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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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娘の成長について

いつの間にか梅雨入りしており、いつの間にやら梅雨明けをするような日々が何年か続いた。九州の梅雨はジメジメとしており、それは結構不快な季節である。この時期に体調を崩す人も少なくない。そういった人も多くある。今年は私も夏風邪で少々苦しんだ。今年の風邪は喉くるようだ。この梅雨入りから訃報が続き、様々のスキャンダルが流れて(私にとってどうでも良い話題もあったが)、騒がしい梅雨となった。亡くなった方のご冥福をお祈りするばかりだ。

閑話休題。話が逸れた。最近は娘について少々書こう。昨年の夏。娘が産まれた果たして、健やかに育ってくれるかどうか不安で仕方なかった。何しろ、男兄弟であり、女性の生態を知らぬ。しかも、そんな小さな赤子の面倒を見た記憶もそれほど無い。驚きの連続のままに半年が過ぎて、10ヶ月ほどになった。いよいよ、歩き出しそうな勢いで元気よくつかまり立ちをし、ハイハイをしつつも、周囲の物体に興味津々の様子でもある。近頃はマウスが気に入っているようである。私が今は使っていないUSB接続のマウスを渡した。そのマウスで遊んでいる事も多い。また、第一子でもあり、周囲の方々の暖かな支援もあり、ありがたくも多くの祝いをいただいた事もあって、色々と興味が出そうなおもちゃの類もプレゼントされており、毎日、何か遊んでいる。

家人が勤めに出ている事もあって、娘は0歳児保育をされている。慣れない両親に加えて、プロフェッショナルの保母の方々に面倒をみてもらうこと。そして、同年代の子供達のやりとりは本人にもプラスになっているようで、あっという間に家に居るときに出来なかったことを出来るようになっている。子供の成長は早い。私が何かを身に付けようとすれば、多くの本を読み、知識を蓄えつつ、体を動かし、鍛錬して自分自身を変えてゆくための準備をしなくてはならない。しかし、生後1年以内の子供達は感覚的に何かの要諦を掴んで、ぐいぐいと成長しているようで、その能力は段々と失われていく感覚に違いないのだなと改めて感じたところである。

我が子は当然可愛い。その可愛さを例えることは出来ない。眼の中に入れても痛くないなんてのは、例え話で眼の中に入れれば痛いとは思うが、その気分を理解しないほどの野暮では無いつもりである。家人は娘を厳しく叱る責任の所在である。娘が正しく生育していくためのしつけに対する責任を親がおっていると言うことを考えれば、当然、私も家人も娘を叱ることはある。しかし、私はまだ、娘を叱りつける事が難しい。親に叱られる経験など皆無になった。当然、私が長じた事もあるだろうが、叱られるようなことは高校卒業前後には既に無かったように思える。そして、歳のそれほど離れない弟しか居ないわけで、何か物申すようなことも無い。私は叱ることになれていないようだ。そして、10ヶ月ほどの娘には日本語が通じない。叱られている事が判っているかどうか?が不明なのである。

成る程、親業とはなかなか難しいものであるなと改めて感じる日々である。歯も生えて、体もしっかりしてきている。いつ歩いてもおかしくない。そんな娘を眺めているのは楽しいが、親業の手練れとなる日はいつのことか。子のお陰で親も育つという話もあった。特別なものでありたいとは思わないし、全てにおいて正解を選んで生きてきたとも思わぬけれど、観る者が居る今となってはだらけた事は出来ないということだろうか。娘の日進月歩の姿には到底見劣りするけれど、当面は先に進むしかない事は自覚している。

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豊かさと貧しさとピンキリと均一と

社会に出て、それほど経たない頃の話しである。当時、某大手企業の情シスに所属しており、そこから色々と出先での仕事をしていた。イントラネットが一気に広まろうとしていた時でもあった。また、そういった言葉が世間に広まりつつあった。当時、タグ打ちが出来て、NTサーバやLinuxサーバが少々わかって、PerlでCGIが組めれば、まあ、それなりに金が稼げたというぐらいの時代である。実際、多少のバイトもした。まあ、その辺りは当時の会社には申し訳ないが、時効であろう勘弁していただきたい。

リーマン、一年・二年生の給与などというものは企業の大きさもあるだろうが、それほど高額なものでもない。大企業に居れば、高級というのは生涯年収を考えた部分でもあり、企業によってその給与の上がり方は異なる。私の属していた企業は30過ぎまで割りと良いペースで上がり、40前後までは緩やかに50前後までそれなりに上がり、そこからはポジション次第で所属が決まるというシステムであり、55歳で第一回目の出向や転籍などが行われるという企業であった。その月給を正しくは覚えていないが、手取りで20万円までは行ってなかったのではなかったろうか。そのような収入でも独り者であるから、それなりの生活を送ることは出来た。同僚と酒を飲みに行く事に不自由しない程度のことでもあった。

