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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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食から考えられる先について

料理が趣味と言って良いと思っている。食べることも好きだし、作るのも嫌いではない。いわゆる、「男の料理」に類するものである自覚はある(作ろうと思ったものの食材を漁るタイプ)が、一人暮らしも短くないので、大体のものはそれなりに作れるようにはなっている。

魚も焼ければ、肉も焼ける。鍋物だって作れるし、日常に食べるお味噌汁の類も大体作れる。煮物も作れれば、無論、飯も炊ける。大体、困らないのである。困らない程度に作れるというのは割と大事で、手の込んだものは気合いを入れて、レシピを見ながら作れば良いのであって、常日頃についていえば、日常で出される料理を手間を掛けずに作れるかどうか?に掛かっていると言って良い。料理そのものが負担になるようでは日常生活も覚束ない。

私の料理は割と簡単な基準に基づいている。「塩こしょうで大体のモノは食べられる」ということであり、あとは醤油をかければ良いということでもある。日本には調味料としての醤油が存在する。醤油というのは万能調味料の一種であると言って良い。醤油があればかなりのことは出来るのである。刺身にソースは厳しいが、ソースをかけて食べる類の料理(たとえば、とんかつ。お好み焼きなど)に醤油をかけても食べられる。日本人だからと言うことではない。それが醤油という調味料の万能さであり、利点でもある。この場合の醤油は大豆を原料にした醤油に限定している。同様の製法でも魚を使った魚醤などには少々の癖があり、汎用性は薄い。醤油という調味料があるお陰で、日本料理の進歩が一部で遅れているのではないか?と思ってしまうほどである。欧米諸国と比べれば、日本料理のそれらしく作るだけの調味料の量は極端に少ない。スパイスの類も素晴らしいものは沢山有るが、いわゆる西洋料理のように様々のスパイスを組み合わせる必要も無いし、インド料理のようなスパイスの組み合わせをする必要も無い。万能感のある調味料が多いことは日本人にとって良いことであると思える。

そのようなことであるのに、近頃は「メシマズ」というのがクローズアップされる。現実には昔からそういった人は存在していたように思うが、それが、今のような情報発信可能なメディアがあることや総批評家時代という様相が大きく様々のことを広める鍵となっている様に思える。「メシマズ」にもいくつもある。「料理を食べた経験が無い」「料理を作った経験が無い」「味覚的に自分とかけ離れた味覚特性の地域での生活を送ってきた」「そもそもやる気が無い」「レシピなどを読む気が無い」など枚挙にいとまが無い。過日このようなPOSTを観た。

「食事は一日にせいぜい3回。SEX以下の回数であるのにそれを蔑ろには出来ない」

このような事であった。また、いつぞに金の使い方の話でもこういう話があった。

「食事の回数は決まっている。今、ここで食べるものをケチってはならない。借金してでも特上を食べるべきである。それが出来ないようでは良い仕事も出来ないし、良い金の使い方が出来ない」

ということだそうである。極論ではあるが、間違っているとは思わない。

良いモノを知らなければならない。しかし、良いモノを知らないのでは物事の善し悪しは判らない。また、良いモノを知っていればこそ、貧しい中でも楽しめる事がある。ご馳走がチェーン店の牛丼という人間とご馳走がちゃんとした店のすき焼きという人間では常日頃の食に対する取り組みも違うのではないか。同じ材料を使っても、ほんの少しの火加減、水加減、高価では無い調味料を加える工夫で旨い食べ物を作りだそうとするのでは無いか。これはチェーン店が悪いと言っているのでは無い。振れ幅の問題で、上も下も知っていてこそでは無いのかという話である。
仕事に置き換えてもそうだ妥協するポイントが低い人間の仕事は見るに堪えない。高次のレベルのやりとりに前提条件の低い人間が混ざるとその議論は紛糾し、仕事のクオリティを維持する事は出来ない。この部分だけは年齢によって補える経験で積み上げることが出来るわけで、我々、中年に突入した世代はこの心掛けで若さとバランスを取りながら進むのが良い思うのである。

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2月の終わりと自分のコストついて

2月が早くも終わろうとしている。なんということか。先日、正月を明けた気がしていたではないか。自分でもカレンダーを観ながら瞠目したところである。「2月は逃げ月」などという日数が短い事でもあるし、正月月明けのバタバタが一段落し、3月の決算や官公庁の静けさもある。「28(ニッパチ)は暇」というのはどのような業界にもある程度当てはまるのではないか。

