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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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娘が一歳になった。

平成23年の8月28日。まだ、残暑厳しい日曜日だった。娘が産まれた。昼過ぎに産院に到着し、夕方にはもう産まれていた。安産であり、家人の初産の出産時間の短さは産院でも記録的な速さだったということを後から聞いた。まずは母子共に健康であった事が私にとっては大変に有り難い事であった。その後、娘は無事に成長し、産まれたときの倍ほどの大きさに也、同世代の中でも一回りほども大きい子になった。同じクラスの中でも大きい方なようだ。病気も特別なことは無く、当たり前に誰もが掛かる病気になったのと、インフルエンザに罹患した程度の事でそれも無事にクリアした。同じクラスの他の子と比べて、極端に欠席率が低いのは娘のお陰でもある。

そんなわけで、平成24年の8月28日。娘が一歳の誕生日を無事に迎えることになった。FBやTwitterではお祝いのお言葉をたくさんいただいた。ありがたいことだなと思った。多くの気持ちで娘が成長しているということでもあるし、縁ある方々にはことごとく可愛がっていただいている。きっと、そんな気持ちは娘にプラスに働いていると思うのである。娘が成長した頃には今のようなネット環境であるとは限らず、新しい形のサービスが始まっているかも知れないが、私たちより余程、彼女たちの世代はデジタルな事に自然と溶け込む世代ではあるだろうから、そんな記録(記憶ではない)の始まりとしては悪いものでは無いのかな?とは思っている。華々しいセレモニーなどは行わないにしても、内々だけで集まることにはした。まずはこれで良かろう。9月2日には「餅踏み」をするとのこと、祖父母(娘にとっては曾祖父母)が準備を進めてくれている所ではある。無事に節目節目の予定を過ごしていると言ってよい。

一歳になった娘が出来ることといえば、

1)何となく10歩近くふらふらしながら歩く
2)なんか訴えながら紙を丸める
3)PCのキーボードを叩く
4)マウスをクリックしつつ、ホイールを回す。
5)風呂で頭からシャワーを浴びる

とか、あとは自己主張的な言葉は「ま!」「いた!」などが使える。「いないいいないばー」がブーム。だるまが出てくる絵本が好きなど書いてたら切りが無いけど、たくさんのことが出来るようになった。私自身もたくさんのことが出来るようになった。元々、子供は嫌いじゃ無かったけれど、娘の気配を察知できるようになったし、娘と一緒に寝ていても色々と考えることが出来るようにもなった。おむつもお風呂もこなせるようになった。
無論、私以上に家人も成長したように見える。落ち着き、風格をより一層身に付けたように思えるし、家人として、母として、様々のことをこなしてくれる。家事をし、仕事をし、娘の世話は無論のこと、私の世話までしてくれている。家人の労に報いるには?と思わないでは無いがなかなか出来ないでいる。申し訳ないと思うばかりである。

とにかく、娘に育てて貰っている。そんな一年だった。あっという間だった。あっという間に、三歳になり、あっという間に小学校に入学し、あっという間に中学生になって、気が付いたら、高校受験をしつつ、大学進学などの道を進んでいく娘を見ていることしか出来ないんだろうと思うのである。その頃には好いたらしい男の一人も出来て、きっと、そんな男性と話をする機会もあるのかも知れないし、日常の話をしてくれるのも、せいぜい、いまのうちだけで、その内に自分なりの考えで行動するようにも成るし、親と仲良くすることが気恥ずかしい気持ちになることだってあるだろう。何の手伝いが出来るわけでも無いが、精々、自分なりに働いて、稼いでくる事ぐらいしか、出来ることが無く。あとは、家人と平和に明け暮れを過ごす姿を見せるより他あるまい。まずは娘の一年目にありがとうの気持ちである。

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一緒に住んで二年が経って・・・

家人と棲むようになって二年である。短いか、長いか?と言われたら、これからを考えれば長いとは言えないのでは無いかと思う。婚姻届を出したのはクリスマスであるので、記念日は12月となり、8月の家人の誕生日が二人で棲み始めた日ということにはなるのかと思う。

