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日常の由無し事を書きつくっています。
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    HN:
    filemente
    性別:
    男性
    職業:
    シス管/パチプロ
    自己紹介:
    田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

    学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

    結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

    更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。
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    新年度である。日本だけなのかどうか、年明けと年度明けには少々意味合いが違うものがあって、4月の初旬のお祝いムードはその人の生活によって異なるといってよい。ある人は新年こそが一年の始まりと思うだろうし、ある人は新年度こそが新しい年であると思うだろう。それは人それぞれのことである。

    我が家ではどうかといえば、家人の奉職する職場が12月が決算月だそうである。私が奉職する企業は1月が決算月であり、双方ともに、3月ぐらいまではそれなりに巻き込まれることが多い。そんな中、娘は4月で進級するわけで、彼女にとっては明日の進級式から先がある意味の新しい年なのではないかと思う。新しい教室の場所を説明し、自らの名前の入った靴箱を案内する様子を見れば、それなりに楽しみなのであろうことは理解できた。自慢気に案内する靴箱には既に名前のシールが貼ってあり、今日も、私が私の母と共に出掛けた時にねだられた黒に紫の色使いのスニーカーを履いていた。そればかり履いてはボロボロになるだろうし、成長期の娘にとってはもうそろそろサイズも合わないことも有るだろうけれど、履きつぶすぐらいに気に入ってくれていると思えば、それはそれで嬉しいものだ。

    通勤時に見掛ける中にどうやら新社会人だろうと思われるリクルートスーツ姿の人をちらほらと見掛ける。また、どうやら、新しく進学したのであろうか、真新しい制服を着た中高生の姿もある。リクルートスーツにせよ、制服にせよ、それが馴染むのはひと夏を超えてからのような気がする。ネクタイの結び目一つ見ても、それはフレッシュマンのそれであって、少しいびつながらもしっかりと締められているものでなかなか新鮮だ。私のようなベテランのおっさんになるとネクタイの結び目もそれなりにしっくりと合わせる技術が身につくし、そこまでしっかりと締め切らずに結ぶ人が増える。それが馴染んでいる目印の一つなのかもしれない。

    私は通勤時間はそれほどコロコロと変える方ではないので、ほぼ同じ時間に同じ道順で通勤している。その為、通勤路では同じ自動車に出会い、同じ時刻表のバスに出会い、どうやら、通学、出勤する人たちともほぼおなじ人々とすれ違っているようで、何度もそれが続くと、面識こそ無いが、なんとなく、見知ったような心持ちになって、「おや?新車に乗り換えたか」とか、「おお?彼女が出来たか」とか、「第二子ですか?おめでとうございます」などと勝手に親近感を持って眺めていることがある。期せずして、「おはようございます」と挨拶を交わす仲になるようなこともある。そうすると「おお!おはようございます!お久しぶりです」と名も知らぬ相手に一声掛けるような場面まで出てくる縁は奇なものである。

    そのような親近感がなんとなく社会の縮図のような気がしてならないのである。この類の社会の縮図が元々の縮尺に変わったものが、今の世の中なのではないかと思えてならない。どんよりとした閉塞感のようなものが世に蔓延していても、この季節の前述のような事によって、私は何やら、くたびれた自分にももう一度活を入れようという気になるのである。とりあえず、5月の連休までに歯の治療を終えよう。そういえば、私の尊敬する出来る人々は忙しい中でも自分自身のケアをおこたっていなかった。私もそれに習おう。そして、フレッシュマンと一緒に仕事にかぎらず何かをやろうと思い立ったのである。

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    年も改まって、早くも20日を過ぎた。このようなタイミングで年始というのもおかしな話ではあるが、年末年始とバタバタとしており、また、我が家では思いがけぬトラブルで自家用車の買い替えなども発生したせいで、今のような次第になった。

    2015年はは暖かかった。が、2016年に入り急速に寒くなり、この週末では久方ぶりの大雪となる予報でも有り、警戒しているところでも有る。思えば、一昨年から昨年にかけて、母が入院し、退院しの間に、祖父が亡くなり、その間には様々のことがあったと、時間を取って思い出せば、思い出せることだけれど、改めて、頭を巡らせなければ、思い出せないぐらいには激動の年であり、それは毎年、年末の振り返りの時に思い出す感情なので、つまりは激動でない年は無いということになるだろうか。我が家のイベントごとは、8月と12月に集中しがちであり、8月は家人、娘、母の誕生日が連続しており、12月にはクリスマスやら結婚記念日やらが集中しており、どちらの月も割りと忙しく消費行動を取ることが増える。

