈍」してしまいそうで、なにやら厭な気持ちになったのである。このような人々が増えるようではあまり未来が明るくないなあと思うのだ。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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