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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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新年を迎えて

2013年を迎えて、かれこれ、一週間程たっている。本来はもう少し早く書こうと思っていたのだが、今回は少々遅くなった。

まずは、あけましておめでとうございます。の挨拶である。

2013年がどのような年になるのか?は一年の最初に思いつくことではあるが、まあ、それは良い。年の瀬までは判らぬことでもあるだろう。一年の計が元旦にあるのは事実であるとは思うが、終わりよければ全てよしということばとは表裏であり、今の段階で今年を占うことはできない。ただ、簡単に過ごせる一年ではあるまい。

私自身、年男である。三度目の。三度目の年男と四度目の年男は勝負の年と言ってよい。壮年を迎える自分を省みて、到底、壮年とは思えない自分を見つけるのである。私が社会に出たころ、30半ばは最もアブラギッシュな世代だった。いろんな意味で。私は尊敬していた人も多かった。そんな人々と歳を並べた時。自分がその人たちに適う人たちだろうかと思いなおすのだ。到底適わぬ。自覚を伴わない加齢ほど悲しいものはない。

そうはいっても、家族を再び持ってしまったのだから、その家族のためには糧を得なければならず、家族の関係を崩す事もできまい。ともかくもまずはこの一年を良い形に乗り切るための自分でありたい。新年の最初の近いはそのようなところでどうか。明日は仕事始め。面倒事もあるには違いないが、それもまた、旨味だと思って、スタートを切りたいものである。スタートの準備(爪切りなどの身づくろいと洋服の準備)は終わった。あとは、早めに寝て、明日を思うことになる。

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仕事納めの日に

仕事納めである。いよいよ、今年の最終出勤日となった。何も無ければ、このまま大納会に出て終わりだ。2012年という年を振り返る日となった。

今年を振り返れば、多くの著名人が亡くなったというのを思い出す。それは私が歳を取った証左でもあるだろう。私よりも下の世代にとっての著名人は私どものそれとは違うのだろうから。さらには残忍な事件や事故が相次いだ。いじめを苦に自殺した学生の話など大量の事件が明るみに出た。大宅壮一は「一億総白痴」ということを言った。確かに、それは一時期完全にそういう時期を迎えたように思えるので、まさに、正しいことであった。テレビというメディアのお陰でそれは為された。次に到来したネットの時代には「一億層批評」の時代になった。ネットに溢れかえる情報を眺めて、それがソースがしっかりしたものなのか。自分の目で観たものなのか。そんな判断は抜きにして、それが全てだ思い込んでしまう。そして、情報発信も同様に出来てしまうために素人批評を繰り返す。私自身もこのようなことを発信している時点で。または、幾つかのSNSで何かを発信している時点で。その一端にあると言って良い。良くも悪くもそういう事にはなるだろう。自分だけが違うと思うほどの能力も無ければ、うぬぼれも無い。これが2012年という年に大きく顕在化した。幾つかの重大事件では無関係な他人の写真が出回ったりもした。その発信源が誰なのか?についての追求はともかく、それがソースに当たらぬままに拡散してしまう事には一種の危惧を感ずる。その事について自覚的でなければならない。自分自身の情報についても何処までを出しておくべきか?についての考えを持っておかないと何処で何をされるかは解らない。誰もがそれに耐えられるわけでもないのだから、自衛はしなくてはならず、その事は大変重要だ。何年も前から言われていたことだが、教育は技術革新の速度の前には追いついていくような事はなかった。

逆の側面から考えれば、旧態然とした組織とネットの反目がいままで以上に強まった。JASRACの問題などが分かりやすい。迷走するJASRACは近頃では雅楽のコンサートを行った人に対して、著作権料の支払いを求めるまでに質が落ちたという。ネット上での配信に問題があるというなら、その配信されたサイトから再生数に基づいた著作権料の支払いを受けるように姿勢を変更すれば良い。配信方法が増えたなら、その配信方法に合わせた著作権料受け取りを主張すれば良いだけの話だとは思う。

つまり、人の速度とそれ以外の速度に不均衡が生じて、それがより強くなったということである。これからの時代を予測するのは難しいが、その難しい中で、生き抜いていかなくてはならない。自分自身のこれからはより強く考える。では、よいお年を。次は新年にお会いすることになるでしょう。

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仕事納めの前日に

弊社は、明日の29日が仕事納めで。大体の年はそうなっている(土日の関係とかもありますが)。大納会と称する納会が行われる。たいした事では無いが、社員が集まり、会議室にて歓談。役員からの年の瀬の挨拶が行われる。挨拶の内容については、今年は恐らく世情を反映した厳しいものになるというのは解る。内部の人間にしか解らぬ事。とやかく言うことでもあるまい。