その間に娘に恵まれたし、様々の出来事があって、毎日、家人の顔を見ている。特別に飽きるということは無い。「女房と畳は・・・」という言葉もあるが、それを実際に云々ということも無く、平和に暮らせているとは思える。家人の不断の努力の末にそのような事になっていると考えているので、この事には感謝してもしきれない。

二年間で、「状況ではなく、自分自身の何が変わったか?」を自分に問うて、変わったところを考えれば、酒量が減ったとか、趣味に費やす時間が減ったとか、単純な変化と同時に内外の差違が小さくなったということも上げられるのかも知れない。
自分自身の内外の差違とは仕事中などのパブリックな場所に居る自分と自宅に帰りプライベートな自分の違いである。元来、外弁慶の気があり、家に帰れば、それほど騒がしい方でも無い。外に出ると騒がしい。逆の内弁慶も少なくないし、どちらが良いという訳では無い。ただ、私は外弁慶ではあるだろうと自認もし、指摘もされた。
以前はその差違は大変に大きく、家に足を踏み入れて、洋服を着替えた所からは、ほとんど喋らずに何も無かったように、部屋にこもるような事でもあった。それが最近では家でも口を開く事も増えた。娘に話しかけることは楽しいし、家人とやりとりすることで安楽を感じることも多々ある。

このような心持ちは以前の共同生活には無かったと言ってよい。以前は、ドライな関係(つまりは相手に気遣いをすることをむしろ避けるような関係)であった。その事が長続きをさせる秘訣であろうとも思っていたし、その時の私とその時のお相手はお互いの事情もあり、脛に傷有りであり、それを選択するというのが、少ない選択肢の中で最良の選択肢ではあったのだろう(と思われる)。しかし、実際にはそれほど長続きもせず、独り身になっていたのである。家人と住み暮らしていく暮らしは、二人がある程度の所まで踏み込んで行かねば成らぬ。私にとってはこれは意識的にしなくては成らない事でもあった。こんな事を言われたものである。

「私に興味が無いの?」

この言葉は思いの外に重い。興味が無い異性と同室出来るほど私の神経は無神経では無いよと以下のように答えるのである。

「興味の無い女と同じ部屋で過ごす趣味は無い」

この言葉を言わねばならぬことは、ある種、自分自身の不徳でもあろうけれど、それだけ相手に興味が無く見えたということに反省もしなくてはならない事なのだと、ここ二年で気が付いたのである。歳こそそこそこに離れている家人のモノの考え方には疑問を持つことも無いでは無いが(これは無論単なる世代差の部類の話であったり、物事に対する段取りの考えだったりするが、どちらも単純な経験の問題であって良し悪しなどではない)、お互いの考えの落としどころはそれほど遠からずの場所に落ち着くのである。三年目に入ったこの暮らしがどのように進んでいくのかは私の考えよりも家人の考えに左右されていくような気がしている。一家の色を決めるのはやはり女性であり、家人であろう。家人の考える理想にはほど遠いかも知れぬが、目標があるなら、そこには近づいて行きたいし、そこに私の居場所があれば、そこにすっぽりとはまる自分でもありたいとは思う。

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夫婦の貌と家族の貌

貌とは、かたちと読む。形でも、型でもない。カタチとも書きたくなかった。貌と書きたかったのである。私も現状のステータスとして、独身ではないので、経験者としてでなく、現在、そうである者として考えることを得た。

http://anond.hatelabo.jp/20120721222138

のことである。一部で話題になっていたように思われた。ここで問題になっている事の根源は、この夫婦のバランスが悪いということがあるのではないか。自分が興味が無いことに対して、時間を割いている夫に対しての苛立ちが書かれている。

私もこのご主人と同じように多くのSNSに時間を割いている方だと思う。一日中、それだけを眺めている訳でもないし、それだけで完結する職に就いている訳でもない。しかし、そこにはコミュニティがあり、関係性があり、多くの示唆に富んだ発言があり。自分自身の困り事を助けてもらったのも一度や二度ではない。
家人も私とは違うスタンスで独自のコミュニティがあり、私には伺い知らぬ関係性を作り出しており、SNSも利用している状況があるとはいえ、それぞれには不可侵ではある。夫婦であっても他人である。ただ、その他人同士が思い合って、一組となっているに過ぎない。その一組のルールはそれぞれの夫婦が独自に作り出せば良いのであって、類型的な何かに影響をされるような類の事であってはならないと思っている。

