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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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社畜とか、新入社員心得について

企業は従業員に対して、何が出来るのかというと金銭を支払うことで、その労働に対する対価を支払う。それについてはどのような状況であっても基本的には変わらないのであるから、企業が従業員に報いるには金でしか出来ないはずだと思う。この考えは基本的に変わらないと思う。

早くも、こんな話がネット上で散見された。季節的なモノかも知れない。

「新入社員に残業を依頼したら断って帰られた」
「休日に電話したら電話に出ない」
「人は仕事でしか成長しない」

などなどと。私から言わせれば、この事が話題になるというのが一つ面白いというか不思議と言えるような気がする。

「残業頼んで断られる」という何処にも不思議な事は無くて、本来、残業とは勝手にして良いことでは無いはずだ。ほとんどの会社では残業をする旨を部署内で話をするとか、上長の許可を得るとか、そういうことが前提になっているわけで、昼間の仕事をやりくりして、残業を可能にし、残業代を稼ぐなどということが恒常的に行われているというのは、噂で聞く田舎の役所の話のことだけだろうと思うのだが、実際にはそうでも無いらしい。
残業をして長時間働く事が益だとは思わない。定時内で仕事が終わるならそれが最も良いのであって、同部署で同様の仕事に従事している状況で一人だけが極端に残業が必要な状況であるというのは不自然と言わざるを得ない。それは周囲とのコミュニケーションが出来ていないのか、当人の能力不足か知らないが、褒められる状況ではない。そして、この依頼した残業というのがどう考えても十分な理由付けと金銭の補償がない「サービス残業」的な空気を多分に含んでいるというのがまた問題で、サービス残業なんてものは本来的には一切してはならないはずなのだが、「空気読め」的な押しつけがとにかく気持ち悪い。「休日に電話したら出ない」のは当たり前のことで、休日に会社から貸与されている携帯電話に出なければならないという理由は何処にも存在しない。休業日に社業に関わる事を求めるというなら、それは休日出勤ということになり、日当が発生し、別の日に休日を振り替えなければならない。ましてや、個人の契約している携帯電話について、連絡に利用するなどというのは言語道断の所行であるといって良い。余程に危急(例えば、大型の震災、または、人命に関わるような大事故が発生したなど)の場合でなければ、そのようなことはしてはならないし、それに出ないからといって何か文句を付けるようなことがあってはならない。「人は仕事でしか成長しない」なんてのもそれを言っている人間の不見識であって、仕事をせずにただただ自分の好きな事を突き詰めた結果大きな結果を出した人はいくらでもいるわけだし、むしろ、仕事以外の部分での成長がその人自身の成長であると言える。有る職場の特殊な環境でしか生きられない養殖された水槽で飼われた野生動物のような成長が健全であるわけが無く、仕事以外の部分での幅広い人間性の成長がその人の成長なのでは無いかと思うのである。

また、このような話が出ると「社畜」という言葉との対比に利用されるが全く意味が違うものであって、「はぁ、ヤレヤレ…」と独りごちてハードボイルドにワーカホリックである事はあくまで自分が決める事なのであって、そのようなことを他者からとやかくされる、または、余儀なくされるというのは別の話であると言って良い。特に、中年男性の「社畜」噺については誰もがそうあるべきであるという押しつけを含んだモノでは無い。ただ「自分自身がそのような状況にあり、それはそれで大変だが、そこは踏ん張って、もうひと仕事するぜ」というような当人のスタイルの表明である。そして、そのスタイルを持って居る人が思うのは「どうしようも無くそんなことにぶち当たったときは私たちの様なスタイルでやってみるのも一つの手立てだと思う。やってみてやれた経験を持っていることは有意義であるよ」ということであって、これもそれを選択するかどうかは自分で決めて欲しいという話なのである。言うなれば、一種の「ハードボイルド」としての「社畜」なのだと思う。

このような話題が出ているのが今の日本を表しているなあと思ったのだ。決してそれは健全な状態ではないと思うのである。

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交渉力という能力と上役について

ここ3日ほど。私が属する組織の業務が限界を超えそうなぐらいの事になっている。年度末なのだから、どの企業にもそういった部署の一つや二つはあるだろうと思う。そんな中で、交渉力という話しになる。弊社の業務の中にお客様の所を訪ねる必要がある業務がある。いわゆる「引取」「配達」という様な業務である。このような業務の場合、時間に追われることになるのだ。そんなときに大切なのがお客様にお詫びと相談とお願いをして、何とかスケジュールを調整する能力である。配車というスケジュール調整をする人間が別に居ることがほとんど、内部的にはその配車の担当者と外部的にはお客様とそれぞれに交渉する能力が必要であると言うことである。

