手仕事とは手を動かす仕事のことである。私の仕事はそれをある程度否定しなくてはならない。成果物はその手仕事を分解して、効率化、自動化する。そして、効率化していく。システム化とはそういう話なのである。
仕事と作業を勘違いしている人が苦手である。例えば、エクセルのマクロやアクセスで簡単に作ったもので、処理できるものがあるとする。私なら手作業を止めてもシステム化し、それ以降については自動化するように心がける。その業務に誰かの時間が取られているなら、それを自動化することによって、時間短縮とマンパワーの節約。浮いたヒューマンリソースを別のところへ振り分けることを考えるのが良いと思っている。それが私のスタイルである。なのでどこに行ってもそういった作業を行った後に作業をどこまで自動化出来るかについての考えを始める。
私のシステムづくりの最初は紙に手書きをしたり、いくつかのイラスト作成ソフトなどに自由に書き込むところから始まる。移動中や思いつきについてはノートに書いたりする。初期の段階では限界点までそれを広げていける。実現性については時には無視する。多少、荒唐無稽な方が面白い。次にそれを関係者にプレゼンするための資料や資料の説明。もう少し、詳細を書き込み、技術的な裏付けについて考えてみる。自動化は可能だが、人間があるタイミングで作業をしたほうが良い場合も存在しないわけではないので、それについての見極めを行う。
その後、各種の設計等を行い、設計をまとめたところで、UI等を担当するデザイナに連絡をし、イメージを伝えて目で見えるイメージを出せる資料を固める。私はデザインセンスが無いので、その点についてはあまり考えないで出来上がったものに良し悪しを伝えるだけにしている。誠に簡素なものについては私が描いたりもするが、洗練されているとは言い難いものなので、その辺りは担当者へ甘える。
出力を固める。「結果として何が欲しいのか」を最初に決めて、これをユーザと綿密に打ち合わせて、明確にし、出来るだけ時間をとって希望をきいていく。この作業が大きい。大掛かりなシステムは何やら難しいことをしているように思えるが、実際にはそんなことはない。
「入力」をしたものを「計算」し、「並べ替え」し、「抽出」し、「出力」する。
ほぼ全てのシステムと呼ばれるものは単純化するとこれだけのことしかしていない。難しく考えようとしてはなかなか先に進めない。「入力したものしか出せない」し、「こちらが決めた条件に従うこと」しか出来ないのである。勝手に無根拠の数字を出力するならそれはバグを抱えたダメなシステムであると言える。
最初に戻る。手仕事を否定する必要があるとは思う。しかし、私は手仕事が好きだ。延々と封筒に切手を貼るとか、印刷物の校正をするとか、そういった単純な作業を延々と手を使ってするのが好きだ。好きだからこそ解るのである。面倒であると思う気持ちもあるし、効率化したいという考えもあるし、無駄なことをしているなと思うことはままあるが、しかし、その一見無駄に思えるようなことを「黙々とやる」のは嫌いではないからこそ、どうすればよいかが。そして、それが出来る人のことが好きだし、彼らは逆の方向から私と同じ結論に達することが多い。何故かというとそういうことが出来る人は自動化されたことに対して、好意的に受け止め、よりよい方法が無いか?を考えることが出来る人だからである。「黙々とやる」タイプの人はそういった作業の要諦を掴んでおり、脳内で整理され、理論付けられたモノを持っていて、それを手足を使って出力しているのということだ。スタート地点が違うだけで結論が一緒だから協力できるのだ。そして、「黙々と作業が出来ない」面倒だと文句を言うようなだらけたタイプの人間が嫌いである。そういった人間とは仕事をしたくないし、話をしても要諦がわかってないので、まともな事にならない。
ある人が某大手で教育係をしていた。まだ、SEを大量採用していた時代の話で言語がよくわからない新人を研修と称して集めて教育をしていた。その教育係を数年間に渡り、行なっていた氏の発言を思い出す。
「理系文系は関係ない。集中力があり黙々とやれるタイプのほうが伸びる。ある時、美大で絵を描いていたという人間を教育することになったが、数ヶ月でかなりのところまで伸びた。」
ということである。なるほど絵を描くということにも完成やセンスは重要だけれども、一定のところを超えた部分には計算や技術は必要であり、デザインの分野に足を踏み入れれば、それは理論を組み立てた結果として成果物を出すのである。
なるほど同じだなと一つ納得したのだった。web関連の方々もこれぐらいのところから考えたら簡単かもしれないとふと思うのである。
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