例えば、昭和の時代には、主人は主人然としていなければならず、夫人は夫人然としていなくてはならなかった。専業主婦も今よりも多く、専業主婦の心得のようなものは今よりも明確にあった。それは恐らく、今のように電化製品の発達していない時代の家事がそれだけでも重労働であったし、それだけの時間を取られる作業であった事の証左でもあるだろう。時代の移り変わりによって、その辺りも変わってきて当たり前のことではある。変わってきたから、起こる問題もある。私は専業主婦だったことはないけれど、一人暮らしを長く送ってきたので、家事の要諦については解らないでもない。実際、一人で暮らし、自炊をしてきたことで、恐らくは平均的な主婦のお仕事をこなす事が出来るだろう。その経験から言えば、専業主婦が重労働であることは認めるが、自分の時間が無いほどに忙しいとは言い切れない。そんな中で、その時間を何処に持っていくのかが大きな問題となってい、近頃では専業主婦がネットゲームにハマり、家事を放棄するなどということすらあると聞く。このような事になっては元も子もない。専業主婦で有って欲しい理由が、男の矜持にあったり(それは愚かなことであると思うが)、他の理由があり、それを出来るだけの収入や気遣いが出来るなら、それは本人たちの選択であって、素晴らしいことではないかと思う。しかし、それを選択した事でこの奥さんの視野は大きく狭まってしまったのではないかと思うのである。

子育てを始めて、最初期というのは赤児はいつ泣き出すか解らぬ。自分が世話をしなければ、命を落とす可能性のある生命を身近に置く事で気を抜く暇が無い。また、ほとんどの場合、専業主婦として夫人が家庭に入った夫婦の場合、家事や育児の分担ウエイトが夫人に掛かる場合が多いし、主人側もそれを当然と見てしまう節がある。そうなると途端に身近にいる赤児と自分たちが住む家とその周辺程度までしか、意識できる範囲が無くなってしまう。そのことで、視野が狭くなってはしないかと思うのである。
我が家では家計的にも共働きの方がベターであろうということでもあるし、何より、家人が家にこもることによって、そういった視野狭窄に陥ってほしくなかった。積極的に家人に外に出ることを推進し、娘の0歳時保育へと舵を切った理由はそこにもあるのである。確かに、忙しくハードではあるだろうが、家人が娘と離れて、一個の社会人たる時間が有ることは夫婦にとっても、娘にとっても圧倒的に良い方向に働くと思えるのである。心身の健康という意味において、この選択は正しいと思っている。世間の専業主婦の女性は思うところがないなら、自らの小遣いを稼ぐようなつもりでも構わないので、外に働きに出てみると良いかもしれない。収入を得ると同時に、自らの新鮮さと同時にもし非協力的であると言うなら、そのご主人への言い訳をさせないためにも最も有効な行動であると思うのだ。仕事を真剣にする人であれば有るほどに、労働している相手に対しての協力や感謝や尊敬を惜しまないものであるからでもある(そこでご主人の姿勢や仕事ぶり、または能力を図るものさしにもなるかもしれない)。

夫婦は、概ね、同じ方向を向いている必要があるように思うが、その上で、完全に同じ直線を歩いているという意味ではない。多少のズレがあっても良い。ただ、着地点として夫婦が納得できる近しい場所か、全く逆方向であっても、腑に落ちる場所に着地すれば良いのである。それこそが夫婦の貌なのである。似たもの夫婦とはよく言ったもので、長年の暮らしの内に行動や判断基準が似てくるのだろう。そんな似た者夫婦に納得出来ないほどに風変わりな子供が育つわけもなく、夫婦の貌を拡大すれば、それすなわち、家族の貌ではないか。夫婦が子を持ち、家族になり、そして一家を成すのである。形でも、カタチでもないのである。そういった形式の話ではない。風貌という言葉があるようにそれは感じさせるものである。目に見えるだけのものではない貌であって、色付くのだ。無理してすることは無く、無理をしなくても作れるものではあると思う。そのような貌を作れないのなら、それを納得出来ないままで一緒に暮らす必要を全く感じないのである。別々の道を歩けば良いのだ。

