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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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娘が2歳になった。

8月28日は毎年娘の誕生日である。もう、二歳になった。早いなと思う。あっという間だった。娘に恵まれたことも望外の事だったのに、元気で、大きな病気もせず。特別に手が掛かるわけでも無い。発育も良好である。

二歳になった娘は、私と家人を完全に認識しており、周囲の人もしっかりと認識しているようである。人の名前を憶えるのは早い様に思える。多くの大人達との面識を早い内から持っており、多少の人見知りはあるにせよ。元気に育っている。何よりのことである。

2歳になった娘が喋る言葉には「おとうさん」「おかあさん」「ごはん」「おいしい」「これすごいよ。これ」などなど最初は通じなかった日本語が多く出現し、意思の疎通も図れるようになり、私としては大歓迎というところである。洋服を自分時で着替えたり、歯磨きを自分でしたり、自分のことは自分でしてみようという取り組みがあり、なるほど、自分もこうして、成長したかと思えば、家族や両親にも感謝の念がより強くなる。
アンパンマンの大ファンであり、私が何を言おうともアンパンマンには勝てないところが残念ではあるが。それはいずこも同じと聴いて、ホッとしたりもする。特にカレーパンマンが好きらしい。

娘が居ることで夫婦の間には違いが生まれる。それは子供が居るから解るというようなことである。前にも何かで書いたが、世にある子連れの方々への同士感とも言うべきものが生まれるのである。

独身時代にはうるさいなと思っていた、子供の暴れぶりも困っているのはご両親であろうというような心持ちまで持てるわけだから、自分がその立場になってみなくては解らないというようなことがたくさん有るんだと改めて感ずる。そして、夫婦から家族になるときの進捗は子供の進捗と同様に親としての自分。人間としての自分。これらを大きく成長させるのである。

思うに、独身時代の猪突猛進が落ち着き、分別が付くようになるのは独身で体力が落ちるだけでは理由が付かない。独身の年長者にはない、家族持ち特有の丸くなった心持ちが、若く物知らずだった私を助けてくれた先達の方々の優しさだったのだと改めて腑に落ち、自分もそういう心持ちを持てるようになりたいと心から願った。

2歳、3歳といえば、反抗期も迎えるだろうし、強い自我を表に出してくる時期でもあるだろう。そんな娘を先達達の心持ちで迎え入れつつ、日常もその心持ちで進んでいける時、私自身にも大きなプラスとなって帰ってくるんだろうと思う。家人にも娘にも深い感謝を持って居る。

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生まれて最初に保証されることを自覚する時

梅雨明けをしたと思えば、いきなりの夏になる。近頃は助走というのが無い気がする。いきなり、気が付いたら、季節の移り変わりをしている。「そういえば…」と言うことでも無く、梅雨明け宣言の途端に真夏であるといってよい。私はどちらかと言えば、寒い季節の方が良いが、年々、暑さが厳しくなるわけで、寒い季節よりも暑い季節の方が長いという気がする。暮らしている地域にもよるかも知れないが。

今夏、様々の出来事が起こる事が確定的で自分自身の身の振り方についても考えなくてはならない季節なんだろうと思っている。恵まれたポジションに居るという見方も出来るだろうけれど、それが確実に恵まれているという保証は何処にも無い。広い視野で見る必要だってあるだろう。3年ぐらいの周期で見れば、定点観測を続ける私の視野の中で5名ほど割と大きな転機を迎えたようだった。転職、結婚、出産、引越し。様々のイベントが起こり、その内のいくつかではお亡くなりになった方もおられた。

生まれて最初に解る事が死ぬ事ではある。他の事情はわからない。大過なく過ごせる人も居れば、あるいは、大病を得る人も居るだろうし、家族・友人に恵まれる人も居れば、仕事で大成功する人も居る。全ては当人の努力次第なのかも知れない。けれども、そういった不確定な要素の中で万人に平等に訪れるのは死ぬ事だけだ。

いつも死ぬ事を考えている事が大事だとは言わない。ただ、確実な出来事は「死ぬ事」であり、確実に誰にも訪れることであるなら、その事はたまには振り返らなくてはならない。それが大人と子供の差なのでは無いかと思うのである。近頃では、成長が遅いとよく言われる。子供っぽい大人が増えたという話である。それは様々の技術が発達し、長生きできるようになり、戦中・戦後を乗り越えて、「死」について向き合った大人達の後輩や子供に対する優しさでは無かったか。「自分たちのような思いをすることは無い」という優しさの中で、私どもを含めた世代はある種の甘やかしを受けてきたのだろうと思える。

日本は豊かになった。路上生活者だって生きていけるぐらいには飽食ではあるのだ。そして、それはある種の豊かさでもある。その中ではそう簡単に危機感を抱えなくてはならないような事は起こらないということでもあるだろう。「子供には逞しく育って欲しい」それは全くその通りで、私自身もそうなって欲しいと思うが、私の周りに居る人々を見て、それほど厳しい教育をしている人々が居るようには思えず、私もまた娘には厳しく出来ない。