    仕事上では、また、次のポジションへと進捗があり、来期はそれなりに成功した部類へと言われるような立場になるかもしれないということで、個人的にはそういうことを求めていないのだが、現場を離れることを今よりも求められることになり、それはそれで淋しいとも思うが、私自信の能力では今よりも更に根を詰めなくては生きのいい若者とやりあえるだけの膂力を出すことは出来ないだろうと思う。高齢化したプロレスラーがテクニックで魅せてくる中で、若くて伸び盛りの若手の我武者羅な戦いぶりと退治し、引退を決意した瞬間というか、著名なAV女優が「やりきった」のセリフを残して引退するとか、そういう大げさなことではないが、自らが老害になり始めているだろうということを悟った数年前から引退へのカウントダウンは始まっていたのだろうし、それに未練を持っていないといえば、嘘にはなるが、清廉たらんとすれば、身の引き方は取り組み始めることよりも層倍難しいことだろう。こうして、そのようなことを考えながら、仕事の合間を見付けて、自らの整理をし、いくつかのノートやメモ書きや自分が作ったファイルを整理整頓し、後継が解るように整理する作業をここの所行っていたわけである。

    ある時、家人に声を掛けられた。家人は私が何かに腹を立てているように見えたかもしれないが、家人に腹を立てていたわけではなく、延々と連続した思考の中で、諦めることと続けなくてはならないことと新しく始めることを整理していただけで、その整理する事柄の中には自分が長年可愛がってきたものもあり、愛着を捨てきれない自分がおり、それでも、諦めたほうが迷惑が掛からないだろうということもわかっているのに決断できない自分に苛立っていたわけで、一種の八つ当たりのようなものでも有り、どう考えても私が悪いのである。それぐらいにはいつまで経っても進捗できない自分と自分の力不足でまとめられない案件とそんなことにすり潰されていた。全ては自分の力不足であると認めているのに、認めても認めてもまとまらず、最終的には幾つかの酷な決断もした。降格人事もあれば、昇格人事もあり、あるいは、大幅な配置転換もした。人事は私の得意とする所ではない。しかし、人事はどのような組織でも必要不可欠なものでも有り、誰かがそれを遂行しなくてはならない。

    新年早々に幾つかの研修を受けた。そして、資格取得のための試験も3月末まで続いている。休みはほぼ無い。2016年も動き続ける列車に乗って、出来れば多少なりとも、家族を牽引できればと願っている。

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    家人が転職した。というのも、本人が希望して、そうなったわけではなく、家人の勤め先の都合によって、余儀なくされた話であった。その辺り、経緯については家人がブログに書いていたので、知っている人はご一読くださればと思う。

    そういうわけで、家人の職探しが始まった。職探しについて、私としては自分の持っている知見で「このような住所であれば通勤が楽なのではないか」「◯◯社については私も取引をしたことがある」などというような周辺情報を伝えるなどした。ハローワークインターネットサービスも活用した。なかなか見やすい情報が出てくる事に感心した。あるいは、他の求人サイトについても、勤め先の関係で、その手の企業とのやり取りを持っていたので、ちらほらと観ておくようにした。家人の性格からして、落ち込むことは目に見えており、最悪、欝状態も十分にあったわけで、その状況に長く置いておくことは得策ではないと判断した結果の行動であった。

    最初の3件ほどは縁がなかったものの、一度、気分を一新し、検索範囲を拡げ、気になる職種についてよく見直し、そして、応募した数社の内の一社から、他社に先駆けての内定が出たということである。この日が期せずして、私の誕生日の日であった。こうして、9月末から10月末までの一月ほど期間で次の一歩を踏み出した。

    その間には様々なお声掛けもいただき、ご協力もいただいたので、その方々に感謝しなくてはならないし、私の関連の方にも、数人に打ち明けた結果、「うちの面接受けないか?」というようなハンティングのような話まで飛び出していたので、その中で、自分で見つけた新しい職について本人が満足してくれればと願って止まない。

    このような時、夫としてどのような心持ちでいればいいのか?ということを考えてみたが、取り立てて、大きな騒ぎにすること無く、保険、年金、税金といった部分についての手配を行うと同時に、平常を維持しつつ、ちょっとした家事のお手伝い等についても、引き続き継続していくぐらいしか出来ることはない。あとは、職がなかなか見つからなければ、自分の持っている縁の中から相談するか、専業であっても問題がないという安心感をどれだけ出せるかを考えるしか無い。