そんなわけで、この生活にも終わりが近い。私自身の出向期限がそろそろ切れようとしている。私が昨年のGW明けに移動してきたこの支店から、本店に戻るということである。私は自分の邪魔さえされなければ何処でも良いのであるが、そうは言っていられない事情もあって、組織的な運用の問題が多少出てきたことでもあった。

いくつか責任者を務める部署や組織があるので、そこに戻って欲しいと言う声は前からあったが、同じ社内の直ぐ近所の場所に移動しての作業は必須のものであったと言って良い。そこには移動しなければ見えない物が多数あり、移動しなかった場合のコストは計り知れなかったのである。

このような世の中になって、直接に合って話をすることや現場を訪れるコストは決して安いモノでは無い。それらのコストを吸収できるだけの利益を産み出さなくてはならない。自分自身の値段を考えて、その値段に見合った仕事をすれば良いとは思うが、自分の値段の計算を出来る人はそれほど多くない。貰っている月給だけが自分のコストでは無い。それらも含めて、しっかりとした計算をした上で自分のコストを割り出せば良い。

私自身で言えば、派遣火消しSE時代(傭兵時代などと言っている)頃から、自分の手取りに対して、二倍~三倍ほどを自分のコストであると見なしてきた。特に派遣業では上流の搾取は相当な金額になるということは知らなければならない。例えば、派遣されている時に一日が2万円の人が居たとすると、それを依頼した会社はその倍近い金額(又はそれ以上)を派遣会社に払っていると思って問題無い(会社にもよるとは思うが)。職種によっても異なるので、それはそれぞれの方法で計算すれば良いとは思う。

こう言った考え方は正しいかどうかは別にして、自分自身のコスト意識を持つことによって、ムダなことはしなくなるし、整理して考えるようになるので、プラスになる部分が大きい。このような説明は人事考課と合わせてされるべきで、私は人事考課担当として人事考課をするにあたって、この点については、毎回、面接時に説明することにしている。

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新年を迎えて

2013年を迎えて、かれこれ、一週間程たっている。本来はもう少し早く書こうと思っていたのだが、今回は少々遅くなった。

まずは、あけましておめでとうございます。の挨拶である。

2013年がどのような年になるのか?は一年の最初に思いつくことではあるが、まあ、それは良い。年の瀬までは判らぬことでもあるだろう。一年の計が元旦にあるのは事実であるとは思うが、終わりよければ全てよしということばとは表裏であり、今の段階で今年を占うことはできない。ただ、簡単に過ごせる一年ではあるまい。

私自身、年男である。三度目の。三度目の年男と四度目の年男は勝負の年と言ってよい。壮年を迎える自分を省みて、到底、壮年とは思えない自分を見つけるのである。私が社会に出たころ、30半ばは最もアブラギッシュな世代だった。いろんな意味で。私は尊敬していた人も多かった。そんな人々と歳を並べた時。自分がその人たちに適う人たちだろうかと思いなおすのだ。到底適わぬ。自覚を伴わない加齢ほど悲しいものはない。

そうはいっても、家族を再び持ってしまったのだから、その家族のためには糧を得なければならず、家族の関係を崩す事もできまい。ともかくもまずはこの一年を良い形に乗り切るための自分でありたい。新年の最初の近いはそのようなところでどうか。明日は仕事始め。面倒事もあるには違いないが、それもまた、旨味だと思って、スタートを切りたいものである。スタートの準備(爪切りなどの身づくろいと洋服の準備)は終わった。あとは、早めに寝て、明日を思うことになる。