これでは何かを悟るような事は難しいのでは無いか?と思えてならない。生家ではない家族を持ち、家庭を作って、初めて、その事に本当の意味で差し当たるような事であるだろう。このような穏やかな心持ちで過ごせることは、家人のお陰だろうし、家族を持ち、家庭を持った事によると思うのだ。それまでは簡単には気が付かない。そう思えば、「近頃の若いもんは…」という言い草も中途半端な時期を迎えた証左では無いか。考えてみるがいい。ずっと年上の人々はそんなことを言わない。

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梅雨が明けた

なんというか、日記的な運用を目指してみたところが、今となっては月記のような羽目になっており、自らの適当さ加減について改めて思い立った。思えば、文章を書くことは嫌いでは無かった。けれども、優先順位は時と場合で変わるもので今は少々優先順位が下がっているということかも知れぬ。

梅雨が明けた。梅雨というのは必要な季節で有りながら、苦手な季節といってよい。個人的に夏があまり得意では無い。生まれ月が関係有るのかどうかは知らぬけれど、10月の生まれであり、冬生まれとして苦手ということはあるんだろうと勝手に思っている。

今年の夏はどうするか?と毎年の様に考える取り組みがあるには有るが、その暑さに耐えられるかどうか?を優先に物事を考えてしまうので、その事にまで追いつかないで居る。自分の自堕落というのはそういう部分を指すんだろうと改めて感じる。

そういえば、参院選の選挙カーの演説が暑苦しさを加速させる夏である。国政に限らず、都道府県、市町村ベースも含めれば、そこそこに選挙というのはある。特に何処に入れるというのは本人の勝手であるし、主義主張は各人の自由であると思っているので、私はどのような選択肢を選ぶ人が居たとしても、その人との縁を切るというな事はない。その主義主張が、私とかみ合っていなくても私以外の誰かとはかみ合うのだろうし、その事についてとやかく言うことは、私があらゆる面で大切だろうと思っている。多様性に対する否定に繋がると思っている。

今月、来月辺りは少々の「遠方より友来る有り」が多い。遠路を訪れ、私との時間を持ってくれようとしてくれる人々に対して、感謝の念がある。そして、自分の考えとは違う考えや思慮感じ取り、行き詰まりを打破する一歩目になったりする。自分自身の行き詰まりについては常々考えているのであるが、その行き詰まりが自分自身に原因があることが8割程度あるように思える。世情や環境などの関連する事象によって、自分が影響を受けていると考えるのは少々考えすぎの感があり、本来は自分自身の身の処し方以外には物事を動かす部分は無いと言って良い。

自分自身の身の処し方などというのは人から言われて変わるモノでは無いと思っていて、自分自身の強い信念のみがそれを変える事が出来る、それも長い時間を書けて培っていかなくてはならない。「明日から出来る○○」「劇的に変わる○○」など多くの本や事例が紹介されて、あたかも、それが魔法のように願いを叶えてくれるのではないかと錯覚させるようなことは多いが、実際にはそんなことは無く、スポーツの経験や資格試験への取り組みの経験がある方なら解ると思うが、長い時間をかけた努力と執念が実を結ぶと言って良い。当然年齢やステージによってそれは変わるモノだが、基本的にはかけた時間が全ての源ではあると考えている。掛けられる時間は若さ(残された時間)や立場によって異なるとは思うが、まだ、三十路。まだ、命脈尽きるには早かろうとは思うのである。

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6月になっていた

GWが終わったと思えば、気が付けば、6月であった。あっという間に時間が経つなあと思う。忙しさを理由には出来ない。ただ、自分を律することが出来ていないということだろうと思っている。雨は少ないが梅雨入りもした。一年の半分が過ぎようとしている事に多少辟易し、日々の生活について考えているうちには、果てしなく続いている仕事という事について少々妄想じみた何かを感じて、あるいは、明日からは何もしなくて良いのではないかというようなことを考えてしまうぐらいにはすり減っていたようにも思えた。そういう三十路である。

自分で自分の考えている事を前向きに何かの形にして、顕わにする事を避けるような性質は誰でも持って居て、大人ならそれが嗜みであると言わんばかりの事なかれ主義と空気が読めない程度には強気に出てくる主張とどちらが正しいのかという答えは私には出せないものであると結論づけて、私は関わりなく「柳に風」で生きていたいと思っていたのであるが、当事者である事を前提に話を進められるような事ばかりで「渦中」に投げ込まれるという事が多くなり、消え入るような声で「そうですね」と答える事が段々と増えてくる。