別れを選べない理由が「自活できない」「働きたくない」などの理由の人も少なくないらしいが、私にはそれこそ理解が出来ない。そのような言い訳をするほどには人生は長く無いと思っている。このような言い訳は卑怯者の言い草であって、相手に文句を言うべきではない。自らで自活し、自らの思うような暮らしをすれば良いのであるから、それを選択しないならば、そのような不平不満を述べるべきではない。また、そのような家庭を不幸であると心底思うし、その場に居られる事を私は信じられないでいる。自らの生き方は余儀なくされるべきではない。自ら選ぶべきで選んだ以上はそこに最大限の努力をし、周囲の生活者への感謝と尊敬の念を持ってしてするべきであると思うからである。私は精一杯が夫婦の貌と家族の貌を良い物にしていくと信じて疑っていない。

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選択肢としての学校

この事についてはあまり触れるべきではないかもしれないと思ったが、昨今、話題になっている大津の自殺の件で考えたことがある。これの不幸さについて言い出せば、枚挙に暇が無い。例えば、被害者を受けた少年の不幸については言うまでも無いし、そのご両親の心を考えたとき、到底、それは平静で居られるようなことでもあるまい。同じく、子を持つ親として、我が子がと考えれば、相当に辛いであろうことは言うまでもなく理解できるし、何よりまずは自分自身を責める。その上で、我が子がどのようなことであったのかを知りたいと願うのは当然のことではないか。そして、加害者とされる少年たちについて、様々の憶測もあり、色々と状況的によろしくないことになっていることはあるが、それでも、今、表に出ている事象が事実なら、それは十分な犯罪行為であって処罰されなくてはならない。子供だからという理由にはならないのだ。子供であっても犯罪は犯罪である。その事について、親は指導しなくてはならないはずなのだが、どう考えても指導しているようには思えず、我が子を守るためとは言いながら、延々と自分の子供の行為の正当化に終始する状態でもあるという。これは到底正気の沙汰とは思えず、私には異常に思える。立場を利用すれば何でも出来るのか?という疑問すら沸いてくる。これではあまりでは無いか。
そして、学校側の責任も到底ゼロではあるまい。モンスターペアレンツの問題が言われて久しい。何か事が起きるたびに親がしゃしゃり出るというような事は私の頃にはそうそう無かった(実際にはあったのかも知れなかったが、私の周囲ではそれほど多いことでは無かった)。それが当たり前になって、学校側は崩壊していると言われている。知人の子供の参観日の様子を聞くと、うろうろと席を立つ子供が居たりということは当たり前の様にあるという。授業中に座っていられないような子供が居ただろうかと考えたら、私の頃は居なかったように思う。授業は当たり前のように座って受けるものだった。これも教師が強く出られない土壌があるのかも知れないと思う。

私が小中学生だった当時、学校の教師は、今考えれば、全ての先生が正しいとは言わないが、概ね、私たちを正しいと思われる方向へと導いてくれていたように思うし、親からの信望も厚かったのではないか。確かに、中には変わり者と言われる先生も居たが。私たちは尊敬もしたし、親たちはこう言ったものだった。

