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日常の由無し事を書きつくっています。
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    性別:
    男性
    職業:
    シス管/パチプロ
    自己紹介:
    田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

    学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

    結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

    更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。
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    「忙しい」という言葉を最近よく使っていた。それは本来的な意味での忙しさというわけでは無くて、周囲の状況に巻き込まれた結果忙しいという話であった。

    自分自身の業務はそれなりにやっている。管理者が師走状態ではあまりにもアホである。その管理者は管理者失格であると言って良い。私自身、システム管理者だけをしているわけでも無いが、管理者としての私が忙しいということは障害が起こっていると言うことでもあるので、それが多発するようでは無能の誹りを免れない。毎日、自分が冷静に判断できる範囲で、障害が起こらず、過不足が無く、運用できているのなら、それは何よりのことで有り、その管理者の有能さを表現していると言えるだろう。果たして、私が有能な管理者であるという自信は無いが、人並みに一般的な中小クラスの会社であれば、建物が建った後に計画をし、配線し、ネットワークを引き、そのネットワーク環境を業務に問題が無いレベルで運用できるぐらいの能力はあるようだ。それ以上の能力があるかどうかについては全部を一人で運用したことは無いので、保証は無いが、前にデータセンターの運用チームに居たときも大規模な障害は起こらなかったので、問題は無いのでは無いかとは思っている。その時の経験から考えれば、一人で管理運用できるのは社員全員に端末がある状況で、200人~300人ぐらいが限界だろうとは思う。最近では様々のソフトやアプリがある。一定の規約を作って運用すれば良いのである。これは勉強し、経験を積めば誰にでも出来ることだとは思っている。その辺については気が向いたら書いてみることにする。

    で、本題に戻る。「忙しい」という言葉をよく使っていたなあと思い立ったという事。「忙しい」とは「心を亡くす」と書く。「忙殺される」などという言葉がある。「心を亡くしてしまうほどの事があって、殺されてしまう」という状況を指す言葉である。本当に仕事が立て込んでいたり、考えることが多くあって、「忙しい」状況ではあったので、口をついて「忙しい」の言葉が出ていた。一種の負の言葉である「忙しい」を多発する事で、相手に対して、そこから先の発言をさせない事になって居ると言うことでもある。
    忙しさを理由にすることは相手が物分かりが良ければ良いほどに優先順位を下げることになる。「蔑ろ」にしていると言われても反論の余地は無い。この事は「傘を開いて、空を」というブログに書かれたエピソードに書かれていたように記憶する。深く納得した。そして、「忙しい」という言葉を使う代わりに「自分の時間に不自由してる」という言葉を使うと書かれていた。成る程、確かにその言葉で十分に意味が判る。そして、言葉も丁寧な言葉である。私は今月一杯程度は自分の時間に不自由しそうな気配があるので、この事に気をつけてしゃべるようにしよう。

    そして、自分の時間を出来るだけ有意義に使えるように動かなくてはならない。一人の時間は私にはそれほど無いし、家人と娘の為の時間は公的な時間よりも圧倒的に優先される必要があるからである。私の中で優先される事情や事項は仕事でも私自身でも無く家族の中でも家人の為に使われなければならない。娘を大事にする気持ちは確かに大事だとは思うが、自発的に私や家人の手に寄らなければ、生存できない娘よりも家人の方にその意識を振り向けなければ、到底、均等な時間割にはならないし平等にもなるまい。

    24時間という時間が誰にも平等であるなら、その時間の時間割は私自身が決めて良いはずなのであるから、当然、自分の中のルールに則って決める。一部の例外はあるにせよ。その例外を全体に適用してはならない。つまり、仕事の忙しさに甘えることはしてはならない。忙しく精神的に疲れているのは私の都合なのであって、家族には関わりの無いことである。そして、言わなくても見れば判ることでもある。そんなことに気が付かない程度にしか相手に興味が無いというなら、その関係は既に関係性を終わっていると言っても良かろう。それぐらいには相手を見て、識っているはずなのである。それが的外れだったり、観ていなかったりということが続けば、関係の清算にも繋がるというわけで、早めに諦めて関係を清算することに私は反対では無いので、その選択をし、相手が悪いと相手を非難することをしないのなら、幾らでも自分が精魂を込めて、続けられる関係性を別の環境や場面や登場人物で再構築すれば良いだけの話である。このように考えているが、我が家は家人の不断の努力によって、関係性が良好に保たれてい、ありがたくも、このまま続けられそうでもある。よって、さらに意識をして、私は家人のために自分の時間を家人に振り向ける必要性がある。不均衡が長く続くのはどちらか片方の疲労を増す結果になるだけで良好では無い。

    その一環として、家人に強いていることもある。「お父さん、お母さんと呼び合うのは娘が喋るようになるまで」というルールである。お互いの父親でも母親でも無く、一組の夫婦(めおと)なのであって、本来は血縁も無い赤の他人が自分たちの気持ちで一緒に住み暮らしているのである。繰り返す、娘を大事にしないと言うことでは無い。私たちはもちろん、周囲の大人達から無条件で愛される権利を有している事に異論は無いが、お互いがお互いを選んだという理由のみによって成立した夫婦(めおと)の関係はお互いのケアが無くては維持できないのではないかと思うのだ。よって、私どもの間では、あと二年ほどで言葉も増えるだろう娘の成長を待っている状況なのである。

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