交渉力の基本は相手との距離を適切に測りつつ、相手を悪い気にさせずに下からお願いすると言う方法に尽きる。私自身、どのようなお客様と話す時も出来るだけお願いする方向から話を進める。次に、無理難題に限らず、常日頃の余裕があるときには多少のわがままは自分の裁量で埋めておくということも肝要である。これらの種まきはわすれてはならない。しかし、助けて貰おうと言うことではない。頭を下げるのは相手より上の立場に居るときであって、相手からお願いされたときにこそ、または相手よりも優位な点があるときにこそ、頭は下げるべきである。そうで無ければ、間違いが起こってしまう。立場が下の人間が頭を下げるというのは当たり前の事であるし、そのようなことで物事が何か動くわけでは無いのである。立場が上にある者が頭を下げることの方が物事を動かす力になるということである。

身近に横暴な上役は居ないだろうか。そして、その上役の無理無体に対して不満を持つことは無いだろうか。確かに、上司である人に対して、礼儀をわきまえるのは当たり前であるが、それとは違う人の世の中になんと多いことか。偉くなればなるほど、増長した愚か者が増える傾向にあるように思う(中途半端な出世をしてそこが上がりの馬鹿に多い)。
本来は社長であれば、ますます、そういった態度を取らなくてはならない。社長であるということは会社を束ねる人間であることは間違いないが、その社長の給料も含めて、従業員の働きで金が出ているという点も忘れてはならず、本当にしっかりとした経営者で有ればあるほど、従業員に対する対応は丁寧で有る。そのようなことを解らない者が上に立っている不幸というのは大変なものである。個人的にはそのような組織に属する事が耐えられない苦痛であると言ってよい。上席に有る人間が無能である事は世間には幾らでもある。誰もが能力だけを買われて、そのようなポジションにあるわけでは無い。社歴の長さや関係性の中で上席になる人々も居る。そのような人はどちらも不幸にしてしまう。本人も不幸であるし、当然、その周囲、または、部下までも不幸になってしまう。そのような不幸は連鎖を産み、その組織の根底が揺らいでしまう。

彼らに最も不足しているのが交渉力である。人に対する時の姿勢は全てに通ずる。忙しい時こそ、そのような事態が出来し、大きな騒ぎを産むのだ。年度末の忙しさに巻き込まれながら、そのようなことを感じ取ったのであった。自分自身の振り返りにもなる良い機会であると毎年この時期に思うのだ。

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懐かしい記憶と昭和と替え歌(下ネタ)について

昭和の生まれで、社会に出たときというかある程度まともに仕事が出来るようになったときには平成だった世代である。中高時代は平成だったけれど、両親の関係も有るので育ってきた文化は昭和と言って良いんじゃなかろうかと思っている。

先頃、Google+でそんな昭和を象徴するような歌謡曲の話になった。デュエット曲の話になり、無論、「居酒屋」「三年目の浮気」「別れても好きな人」などの話が出た。解る人には大変に面白い時代。場末のスナックというような話であった。

その時に「下ネタ替え歌」の話になったのである。この「下ネタ替え歌」とはなんぞや?と言えば、有名な歌の歌詞を夜の生活に掛けたような歌詞に替えて歌うという奴である。色んな歌がその替え歌に使われている。私が知っているいくつかの歌の歌詞を覚え書きしてみようか。

まずは、演歌と言えばこの歌。と言っても、過言では無いと思う。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」という名曲がある。石川さゆりは他にも「天城越え」などの名曲があるが、その中でも「津軽海峡・冬景色」の替え歌。私が知っているのは「土手下海峡・濡れ景色」という。タイトルから「あられも無い」わけだが内容も結構酷い。

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1.上を向いて 股を広げ 射れたときから
 二人は既に 夢の中
 してる時は何も忘れ 誰も無口で
 吐息と汗が ほとばしる
 
