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片田舎で働くシステム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

騒ぎが大きくなっている間に

「コロナ禍」で良いのかどうか。この騒ぎはどうしようもないことでもあるし、誰が何をしたからどうなったということでもないこの病気を発端にした騒ぎである。手の打ち方が気になるとか、色々な見方はあるのかもしれないが、結果としては、外出の自粛騒ぎが全世界で起こっているということでもある。

昔、小説でバイオテロをテーマにしたものがあった気がする。タイトルを思い出そうとしたが思い出せない。ここで「私の記憶が確かならば」と語り始められるほどの記憶力は今の私には無いようである。「私の記憶が確かならば」という言い回しの元は「料理の鉄人」ではなくて、アルチュール・ランボーの「地獄の季節」の一節であったと思う。アルチュール・ランボーはフランスの詩人であり、その原文はフランス語で書かれているが、学がないのでその原文をそのまま読むようなことは出来ておらず、日本国内で最も多く流通しただろうし、読まれていたであろう小林秀雄の訳によるものを読んだ記憶は朧気ながらある。その続きは「私の生活は宴であった」と続くものだった気がする(訳文では「私」ではなく「俺」だったかもしれない)。「宴」は概ね良い意味で使われ、柳田国男で言うところの「ハレとケ」で言えば「ハレ」でもあることではないかと思う。しかし、今回の騒ぎは「ケ」ではあるが、明暗の「暗」部分の「宴」のような気もする。「宴」は何かのきっかけをもって、始められるものであり、その「宴」は始まりや終わりを告げるものであることが多い。今回の「宴」がどのような事柄の始まりなのか。あるいは、終わりなのか。その結果は数カ月後、あるいは、数年後には結果が出るということであろうか。余談が過ぎた。

そのバイオテロのテーマの小説では、最後の解決への道筋はほとんどのフィクションにおいて「覚悟を決めた科学者や医者が特効薬のようなものを作ったり、ワクチンを作ったりし、消防、警察、軍隊などがそれをもって解決する」とか、「地下から過去の遺産のようなものが噴出して解決する」とか、「宇宙から謎の生命体が解決策を持って来てくれる」とか、そういったことがほとんどであり、それを能動的か、受動的かで分けると「小説的なお話の構造」が何種類か作れるというようなことである。これもタイトルを忘れてしまったが、小説の書き方のような本の中には話の筋を単純化し、分類するような手法を紹介するものもあって、ベストセラーと呼ばれるような小説もいくつかの類型にできるというような結論でもあった。その類型に納得出来る理由は現実の出来事もその類型のように進んでいく部分は少なからずあるということでもある。つまり、今回の騒ぎの結末は「特効薬やワクチンが開発され、十分に行き渡りインフルエンザと同様に流行性のなにかであると認識されるまで続く」ということではないかと思われる。

寡聞な中でも、そのような動きが進んでいることは聞き及んでいるが、そんなに短時間にそれを開発できたとか、出来るとかいう話は報道されていないので、もう少しは続くんだろうと思って、傍観しているところではある。勤め先の関係上、十分な注意は必要ではあるので、各種のイベントを全て中止(入社式とかそういう季節ですね)するとか、会議を減らすとか、出張を取りやめるとか、色々と事が起こっているのは事実ではあるが、それもこのご時世で致し方のないことであるとも思う。不謹慎の誹りを免れないとは思うが、私個人として思うことは「普通に暮らす」のが一番いいんじゃないのか。ということであり、それ以上でもそれ以下でもない。自分の日常を維持しつつ、周りの変化に必要以上に首を突っ込むことはせず、最小単位である自分自身、次の単位である家族、さらには、友人、職場というような少しずつ大きな単位に合わせて、出来るだけ日常と変わらないように毎日を過ごすことが正解なのではないかと思えてならない。慌てて何かをしたところで余計な混乱になるだけであり、そのようなことは過去の事例にも少なからず存在しているということでもあるのである。未来には学習することは出来ないが、過去には学習することは出来るし、起こっていない事態には備えることと心配することしか出来ないが、起こった事態には「最善の対処・対応」をすることが可能であるのだ。

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娘が8歳になった。

娘が8歳になった。

三日前のことである。全くもって、早いことだと思う。娘の成長は毎日楽しいものだが、自分で言うのも何だが、私が何かをして育っているという印象ではない。どちらかと言えば、自然と自発的に育っているように思える。それが人間としての成長なのかと思う。

転職という選択をした結果、私の郷里を離れ、家内の郷里へと引っ越しすることになった。転居はなかなか大変な思いをする。そうそう簡単なものではない。なにせ独り身ではないのである。家内も娘もおり、私の郷里には少ないながらも自分の身内もいる。