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仕事納めの日に

仕事納めである。いよいよ、今年の最終出勤日となった。何も無ければ、このまま大納会に出て終わりだ。2012年という年を振り返る日となった。

今年を振り返れば、多くの著名人が亡くなったというのを思い出す。それは私が歳を取った証左でもあるだろう。私よりも下の世代にとっての著名人は私どものそれとは違うのだろうから。さらには残忍な事件や事故が相次いだ。いじめを苦に自殺した学生の話など大量の事件が明るみに出た。大宅壮一は「一億総白痴」ということを言った。確かに、それは一時期完全にそういう時期を迎えたように思えるので、まさに、正しいことであった。テレビというメディアのお陰でそれは為された。次に到来したネットの時代には「一億層批評」の時代になった。ネットに溢れかえる情報を眺めて、それがソースがしっかりしたものなのか。自分の目で観たものなのか。そんな判断は抜きにして、それが全てだ思い込んでしまう。そして、情報発信も同様に出来てしまうために素人批評を繰り返す。私自身もこのようなことを発信している時点で。または、幾つかのSNSで何かを発信している時点で。その一端にあると言って良い。良くも悪くもそういう事にはなるだろう。自分だけが違うと思うほどの能力も無ければ、うぬぼれも無い。これが2012年という年に大きく顕在化した。幾つかの重大事件では無関係な他人の写真が出回ったりもした。その発信源が誰なのか?についての追求はともかく、それがソースに当たらぬままに拡散してしまう事には一種の危惧を感ずる。その事について自覚的でなければならない。自分自身の情報についても何処までを出しておくべきか?についての考えを持っておかないと何処で何をされるかは解らない。誰もがそれに耐えられるわけでもないのだから、自衛はしなくてはならず、その事は大変重要だ。何年も前から言われていたことだが、教育は技術革新の速度の前には追いついていくような事はなかった。

逆の側面から考えれば、旧態然とした組織とネットの反目がいままで以上に強まった。JASRACの問題などが分かりやすい。迷走するJASRACは近頃では雅楽のコンサートを行った人に対して、著作権料の支払いを求めるまでに質が落ちたという。ネット上での配信に問題があるというなら、その配信されたサイトから再生数に基づいた著作権料の支払いを受けるように姿勢を変更すれば良い。配信方法が増えたなら、その配信方法に合わせた著作権料受け取りを主張すれば良いだけの話だとは思う。

つまり、人の速度とそれ以外の速度に不均衡が生じて、それがより強くなったということである。これからの時代を予測するのは難しいが、その難しい中で、生き抜いていかなくてはならない。自分自身のこれからはより強く考える。では、よいお年を。次は新年にお会いすることになるでしょう。

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仕事納めの前日に

弊社は、明日の29日が仕事納めで。大体の年はそうなっている(土日の関係とかもありますが)。大納会と称する納会が行われる。たいした事では無いが、社員が集まり、会議室にて歓談。役員からの年の瀬の挨拶が行われる。挨拶の内容については、今年は恐らく世情を反映した厳しいものになるというのは解る。内部の人間にしか解らぬ事。とやかく言うことでもあるまい。

2012年という年が暮れようとしている。どういう年だったか?と問われたら、バタバタとしている内に年の瀬であるという感慨を打ち消す事が出来ない。歳を取ってからの一年が早いとは若い頃によく聴いた。あっという間に一年が終わるというのを実感する。「一年が終わる早さ」つまり「体感一年」が早いか遅いかについては個人差であるから、人それぞれとしか言いようが無い。しかし、その一年の中にも思い出せるイベントは多く有り、家人のこと、娘のことを思い出せば、色々な事があった一年ではあった。家人の仕事も安定し始めているようだし、娘の成長は著しい。私も自分自身を考えなくてはならないが、それを考えながらも、家族を守るということについて、今以上に自覚的に考えを進めなくてはならない。目の前だけを見ていれば、生きて行けたのは、独身時代の話で目の前は当然にクリアしながら数年後について、準備を怠らない事。これは何事においても重大なこととなった。このような変化については良いことであると受け入れている。好き勝手にはそれなりにさせていただいたので、次は好き勝手だけでは無い生活を持っても良いという年頃に入ったということだろう。

終わりよければ全てよし。一年の計は元旦にあり。

この二つはセット語られるべき言葉で。なんというか、年末年始に相応しい気がする。とりあえず、何事も無く、今年が暮れて、来年が迎えられれば万歳であると思っておくことにしよう。娘が産まれてこれからの未来を考えると「私たちが子供の頃よりも良くなる未来」を思い浮かべることは難しいが、そんな激動の時代を生きてゆく娘の未来を案じることは出来ても、切り拓くのは当人であって、私も家人もそのお手伝いしか出来ない。そういう達観はあるといって良い。では残りは明日に。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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