 イカせて貴方 私はもうダメよ
 乳が踊り 腰がうずき 足がひきつる
 ああ 土手下海峡濡れ景色
 
 
1.ご覧見てよ へその下の 深い谷間に
貴方の好きな 穴がある
 舐めて 吸って もっと強く 射れておくれよ
 貴方の腕の 見せどころ

 イキます貴方 私は もうダメよ
 貴方そこよ そこと違う そこよ そこなの
 ああ 土手下海峡濡れ景色

 イキます貴方 私は もうダメよ
 乳が踊り 腰がうずき 足がひきつる
 ああ 土手下海峡濡れ景色
-----

というような歌詞である。他にも類似の歌詞もあるが、私が知っているのはこの歌詞が正調だったと思う。まあ、これを全力でうなったところで酔っ払いのオッサンが集まっている場では解るだろうが、若手(主に、20代)には、何が面白いのかさっぱり解らないだろうが、こういう歌を許容出来るような空気感というかこれを聴いて「ガハハ」と笑えるような世界が場末のスナックというものの醍醐味であると言ってよい。

あとは、もう一曲、これは主に西日本で歌われているようだが、敏いとうとハッピーアンドブルーの「星降る街角」という歌の替え歌(というか合いの手)が有名だ。以下に覚えている所を書いてみる。

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星の降る夜は あなたと二人で お踊ろうよ
[ちゅるる・ちゅるる・ちゅるっる]

流れるボサノバ 触れ合う指先
ああ 恋の夜
[夜,夜,夜,夜,長い夜]

いたずら夜風が頬を濡らしても 二人は
[わ・わ・わ・わ・輪がみっつ]

何も言わないで微笑を交わす あの街角
[角角角角角、曲がり角]

[間奏にて]
[1かけて2かけて3かけて4(し)かけた***はやめられない!]

[5かけて6かけて7かけて8(やっ)ぱり***やめられない!]

[9かけて10かけて11ィかけて12(とに)かく***やめられない!]

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というような合いの手がある。***には関西で言うところの性行為の三文字が入ると思っていただきたい。こんな話が出来る相手もほとんど居なくなった。バルブ前後に接待込みで営業をこなしてきた人々なら解る人も多数居るとは思うが、それ以降の世代が中心世代になりつつある今ではこの手の話もわかる人が居ないと言うことかも知れない。

平成生まれが社会に進出し、昭和が「昭和時代」(つまりは江戸時代や明治、大正と同じ扱いである)になっていく間にこのような文化も消えていくのかも知れぬと思えば、解る人が居る間に少々愉しんでおかねばなるまい。そういえば、5月には、私の独身時代を支えた通称「棲家」と呼んでいたお店が店仕舞いをする由。移ろい行く時代を感じて、少しばかりの記憶を探ってみた所である。

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食から考えられる先について

料理が趣味と言って良いと思っている。食べることも好きだし、作るのも嫌いではない。いわゆる、「男の料理」に類するものである自覚はある(作ろうと思ったものの食材を漁るタイプ)が、一人暮らしも短くないので、大体のものはそれなりに作れるようにはなっている。

魚も焼ければ、肉も焼ける。鍋物だって作れるし、日常に食べるお味噌汁の類も大体作れる。煮物も作れれば、無論、飯も炊ける。大体、困らないのである。困らない程度に作れるというのは割と大事で、手の込んだものは気合いを入れて、レシピを見ながら作れば良いのであって、常日頃についていえば、日常で出される料理を手間を掛けずに作れるかどうか?に掛かっていると言って良い。料理そのものが負担になるようでは日常生活も覚束ない。

私の料理は割と簡単な基準に基づいている。「塩こしょうで大体のモノは食べられる」ということであり、あとは醤油をかければ良いということでもある。日本には調味料としての醤油が存在する。醤油というのは万能調味料の一種であると言って良い。醤油があればかなりのことは出来るのである。刺身にソースは厳しいが、ソースをかけて食べる類の料理(たとえば、とんかつ。お好み焼きなど)に醤油をかけても食べられる。日本人だからと言うことではない。それが醤油という調味料の万能さであり、利点でもある。この場合の醤油は大豆を原料にした醤油に限定している。同様の製法でも魚を使った魚醤などには少々の癖があり、汎用性は薄い。醤油という調味料があるお陰で、日本料理の進歩が一部で遅れているのではないか?と思ってしまうほどである。欧米諸国と比べれば、日本料理のそれらしく作るだけの調味料の量は極端に少ない。スパイスの類も素晴らしいものは沢山有るが、いわゆる西洋料理のように様々のスパイスを組み合わせる必要も無いし、インド料理のようなスパイスの組み合わせをする必要も無い。万能感のある調味料が多いことは日本人にとって良いことであると思える。