「あんたが悪い事をしたから叱られるんだよ」

10の内、10がそうだとは言わない。確かに、今考えても理不尽なことはあった。最も、理不尽だったのは宿題をしたノートを忘れた私に「宿題そのものをやっていないのに嘘をつくな」と決めつけた女性教師で、私はこのこと以来、この女性教師とソリが合わなかった。当時、自宅から学校までは子供の足で30分ぐらい掛かっただろうか。その道程を戻るわけにもいかなかった。今ならあるいはさっと走って戻るなり出来たのかもしれないが、小学生にはその時の先生の決めつけに対する論理的な反論など浮かばず、今思い出しても、あの時は本当に悔しくて泣いた。教師は自分が叱ったことで泣いたと思ったかもしれなかったが、私は悔しくて泣いたのだ。幼い頃の記憶などほとんど残っていないが、そのようなことだけは直ぐに思い出せるものだ。人間の記憶というのはなかなか面白い。他にも幾つかあったが、中学校の頃は体を壊していたので、あまり中学校の時も思い出というものはない。その時の担任ともあまりソリが合わなかった。なんとも自らの指導力不足が明白な女性教師であり、体調不良であるという私に登校を強いた。結局、私の体調は更に悪化し、おおよそ、中学二年生から、中学3年生の夏休み前まで療養を余儀なくされた。そういった黒歴史的な学生時代を演出した教師がいた事も覚えてはいるが、その二人以外の教師には大変に恵まれたといって良い。その他の時に叱られた理由には子供特有のいたずらや考え無しの行動もあったように思う。それは怪我の可能性のある遊びをしている時などがそれに相当するが、それらの行為を叱ってくれる相手ではあったようには思う。
私が偶然に出来た先生に当たったからかもしれないし、今ではそういった先生は少ないのかもしれない。時代の移り変わりといえば、それは単純なことかもしれないが、時代の移り変わりだけでは解決できないだけの物があるに違いない。

問題はいくつかあるだろうが、まずは、職業として、教師を選ぶ人々に対して、制度的に安直であるということはあるかもしれない。4年制大学に通った者なら解るはずだが、教員免許そのものは、それほど取得困難ではない。多少、同級生より多くの授業を選択すれば、取得可能な部類のものも少なくない。都道府県別の採用試験については別問題ではあるが。まずは、その点について大きく触れられてい、教員に対して、教員免許の期間を設ける動きがあった。この点についての良し悪しの判断を私が出来るほど勉強していないので、良し悪しについては述べない。ただし、割と安直に教員免許が取れるということについては事実である。

次に教員の収入について、確かに昨今の世情を考えれば安くはないのかもしれない。世情を考えずにみれば、決して、高いと言えるかもしれない。しかし、職業を考えれば、それは高いとは言い切れない。よくよく考えてみるがいい。我が子ではない子供たちを預かるということの責任の重さ。そして、年頃になり、思春期を迎える子供たちの相手をする。それは精神力がそがれる行為ではないのか。我が子であってもそれが難しく家庭崩壊などという事態が起こる。それを不特定多数を相手にするということがどれほど困難かということである。そう考えれば別に高いとも思えない。私が思うに、もっと厳しく教員になる為の教育を行うと同時に大きく収入を上げて、そのステータスを上げるということである。その代わりと言ってはなんだが、医者並みの激務となるほど、厳しく様々の行動や倫理観、専門教育を含めたプロフェッショナルを教育する仕組みへの改変が望ましい。この方法は官僚にも使える方法であって、正しく国を導くことが出来るエリート官僚たちの収入を大幅に増加させることで、天下りなどということは起きないのではないかと考る。また、不正も起きにくくなるのではないか。最も生きの良い50代半ばまでを精力的に仕事に邁進することで、その後が十分に安泰であるなら、血道を上げて、一所懸命に働くのではないかと思うのだ。人間は貧しくなると心が貧しくなるものだ。十分に評価されていれば、邁進できるものなのである。理念や理想を追えない(負えない)ならば、その職を去るべきではないのかとも思う。特に、それが各人の能力や倫理観に伴う職業であれば有るほどにそれは明白であろう。

もう一方で、子育ての責任ということについて考える。子育ての責任とはいったい何処にあるのか。無論、両親がその最大の責任者であり、外に出た時の所行についての責任は親が取らなくてはならない。だからといって、