今ほどのデフレではなかった時代でもある。転勤で福岡に舞い戻った時に母親のアドバイスもあってスーツを買い足すべきということを言われた。なるほど、仕事に使う勝負服である。疎かには出来ない。当時で、一着三万円程度だっただろうか。デフレの今ではもっと安いモノもあるが、当時はその程度の値段が紳士服売場で妥当な値段でもあった。それを夏冬と季節の変わり目に二着ずつ買い足した。それで十分だと思っていた。

しかし、他部署に移籍されてきた大先輩がおられて、私のことを色々と眼をかけてくださった方がおられた。その大先輩はその社内では大変に優秀な方であり、次期の役員が確実と言われた方で、あらゆるところに人脈を持っておられた。しかし、いくつかのご当人の私的な理由もあってその道を辞退された。その先輩と食事をご一緒させていただいた時の事。

「そのスーツ何処で買った?」
「○○ですが」
「お前、そんな安いスーツじゃあ駄目だ。この名刺の店に行ってこい」

そういって、一枚の名刺をくれた。洋品店の名刺であった。つまりはスーツをオーダーしろということであった。オーダースーツがいくらするのか?について、私は知識が無かった。とりあえず、財布に5万円ほど入れて、その店に向かったのを覚えている。そして、紹介された旨を伝えると、

「話は伺っております」

そう言われて、テキパキといくつかの生地を勧められた。そして、寸法やズボンの裾、ボタンの材質、裏地など、当時は知りもしない知識を色々と解説付きで教えられながら品物を選んだ。果たして、最後に値段を言われた。その時のスーツの値段が8万円だった。

「8万?」

「高いなあ」と心の中で思いながら、持ち合わせが足りない旨を伝えたら、払えるだけ置いていき、品物を受け取る時に残金を払えば良いと言われた。結局、半金の4万円を払い、後日、出来上がりを受け取った。そのスーツを着ての出勤日。

「お、いいスーツ着ているね」

と言われることが一度や二度では無かった。人は褒められて悪い気はしないものである。

「どうだ?それぐらいのものを着ておく方が良い。気持ちも違う」

その大先輩はそう言って、ネクタイとネクタイピンをくれたのである。

その後もその店を含めて、いくつかの店を紹介され、身の回りのモノについてのこだわりを数多くアドバイスを受けた。まさにこれは私にとってはかけがえの無い財産であると思える。こういったことが金高だけでは無い豊かさの由来では無かったか。

その後もその大先輩には、個人的なことでも、仕事のことでも懐深くお世話になった。女性にも人気のある方だったが、独身を通されていた。理由はいくつか漏らされたが、若い頃に大失恋の結果であると言うことを一度だけ聞いたことがある。深い関係になる女性がほとんど居ないとは言われていたが、常に、女性の影はあった。まさに、「ダンディ」という言葉の似合う二枚目だった。その後、その会社を辞めることになり、こっそりと会社とは別に送別会を開いていただき、過分な餞別までいただいた。感謝の念に耐えない。

その後もその大先輩がお亡くなりになるまで、年に数度はやりとりがあった。しかし、私が再び転職し、日本をうろうろとしている間には、いろいろな場でその時のことを思い出しながらも、この教えを守れない生活もあり、今の姿を見たら、深いため息をつかれるに違いないとは思う。世間や社会情勢にその理由を求めるのは簡単だし、それが一般的な結論なのかも知れぬ。しかし、自分自身の不心得をそのような理由であると思ったら、それは後が無い状況であると言って良い。ここは心を入れ替えて、そこに墜ちてゆかぬようにしなければならぬ。

SNSで話題になった件のスカイマークのサービスポリシーにせよ、いくつかの事件が連続したことも含めての格安のサービスに対する意見もそうだが、前述のような教えを受けていれば、その安さには何が「無い(亡い)」のかを考えるようになる。私は大先輩にアドバイスを受けたスーツについての一件を例にした。このスーツは確かに良いものであったが、量販店で同一の値段のモノを買えば、同程度の品質のものや一目でそれとわかるブランドの品物だって買えないことは無いのだが、私自身の体を見て、プロが判断をしてくれるというサービスも含めての対価としては十二分に価値があるものなのだ。その事について考えが至らない人が多い。

その無い(亡い)モノ(サービス)について、どうしても必要であったり、自分自身でそれを求めると言うのなら、対価を支払って、それを享受すれば良いのである。何かが足りないから、対価が安くすんでいるのだ。そして、それが悪いと言っているわけではない。必要とされるモノやサービスは各個人によって違いがあって当たり前である。均一ではない中で何処を重視して選ぶかという「選択肢の広がり」であるととらえなくてはならない。日本の場合、均一である事が前提として考えがあるように感ずる。「ピンキリ」という言葉があるが、そのピンとキリの違いに対しての認識があまりにも薄い。良いモノを知らぬことでそれがわからないというのならそれは不幸では無いかと思うのだ。