そのようなことであるのに、近頃は「メシマズ」というのがクローズアップされる。現実には昔からそういった人は存在していたように思うが、それが、今のような情報発信可能なメディアがあることや総批評家時代という様相が大きく様々のことを広める鍵となっている様に思える。「メシマズ」にもいくつもある。「料理を食べた経験が無い」「料理を作った経験が無い」「味覚的に自分とかけ離れた味覚特性の地域での生活を送ってきた」「そもそもやる気が無い」「レシピなどを読む気が無い」など枚挙にいとまが無い。過日このようなPOSTを観た。

「食事は一日にせいぜい3回。SEX以下の回数であるのにそれを蔑ろには出来ない」

このような事であった。また、いつぞに金の使い方の話でもこういう話があった。

「食事の回数は決まっている。今、ここで食べるものをケチってはならない。借金してでも特上を食べるべきである。それが出来ないようでは良い仕事も出来ないし、良い金の使い方が出来ない」

ということだそうである。極論ではあるが、間違っているとは思わない。

良いモノを知らなければならない。しかし、良いモノを知らないのでは物事の善し悪しは判らない。また、良いモノを知っていればこそ、貧しい中でも楽しめる事がある。ご馳走がチェーン店の牛丼という人間とご馳走がちゃんとした店のすき焼きという人間では常日頃の食に対する取り組みも違うのではないか。同じ材料を使っても、ほんの少しの火加減、水加減、高価では無い調味料を加える工夫で旨い食べ物を作りだそうとするのでは無いか。これはチェーン店が悪いと言っているのでは無い。振れ幅の問題で、上も下も知っていてこそでは無いのかという話である。
仕事に置き換えてもそうだ妥協するポイントが低い人間の仕事は見るに堪えない。高次のレベルのやりとりに前提条件の低い人間が混ざるとその議論は紛糾し、仕事のクオリティを維持する事は出来ない。この部分だけは年齢によって補える経験で積み上げることが出来るわけで、我々、中年に突入した世代はこの心掛けで若さとバランスを取りながら進むのが良い思うのである。

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2月の終わりと自分のコストついて

2月が早くも終わろうとしている。なんということか。先日、正月を明けた気がしていたではないか。自分でもカレンダーを観ながら瞠目したところである。「2月は逃げ月」などという日数が短い事でもあるし、正月月明けのバタバタが一段落し、3月の決算や官公庁の静けさもある。「28(ニッパチ)は暇」というのはどのような業界にもある程度当てはまるのではないか。

そんなわけで、この生活にも終わりが近い。私自身の出向期限がそろそろ切れようとしている。私が昨年のGW明けに移動してきたこの支店から、本店に戻るということである。私は自分の邪魔さえされなければ何処でも良いのであるが、そうは言っていられない事情もあって、組織的な運用の問題が多少出てきたことでもあった。

いくつか責任者を務める部署や組織があるので、そこに戻って欲しいと言う声は前からあったが、同じ社内の直ぐ近所の場所に移動しての作業は必須のものであったと言って良い。そこには移動しなければ見えない物が多数あり、移動しなかった場合のコストは計り知れなかったのである。

このような世の中になって、直接に合って話をすることや現場を訪れるコストは決して安いモノでは無い。それらのコストを吸収できるだけの利益を産み出さなくてはならない。自分自身の値段を考えて、その値段に見合った仕事をすれば良いとは思うが、自分の値段の計算を出来る人はそれほど多くない。貰っている月給だけが自分のコストでは無い。それらも含めて、しっかりとした計算をした上で自分のコストを割り出せば良い。

私自身で言えば、派遣火消しSE時代(傭兵時代などと言っている)頃から、自分の手取りに対して、二倍~三倍ほどを自分のコストであると見なしてきた。特に派遣業では上流の搾取は相当な金額になるということは知らなければならない。例えば、派遣されている時に一日が2万円の人が居たとすると、それを依頼した会社はその倍近い金額(又はそれ以上)を派遣会社に払っていると思って問題無い(会社にもよるとは思うが)。職種によっても異なるので、それはそれぞれの方法で計算すれば良いとは思う。

こう言った考え方は正しいかどうかは別にして、自分自身のコスト意識を持つことによって、ムダなことはしなくなるし、整理して考えるようになるので、プラスになる部分が大きい。このような説明は人事考課と合わせてされるべきで、私は人事考課担当として人事考課をするにあたって、この点については、毎回、面接時に説明することにしている。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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