「心の安静」などという安い言葉で解決出来るようなことでは無い。そのような心持ちになって、数年が経過しようとしている。キッカケは何か?と言われたら、そのキッカケについては思い出せない。しかし、周囲の動きに対応した動きを自分が行っているうちに没個性とも言うべき何かが発生し、自分自身の身動きを知らず知らずに制限しては居なかったかと、年に数度は思い付いた様に豁然となるわけだが、そのような事は永遠と続くようなことでもなく、禅の種類で言えば、私は「漸悟」なのだろうと思っている。到底「頓悟」の境地にはたどり着けそうも無い。

娘が8月で2歳になる。2歳がどういう年齢なのかは私には少々不明なのだけども、物心というのが段々と付いて来る年齢なのだろうとは思うのである。人で無いモノから人へと変わっていくような様子があるんだろうと思う。それは生物としての人であるかどうかではなくて、心の持ちようであり、彼女が成長するにつけ、「個」として立っていく過程を間近で垣間見ているということでもあるだろうと思う。どのような大人になるかということを予想することは困難だといってよい。月並みな事かも知れないが「人に迷惑を掛けない大人になって欲しい」というのはある。ただ、「人に迷惑を掛けない」というのはアクティブに前に出ないということも無いし、目立たずにやって欲しいということでもない。人は生きている上で関わりを持たずに生きていけるわけでは無い。その関わりの代償として、金銭というモノが存在していると言って良い。

あなたが食べたものはあなたが材料を栽培し、漁業を行い、畜産を行ったわけではあるまい。そこにはその行為を仕事としてさらに言えば、誇りを持って行った人が居るのであって、その事で食べられるということである。逆に、自分自身の生業を通して、某かの関わりの代償として金銭を得ているということでもあり、その金銭の循環が最小単位を家計とした経済としてぐるぐると渦を巻いているということである。その渦の立ち位置によって、自分がコントロール出来る金銭の金高が変わってくるということである。より多くの金高を得る立ち位置は、それに伴ったリスクが存在しており、そのリスクまでも呑み込む。または、コントロール出来る人だけが、その立ち位置を守れるということだろう。

そう言った事を話す時が来るのか、気が付くのかは今のところは解らぬけれども、彼女自身もそんな循環の渦の一人として、世に出ており、自分の意思で動かせる要素が増えて行く過程をどのように乗り越えていくのかを眺めていく事を愉しみにしている。願わくば、当たり前にそれらをクリアし、独立の道を早期に歩んでいただきたい。私と家人には娘とは関わりのない時間が待っているはずだし、その時間を持つ事が許されるぐらいには、今の日本人の寿命は長いと言って良い。

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日々の雑感

世間ではGWにお休みが多いということではあって、GWも人並みには取れた。カレンダー通りではあったけれども。

家人が娘を連れて、知人の結婚式に出席するということで実家に帰っていた。家人の実家は群馬県であり、何度か行ったけれど、なかなか、移動に時間が掛かる。飛行機で福岡から東京というと割と簡単に移動できるわけだが、羽田空港から群馬県までが結構な距離であって、この距離の大変さは移動した人にしか判らないかも知れない。飛行機に乗っている時間以上に電車で移動しなくてはならない。

かくして、私はその家人と娘が実家に帰っている間、一人暮らしを思い出すような日々だったのである。一人暮らしがそこそこの時間あったので、一人で住み暮らす事について、特別の問題は無い。その事で苦労を感じるほどでも無いのだが、それでも、もう、二人で暮らし、娘が居る生活に慣れてきている自分にとっては、その事の方が楽に廻っているということでもある。自分自身の中でその方が良いと思ったから、そうしているのであって、その事を心地よいと思わなくてはならない。娘の成長は再び著しく。日々の日本語の精度もぐんぐんと上がり、毎日の会話が楽しい。嬉しい。早く家に帰りたいと思える毎日はいつぶりだろうか。そのような毎日を欠かさずに見逃さずにいたい。そのような思いは生後間もない娘を見たときよりも圧倒的に強まっている。こうして、父莫迦とも言うべき何かが続いていくのだろうと改めて感ずる。

近頃は別のSNSで経済問題について少々の文章を書くことが増えた。何故かといえば、今の日本は大変に興味深い経済状況にあるし、回復か崩壊かの二択を迫られており、自分自身の身の振り方について、徹底的に見ておかなければ、雇われの生活だけで進んでいけるほどには甘くない世の中になりつつあって、自分自身を守る、家族を守るという「家長」としての役割を考えれば、日々の勉強は欠かさずに行わねばならない。そして、そのようなことに多少の興味と面白みを見付けなくては到底続くモノでは無い。自分自身が雇われで暮らしているということは、そう言った事情を勉強する事をある種否定しているということでもあるからであり、それを完全にこなせるなら自営するという道を選択するわけであるから、それをして居ない時点で、そう言った部分を切り捨てて暮らしてきたはずだと思うからだ。切り捨てたモノをもう一度拾うというのは生半の気持ちで出来る事でもない。

さて、5月の後半には一件の約束と8月には家人と娘の誕生日もある。忙しい夏が始まろうとしている。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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