    そういうわけで、再び、共働きの日常が戻ったが、家人の勤務時間が前職よりも早まったので、朝の支度が少しだけ忙しくなったのが変化かもしれない。現在、我が家では23時就寝5:30起床が推奨されている。出勤時間は家族全員が7時15分~7時30分の間ということになる。なんとも、健康的な話ではないか。その原因が何にせよ。家族の習慣が変わる様というのはなかなか愉しい。今年もあと僅かにはなったが、その僅かの間にこの習慣にも慣れていくに違いない。

    「結婚」「娘の誕生」「家人の就職」「実母の病気」「家人の転職」とこれまでの転機を思い出せば、毎年のように何か起こっている。誰の人生も平穏なものなどなくて、「毎日がドラマティック」それもむべなるかなと思う次第だ。

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    というわけで、8月28日で、娘が4歳になった。健康であることが私ども夫婦にとって、何よりのありがたさであることは言うまでもない。

    さらに、今年、娘はついに、おむつを脱した。今や普通のパンツを愛用しており、トイレトレーニングはほぼ完了したと言ってよく、強めの自己主張と独特のセンスが垣間見える気がしている。順調な成長と言ってよかろうし、三才途中から始まった反抗期も今も少し垣間見えている。

    現在、娘には「やり遂げる」ということに関して、強く伝えることにしている。家人は礼儀作法、挨拶などについて厳しいが、それは家人が十分に指導していることであり、既に、身についているように思えるので、私は一つのことを「やり遂げる」ということにしつけの方針を向けたということである。一つのことをやり遂げるというのはどういうことかというと、身近な例で言えば、こういうことである。例えば、娘が何かのおもちゃで遊んだとする。しかし、次々とおもちゃを引き出し、辺り一面に散らかしたとしようか。その時、「片付けなさい」と言うのは当然のことであるが、その手前に「一つのおもちゃで遊んだら、次のおもちゃを引き出す前に前に遊んでいたおもちゃは片付ける」という約束を取り交わすのである。そして、それを徹底させるということである。約束を守れなかった場合は、どちらのおもちゃも私の手元にある袋に詰めてゴミ箱へ捨てる。当然、泣くわけだが、約束を守れなかったのは誰なのか?について伝える。私がやっていることはこれぐらいで、後は、甘やかしと言われる程度のことであって、世間の父親がどのようなものかは私には認識が余り無い。

    早くも、4歳。あと、3年ほどで小学校へ入学するということで、次々と進捗する娘をこれからもしばらくは観ることが出来るだろうと思えば、愉しみなことである。父としての私の評点が出るのはまだまだ先のことであろうけれど、自己採点で15点ぐらいの父親だという自覚がなんとなくあるので、せめて、50点ぐらいにはなりたいと心底思う。あと何年、一緒に居れるだろうか。早ければ、あと、10年そこそこで家を出るだろうから、それを考えれば短いような気もするし、「せいぜい、働きますよ。お父さんは」と娘に言ったところが、「うん。頑張ってね」と、意味が解っているかのように返されたので、せいぜい、仕事に精を出す事にしましょう。

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    祖父が、先週、旅立った。祖父の信仰する宗教で言えば、「出直した」ということになるということだそうな。肉体は借り物であって、魂は再び神様の所に一度戻って、また、肉体を借りて、現世に戻ってくるというようなこと。なるほど、そういう宗教も有るだろうという理解はしている。

    88歳という年齢で祖父は亡くなったのであるが、平均寿命なるいい加減な統計から考えても、長寿と言えるのではないか。数年前までは随分と元気だった事を考えても、それはありがたいことではあったろう。

    祖父との思い出について語りだせば、それはかなりの長さになる。小学校に上る前には、私は祖父母によって、養育されていた時期がある。それは、祖父が怪我で自宅に居たことも有るだろうし、弟が産まれたばかりでもあったので、父母にとっても都合が良かったのかもしれない。

    そういうわけで、祖父母との思い出は枚挙に暇がない。様々な場所に連れて行ってもらったし、周りの子供達が羨むようなプレゼントも貰った。昭和一桁産まれの祖父にとっては、モノの豊かさは善であり、あるいは、飽食は善である。程々の物を使うということも考えていなかった人であり、暮らし向きは別にして、メガネや腕時計に至るまで、随分と良い品を使っていたことを思い出す。若いころから、洒落者で通っていたらしい。

    あまり、広範囲にお知らせをしなかった事もあって、簡素な式であったが、親類縁者は集まり、祖父のことを思い思いに語った。その場で立ち止まる事が許されるのはせいぜい祖母のみであって、私を含めた他の者はすぐに次のことを考えなくてはならない。これからしばらくは相続も含めて、多くの時間を取られるだろうが、それもまた、人が暮らしていく上で致し方のないことであり、滞りなく、それを行うことも私に求められている事なんだろう。

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