しかし、それらの問題の前には、家内と娘をどうするか?という問題があり、家内の中では娘をどう育てて行くべきかという問題が横たわっている。優先順位の問題で、その優先順位が夫婦では一致しているということでもある。少なくとも、社会に出るまでには、示しておくべきことがあるのだし、それを識った上で社会人としてのデビューを果たしていただきたいし、そうであってほしいと願っている。

転居は果たして、娘の心持ちに少しばかりの影響を与えたようにも思う。彼女には新しい友だちが増えた。土地柄もあるが、海外の友達も出来たと聞いた。日本的に耳慣れないその友達を私は面識が無いのだけれど、それぞれの出身の国柄が現れた性格や生活があって、大変な刺激であるようでもある。

2年生になった彼女には少しばかり勉強をするツールを増やした。いわゆるタブレット学習というやつである。思ったよりも面白がっているように見えるので、効果は高かったのではないかと思っている。また、スイミングに通い始めたことで水に対する親しみも得たようで、毎週通うことで、運動能力の発達にも繋がるのではと思っている。

かくて、転職し、転居し、転校し、なんとか半年ほどを送ることが出来た。あと、何年、この場で仕事をしているか?は、今の所はまだ見えないのであるが、次の事情が出るまでは今の生活を続けていく事になりそうであるし、家族を養うのに不足が無いのであれば、様々な選択があるようにも思える。若い頃にもっていた心持ちが長く思っていなかったことで錆びついていたようである。今年はその錆びついていた心持ちに油を差して漕ぎ出したような気持ちになっている。

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娘が7歳になった。

少し通り過ぎてしまったが、娘が無事に7歳になった。七五三的な考えでいえば、彼女も人の子になったということである。一個の人格として認めることは非常に大事なことであるが、それにつけても、近頃の娘の成長は著しいと思っている。家人は娘に色々と期待している部分もあるのかもしれないが、父と母では娘に対する目線も応対も違うものなのだろうと思えてならない。周囲の方々に恵まれていることもあって、無事の成長でもある。到底、私だけでは不可能であり、私と家人だけでも難しいことでも有り、友人の助けやら、周囲の方々の助けがあって、はじめて成り立っているんだと改めて感じることでもある。

7歳になる歳なので、彼女は今年の4月から小学生となった。小学生といえば色々とあるとは思うが、今の所は、学校も楽しいそうである。学校が楽しいと思える時代がどれ位続くのか?記憶は定かではないが、彼女にとって、学びの場が楽しくも、愉しい場所であればと思う。自分の芯になる「何か」。それも、綺羅綺羅とした「何か」。そんなものを見つけてほしいと思っている。人がいつまで綺羅綺羅しているのかはわからない。今の娘は私から見て、綺羅綺羅としたものを持っているように思える。それを彼女が失ってほしくないと願って止まない。

数日、私が家族について考えている時に、当たり前のことに、再度、気が付くことになる。それは、私にとって、娘は永遠に娘であって、その娘という属性を彼女自身が、進学や結婚や出産などのライフイベントによって、変化させたとしても、私にとって彼女の属性は永遠に娘である。私にとっては、常に一番可愛い娘であって、世界中の誰かが、何かを言ったとしても、あるいは、彼女が、何処かで他人から、何かを論われたとしても、そんな事は全く関係のない話であり、私にとって、最愛の娘であり続けるだろうということは疑いのないことでもある。しかしながら、あと、13年ぐらいすると成人して、世に出ていき、自分の元からも居なくなり…。そういった話も出て来るのかと思えば感慨深い。姉も妹も居ない私にとって、娘の成長の姿というのは、なかなかに不可思議なものを感じさせる。息子が居ても同じ気持ちになるものだろうか?と不思議に感じたことである。男女の差は後天的なものではなく、先天的な要素も結構大きいのだなあと思える。

娘が小学一年生なら、私も父親小学一年生。そんな父親小学一年生も娘が持っているような「何か」を見付けることが出来るだろうか。今はまだ娘にも、家人にも、到底及びもつかない「愚にもつかない」自分を顧みるばかりなのである。

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新年を迎えて

新年ということになった。2018年である。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

毎年、年末には某かの日記を書くことを自分でやってきたのであるが、今年はそれが出来ていない。忙しさは理由にはならない。ただ、書いていないだけでもあるだろう。

昨年の秋から、転職活動を本格化している。自分で言うのも何だが、そんなに簡単に考えているわけではない。転職というのはそれなりの労力を伴うものだし、自分自身がその渦中に自分を置くというのはそれなりのリスクを取るということでもある。黙っていれば、家族が食べていく程度の収入を得ることは難しい事ではない。自分自身がやっている仕事に対しても、多少の自負はあるとも思う。自分が居なければ仕事が廻らないとまでは思わないが、少なくとも、自分が行っていることが無駄なことではないとは思う。