2012年という年が暮れようとしている。どういう年だったか?と問われたら、バタバタとしている内に年の瀬であるという感慨を打ち消す事が出来ない。歳を取ってからの一年が早いとは若い頃によく聴いた。あっという間に一年が終わるというのを実感する。「一年が終わる早さ」つまり「体感一年」が早いか遅いかについては個人差であるから、人それぞれとしか言いようが無い。しかし、その一年の中にも思い出せるイベントは多く有り、家人のこと、娘のことを思い出せば、色々な事があった一年ではあった。家人の仕事も安定し始めているようだし、娘の成長は著しい。私も自分自身を考えなくてはならないが、それを考えながらも、家族を守るということについて、今以上に自覚的に考えを進めなくてはならない。目の前だけを見ていれば、生きて行けたのは、独身時代の話で目の前は当然にクリアしながら数年後について、準備を怠らない事。これは何事においても重大なこととなった。このような変化については良いことであると受け入れている。好き勝手にはそれなりにさせていただいたので、次は好き勝手だけでは無い生活を持っても良いという年頃に入ったということだろう。

終わりよければ全てよし。一年の計は元旦にあり。

この二つはセット語られるべき言葉で。なんというか、年末年始に相応しい気がする。とりあえず、何事も無く、今年が暮れて、来年が迎えられれば万歳であると思っておくことにしよう。娘が産まれてこれからの未来を考えると「私たちが子供の頃よりも良くなる未来」を思い浮かべることは難しいが、そんな激動の時代を生きてゆく娘の未来を案じることは出来ても、切り拓くのは当人であって、私も家人もそのお手伝いしか出来ない。そういう達観はあるといって良い。では残りは明日に。

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総選挙の終了と年の瀬と

16日に総選挙であった。当日、翌日には見えないことも中一日で見えるようになったりする。世の中の動きは考えても考えても、先があるとは思えないような事で進んでいるような「ぼんやりとした不安」みたいなモノが蔓延していて、残虐なニュースが続き、厭世感までが漂っているような気がする。そんな世の中を変えるきっかけになれば良いと思わんでも無いが、そんなことを考えられるのも、日々の糧を得られているからというだけの理由で、日々の糧すら無い人間にはそんなことすら、考えられないだろう。全てが決め手にかけていた。政党は増加し、候補者は右往左往。居住地が有力議員の地盤であっても安心は出来なかった。その程度には「民主党」という与党が行った国政は我々に対して「もういい」と言いたくなるような「民主党」という党とその党に関わる人々に対しての嫌悪感が充満していた。身近な所では、祖父母が初の棄権を選択したそうである。祖父母に聴いたところ、行かなかったことはないと行っていたので、初めてなんだろうと思う。祖父の体調が悪いこともあったが、齢80を過ぎた政治に特別の関心が無い人間にとって、今回の様な状況で投票先を選ぶのは困難だったのではないかと思う。そのような事で、投票率が下がったということである。話題性と投票率はある程度の相関関係は見込めるように思うのだが、今回は話題性(この場合は期待されるべき話題性ではなく、単なる賑やかしに近い)には関係なかった。その結果というわけでは有るまいが、新党に動いた候補者は軒並み、小選挙区で落選する事になった。まあ良い。とりあえず、総選挙というイベントが終わり、いよいよ年末へと向かっているというところである。私自身にはいくつかの関心事はあったもののそういった関心事は集中力をそこに集めるには、盛り上がりに欠けるイベントではあった。決して、上向きそうも無い総選挙というイベントでも、為替と株の値動きがあったことだけは良いことであったと言えなくも無いのではないかと思う。

年の瀬である。もう、今年も二週間を切ってしまった。私はこの12月の末頃には、大抵、何か大きな見落としが無いか?という確認をする事にしており、その確認で何も見付からなくても、翌年の一日目にやることを考えるようにしている。仕事的な部分は決めるだけ決めて、支度をしておく。プライベートな部分については、例えば、読みたい本があれば、その本を読むというようなことである。持ち越さない方が良い仕事も確かにある。しかし、それは自分の中で塩梅する。誰もが自分の仕事をオープンにして居るとは限らないし、その仕事内容が全てに意味が通じるわけでも無い。「A1+A2+A3+A4+A5 = A」というような事もある。専門性が高い現場では当然起こることである。長く続ければ、お互いの事は解ってくるが、プロフェッショナル同士の不可分の部分にまでは踏み込まないし、踏み込めない。または、有資格者しか出来ない作業も厳密にはあるわけで、そのような事を考えていたら、そう簡単にはいかないとは思うのである。誰でも出来る仕事ばかりでは無い。そうそう簡単な仕事でも無い。そういう中で、自分の年始初日の行動を決めておくのは悪いことではない。是非、年内最終出勤日の片付けを下デスクの真ん中に自分へのメモを残しての退勤をしてみると良いと思う。休みボケの頭にはちょうど良いキッカケになるのだ。