「○○では恥ずかしい」

などという諌め方は良くない。社会通念などというものはそもそも子供には存在しないのではないかと近頃思えてくる。間もなく一歳になる娘を観れば明白で、彼女にとって、我が家と祖母、曾祖父母。そして、保育園というような世界が彼女の世界の全てであって、まだ、それ以外の場所や他人に対して、世界は拡がってはいないように見える。その証左に今上げた人々以外には当然人見知りをするし、あまり、長時間の外出は疲労を蓄積させ、機嫌を損なう。これがもう少し、広く社会と接続されれば、彼女もその場その場の立ち居振る舞いを理解するだろうし、行動もかわるに違いない。そう考えれば、今はその限られた箱庭のような世界の中での指標はとしては、主に、私と家人であるので、私の家人の行動を範として彼女が行動するのは疑いようがない。子はかすがいという言葉が広くあるが、子供が親を写す鏡でもあるということも疑いの無い事実であるだろう。私も家人も恥ずかしい行動は取らないことに自覚的であると思う。私はあまり周りの目を気にしない。一つに没頭すると、後は、どうでも良いというわけではないが、あまり周りの眼に対して、意識しなくなる悪癖があって、よく家人にも指摘を受ける。そういった事も娘の眼に映ると考えれば、襟を正そうという気持ちもいやます。そして、前述のように、風聞や報道の類で言われることが全て事実であるなら、加害者側と言われる家族の行動を見れば、一目瞭然であって、「あのような恥知らずの所業に出てしまうようなことでは…」と思わざるえない。子を思うなら、そうならない努力をするべきではなかったか。または、そのような訴えを起こした子供に周囲の大人が目を向けるべきではなかったか。いずれにせよ。多くの問題が重なり、悲しい出来事になったのである。子を持つ親としてひとごとではない。我が子がどちらの立場になるのか解らないのである。「うちの子に限って」などと言っている時ではない。

学校に通うことが前提となっている社会。確かにそれは間違いでは無い。義務教育という事で、基礎学力を高めつつ、集団生活とは?について学ぶことは社会に出て働く上で重要な事ではある。その事を否定するわけでは無い。また、学生時代に知り合う仲間達との交流は良いものである。生涯にわたって関係が続くような相手は学生時代の友人が結構な数を占めたりする。

しかし、学校に行くことは前提であり、国としては義務教育と言っているが、この場合の義務はどちらかと言えば、当人に係る義務ではなくて、養育する親の側に係る義務では無いのかと思っている。つまり、ちゃんと教育を受けさせる義務ということだと理解している。

本人がその場に居ることを苦痛だとするような学校であれば、親の義務として苦痛で無い学校を探す必要があると思うのだ。集団生活というのは多少の苦痛を伴うものではあるだろう。自分勝手な行動だけを取れない。また、決まった時間で動く必要がある。それらの強制はその後の人生にも多少なりとも影響は出るだろうとは思う。これは当然、組織の一員として生きるための経験であり、必要な事でもあるとは理解しているが、それ以外の部分で何かの問題があるというなら、それは周囲が解決する必要があることでもあるだろう。子供一人の力で学校を探し、転校をするという手立てが取れる仕組みがあれば良いが、そのような仕組みは今の日本には無い。

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「忙しい」変換と時間の優越と「呼び名」について

「忙しい」という言葉を最近よく使っていた。それは本来的な意味での忙しさというわけでは無くて、周囲の状況に巻き込まれた結果忙しいという話であった。

自分自身の業務はそれなりにやっている。管理者が師走状態ではあまりにもアホである。その管理者は管理者失格であると言って良い。私自身、システム管理者だけをしているわけでも無いが、管理者としての私が忙しいということは障害が起こっていると言うことでもあるので、それが多発するようでは無能の誹りを免れない。毎日、自分が冷静に判断できる範囲で、障害が起こらず、過不足が無く、運用できているのなら、それは何よりのことで有り、その管理者の有能さを表現していると言えるだろう。果たして、私が有能な管理者であるという自信は無いが、人並みに一般的な中小クラスの会社であれば、建物が建った後に計画をし、配線し、ネットワークを引き、そのネットワーク環境を業務に問題が無いレベルで運用できるぐらいの能力はあるようだ。それ以上の能力があるかどうかについては全部を一人で運用したことは無いので、保証は無いが、前にデータセンターの運用チームに居たときも大規模な障害は起こらなかったので、問題は無いのでは無いかとは思っている。その時の経験から考えれば、一人で管理運用できるのは社員全員に端末がある状況で、200人~300人ぐらいが限界だろうとは思う。最近では様々のソフトやアプリがある。一定の規約を作って運用すれば良いのである。これは勉強し、経験を積めば誰にでも出来ることだとは思っている。その辺については気が向いたら書いてみることにする。