しかしながら、自分の身勝手だけで暮らしていくことは難しい。祖父母を無事に送ることが出来た。こうして、私の身内は大きく分けて、直系の親族では母と弟の二人だけということになり、傍系では従兄弟のみとなった。私が大きく気にしなければならないのは母のことだけということになり、その母も大病を乗り越えて、自らで立とうとしている。

私は次はどうするのかと言われたら、家族を中心に考えなければならない。つまりは、家人と娘のことである。今のところは私を含めた3人家族であり、この3人家族の小さな集まりが私にとっての中心となっている。この暮らしを廻していくことが、私の目下の命題であって、それに関しての最良を目指していかなくてはならない。それを妨害するものは除外しなくてはならず、障害になる要素は少しでも少なくする必要がある。

家人は三十代前半である。私は四十路。つまりは、不惑である。あと、20年弱は娘の行く末を見守る必要が少なくともある。そこに対する責任は果たさなくてはならない。その後、娘がどのように成長するかについては、私がとやかくすることではない。自己責任とは思わないが、目鼻を付けて、生活力を付けてやることぐらいしか、私が出来ることはない。そのために最良を探すことが私に求められていることでもある。

「仕事にやり甲斐」などというのは綺麗事であり、その見返りを求めて行くと決めたからには、綺麗事だけで仕事をするつもりはないということでもある。「金に色は付いてない」ということであり、そのことに考え至っている。まだ、「金に色をつける」には至っていない(個人として)ので、娘が大きくなっていく課程でそのようなタイミングを目指したほうが良いかも知れないとも思うが(つまり、宝くじ当たりたい)。

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転職という行動1

転職しようとしているということを広めに表明した。というのは、別にそれによって、何かの副次的な効果を狙ってのことではない。ただ、自分自身の年齢とか、経験というものを考えた時に、それなりの苦労は有るだろうということは自明であった。10月の末に自分自身の誕生日を迎えた。不惑ということになった。私は孔子のような大人ではないので、到底「惑わず」などという境地に達しておらず、毎日「惑いまくって」居るわけで、惑いまくっている40代を自分の企業に迎えようというのは、ある意味「酔狂」なことではないかと思わないでもなかった。

ここに、若手との大きな差があって、20代を育てて、使える30代とし、その後の自発的な成長をもって、企業の力とする。そんな考えがある。しかし、40代となれば、育てるというよりも「やってきたこと」と「やれること」を問われると言って良い。実績の一つや二つはあって当たり前で、40代になって、勤め先でそれなりのポジションにも付いておらず、周りの同業他社に名前も知られておらず、あるいは、外部的な実績がゼロなどということになれば、それは厳しい状況になるとは思うが、自分自身を棚卸しした結果、今の勤め先での実績はそれなりであったし、早くから管理部門に関わってきたお陰で、何処の企業にも必要なスキルはそれなりに身に付けていた。

というわけで、自分自身を「棚卸し」してみた。一般的に言う所の履歴書と職務経歴書を書いて、所持している資格等についても記入した。細かく書けばキリがないところなので、代表的なものだけを書いておいた。それを幾つかの転職サイトと転職エージェントに登録した。広告メールに混ざって、スカウトであるとか、エージェントからの紹介案件が毎日届く。全て目を通して、書ける限りは記入して返事をしている。幾つかの企業からオファーを受けた。面談日の設定を申し入れられている。

今回は家人の実家の近くの関東方面をメインに探している関係で、何しろ、遠方である。特に、交通費を下さいとは思わないのであるが、エージェントは「交通費の支給はありません」と毎回断ってくる。私などより上級な転職者については企業側が交通費も当然支給して、お出で頂くということなのかもしれないが、私のような田舎の山猿が間違って、彷徨い出るだけのことに交通費まで貰おうとは思わない。また、私の勝手で面談日を設定していることでも有るので、そこまでは言えないとも思っている。

書類の段階で、私自身が気になっている企業にしか、オファーを出していないし、それで断られた企業も有る。その中で、面談を設定してくれた企業に対しては、面談で十分なお話をして、私自身の評価を行って、採否を検討してもらえるだろうし、私自身も自分の思うところを持って、相手の企業が大事にしている部分について、見せてもらえればと思っている。

面談をする側としてはそれなりに長くなったが、自分自身の面談は本当に久しぶりで、何やら、ワクワク感すらあって、久しぶりの気持ちで新鮮だなあと思っている所なのである。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

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