我が家の年内の大きなイベントはクリスマス(12月25日で、12月24日のイブではない)の結婚記念日。恒例の外食の予定。さて、「何処で何を食べますか?」と言われても「まだ何も考えてない」というのが正直なところ。「まだ、考えていないなんて…」と言われそうだが、私と家人は予約できても予約しないと思う(どうしても予約しないと駄目なお店に行くという以外)。そういう在り方が夫婦としてのスタイルとして在る。

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子供が居る生活について

子供が居る生活に私はそれほど耐性がある方では無いと思う。というのは、私は親類が少ない家で育った(父親が実家と縁遠く、早くに亡くなったし、母親は二人兄弟であり、祖父母の親類にも母の世代から下の親類とはあまり付き合いが無い)からと言うこともあろうか、弟とは3歳ほど離れており、それよりも下の子供と一緒に遊ぶということがあまりなかったのである。

少しばかり、昔の話をすると、過去に同居していた相手に子供があって、そのうちの子供と少しばかりの「親子ごっこ」のような事になったことはあったが、既に、長じていたのでいわゆる幼子との生活は娘が産まれて以来の事と言えるだろう。娘が産まれて以来、蒙が啓かれるが如くに見えなかったことが見えるようにはなった。例えば、街を歩く子供連れの気持ちがわかるようにもなったし、以前よりも敏感に妊婦かどうか?についての気配りを惜しまないようになった。これは家族を持って、子供を持っている男性ならば、意識することと言って良い。そうで無くてはおかしい。自分に子供が出来るまではその意識は相当に意識して初めて出来る事ではあったが、今ではそれは自然な無意識の行動とも言うべき、織り込み済みの行動の一つであって、自分の変化を感じ取る事が出来るのである。

ふと、いつもモニターに出しているTwitterクライアントからこのような記事が流れて来た。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121119-00000002-voice-pol

この記事については読んでもらうのが良い。自分自身の良心とか、社会的な問題を考えずにただ読んで感想を述べれば、あるいは、「子供がうるさいのは耐えられないよ。確かに」という結論に達するかも知れぬとも思う。特に間違いとは思わない。時間帯やその時の状況によっては我が子の泣き声ですら辛いこともある。そして、公共の場に子供連れで出る事に対しても、あまり、心地よいものでは無い。周囲への迷惑が掛かっているという意識が強くなるからに他ならない。そのような事態に陥っているときに、当事者である親の気持ちは「大変申し訳ない」「迷惑を掛けている」という二点に収斂されている。本当に辛いのである。申し訳ない気持ちになるのである。その事を考えずにモノを述べるというのはなかなか簡単なことではない。無論、親が目を離して、子供が走り回っておるなどという事態になっておれば、大問題と言わざるを得ない。そのようなときには監督者である親が責めを受けるのは当たり前であり、非難はされて当然のことである。しかし、年端もいかぬ子供を泣き止ませるというのはなかなか大変な事で、両親の間であっても機嫌を損ねれば泣くし、大声を上げたりする。彼らは一個の人間であり、自我はあっても、集団で行動するということに意識など無い。そのような社会性が身につくのはもっとずっと後のことであろう。では、そのような社会性が無い子供を公共の場に連れてくるべきでは無いという論は逆に暴論で有り、「公共」交通機関であるのだから、あくまで、公平に対応されなければならないはず(身長、体重などの制限があるとかそういうものは別である)なのだから、その時にそれに文句を言うというのは、逆にその事が社会性の無さではないのかと思う。

現在、少子化と言われる。子供を育てる社会に対して、地方公共団体も含めて、様々な取り組みがされており、さらに、その取り組みに色々と税金投入もされている中で、それらを許容する端緒は関わり合う個人の心持ちに影響されると思っている。国家(公)はあくまで個人の集合体であって、あくまで、個人(個)が尊重されるべきであるし、その総意を表したモノが国家(公)の方向性であると考えれば、その尊重されるべき個人(個)が向いた方向が国家(公)と同じ方向を向いている方が良いし、その方が未来があると考えたい。このままでは成熟した社会を通り越して、単なる老人が徘徊する廃墟になるのでは無いかという気持ちすら生まれてくる。いつかはバランスが取れる時が来るのかも知れないが、それは我々が考えるよりもずっと先の話だろうし、その方向でバランスが取れたとして、それが幸せとも思えないのである。沢山の子供達が楽しく生活できている活力ある国であると良いなとは誰もが思っていると思いたい。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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