で、本題に戻る。「忙しい」という言葉をよく使っていたなあと思い立ったという事。「忙しい」とは「心を亡くす」と書く。「忙殺される」などという言葉がある。「心を亡くしてしまうほどの事があって、殺されてしまう」という状況を指す言葉である。本当に仕事が立て込んでいたり、考えることが多くあって、「忙しい」状況ではあったので、口をついて「忙しい」の言葉が出ていた。一種の負の言葉である「忙しい」を多発する事で、相手に対して、そこから先の発言をさせない事になって居ると言うことでもある。
忙しさを理由にすることは相手が物分かりが良ければ良いほどに優先順位を下げることになる。「蔑ろ」にしていると言われても反論の余地は無い。この事は「傘を開いて、空を」というブログに書かれたエピソードに書かれていたように記憶する。深く納得した。そして、「忙しい」という言葉を使う代わりに「自分の時間に不自由してる」という言葉を使うと書かれていた。成る程、確かにその言葉で十分に意味が判る。そして、言葉も丁寧な言葉である。私は今月一杯程度は自分の時間に不自由しそうな気配があるので、この事に気をつけてしゃべるようにしよう。

そして、自分の時間を出来るだけ有意義に使えるように動かなくてはならない。一人の時間は私にはそれほど無いし、家人と娘の為の時間は公的な時間よりも圧倒的に優先される必要があるからである。私の中で優先される事情や事項は仕事でも私自身でも無く家族の中でも家人の為に使われなければならない。娘を大事にする気持ちは確かに大事だとは思うが、自発的に私や家人の手に寄らなければ、生存できない娘よりも家人の方にその意識を振り向けなければ、到底、均等な時間割にはならないし平等にもなるまい。

24時間という時間が誰にも平等であるなら、その時間の時間割は私自身が決めて良いはずなのであるから、当然、自分の中のルールに則って決める。一部の例外はあるにせよ。その例外を全体に適用してはならない。つまり、仕事の忙しさに甘えることはしてはならない。忙しく精神的に疲れているのは私の都合なのであって、家族には関わりの無いことである。そして、言わなくても見れば判ることでもある。そんなことに気が付かない程度にしか相手に興味が無いというなら、その関係は既に関係性を終わっていると言っても良かろう。それぐらいには相手を見て、識っているはずなのである。それが的外れだったり、観ていなかったりということが続けば、関係の清算にも繋がるというわけで、早めに諦めて関係を清算することに私は反対では無いので、その選択をし、相手が悪いと相手を非難することをしないのなら、幾らでも自分が精魂を込めて、続けられる関係性を別の環境や場面や登場人物で再構築すれば良いだけの話である。このように考えているが、我が家は家人の不断の努力によって、関係性が良好に保たれてい、ありがたくも、このまま続けられそうでもある。よって、さらに意識をして、私は家人のために自分の時間を家人に振り向ける必要性がある。不均衡が長く続くのはどちらか片方の疲労を増す結果になるだけで良好では無い。

その一環として、家人に強いていることもある。「お父さん、お母さんと呼び合うのは娘が喋るようになるまで」というルールである。お互いの父親でも母親でも無く、一組の夫婦(めおと)なのであって、本来は血縁も無い赤の他人が自分たちの気持ちで一緒に住み暮らしているのである。繰り返す、娘を大事にしないと言うことでは無い。私たちはもちろん、周囲の大人達から無条件で愛される権利を有している事に異論は無いが、お互いがお互いを選んだという理由のみによって成立した夫婦(めおと)の関係はお互いのケアが無くては維持できないのではないかと思うのだ。よって、私どもの間では、あと二年ほどで言葉も増えるだろう娘の成長を待っている状況なのである。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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