思い切って、良い服を買ってみると良い。その服は良い生地と良いシルエットで長くあなたの体を彩るに違いない。その間にそれ以外に買った他の服が次々と駄目になり、段々と着心地の良いものを選びたいと思うようになる。思い切って良いレストランで食事をしてみると良い。その行き届いたサービスと素晴らしい味わいの料理に陶然とする時間はどこかの格安のレストランで喧噪の中で詰め込むだけの食事とは違う。

何事にも訳がある。お金だけでは無い付加価値があるのである。その訳を知ることが豊かさでは無いのか。私自身、それほど高年収というわけでもないし、何かに秀でていると言うわけでも無いが、貧しさで心まで貧しいと言うことにはなりたくない。「貧すれば鈍する」とは昔の人はよく言ったと思う。今の誰もが「貧」して「鈍」するような世の中だからこそ起こる状況や議論のような気がする。自分まで「貧」して「鈍」してしまいそうで、なにやら厭な気持ちになったのである。このような人々が増えるようではあまり未来が明るくないなあと思うのだ。

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手仕事と開発

手仕事とは手を動かす仕事のことである。私の仕事はそれをある程度否定しなくてはならない。成果物はその手仕事を分解して、効率化、自動化する。そして、効率化していく。システム化とはそういう話なのである。

仕事と作業を勘違いしている人が苦手である。例えば、エクセルのマクロやアクセスで簡単に作ったもので、処理できるものがあるとする。私なら手作業を止めてもシステム化し、それ以降については自動化するように心がける。その業務に誰かの時間が取られているなら、それを自動化することによって、時間短縮とマンパワーの節約。浮いたヒューマンリソースを別のところへ振り分けることを考えるのが良いと思っている。それが私のスタイルである。なのでどこに行ってもそういった作業を行った後に作業をどこまで自動化出来るかについての考えを始める。

私のシステムづくりの最初は紙に手書きをしたり、いくつかのイラスト作成ソフトなどに自由に書き込むところから始まる。移動中や思いつきについてはノートに書いたりする。初期の段階では限界点までそれを広げていける。実現性については時には無視する。多少、荒唐無稽な方が面白い。次にそれを関係者にプレゼンするための資料や資料の説明。もう少し、詳細を書き込み、技術的な裏付けについて考えてみる。自動化は可能だが、人間があるタイミングで作業をしたほうが良い場合も存在しないわけではないので、それについての見極めを行う。

その後、各種の設計等を行い、設計をまとめたところで、UI等を担当するデザイナに連絡をし、イメージを伝えて目で見えるイメージを出せる資料を固める。私はデザインセンスが無いので、その点についてはあまり考えないで出来上がったものに良し悪しを伝えるだけにしている。誠に簡素なものについては私が描いたりもするが、洗練されているとは言い難いものなので、その辺りは担当者へ甘える。

出力を固める。「結果として何が欲しいのか」を最初に決めて、これをユーザと綿密に打ち合わせて、明確にし、出来るだけ時間をとって希望をきいていく。この作業が大きい。大掛かりなシステムは何やら難しいことをしているように思えるが、実際にはそんなことはない。

「入力」をしたものを「計算」し、「並べ替え」し、「抽出」し、「出力」する。


ほぼ全てのシステムと呼ばれるものは単純化するとこれだけのことしかしていない。難しく考えようとしてはなかなか先に進めない。「入力したものしか出せない」し、「こちらが決めた条件に従うこと」しか出来ないのである。勝手に無根拠の数字を出力するならそれはバグを抱えたダメなシステムであると言える。

最初に戻る。手仕事を否定する必要があるとは思う。しかし、私は手仕事が好きだ。延々と封筒に切手を貼るとか、印刷物の校正をするとか、そういった単純な作業を延々と手を使ってするのが好きだ。好きだからこそ解るのである。面倒であると思う気持ちもあるし、効率化したいという考えもあるし、無駄なことをしているなと思うことはままあるが、しかし、その一見無駄に思えるようなことを「黙々とやる」のは嫌いではないからこそ、どうすればよいかが。そして、それが出来る人のことが好きだし、彼らは逆の方向から私と同じ結論に達することが多い。何故かというとそういうことが出来る人は自動化されたことに対して、好意的に受け止め、よりよい方法が無いか?を考えることが出来る人だからである。「黙々とやる」タイプの人はそういった作業の要諦を掴んでおり、脳内で整理され、理論付けられたモノを持っていて、それを手足を使って出力しているのということだ。スタート地点が違うだけで結論が一緒だから協力できるのだ。そして、「黙々と作業が出来ない」面倒だと文句を言うようなだらけたタイプの人間が嫌いである。そういった人間とは仕事をしたくないし、話をしても要諦がわかってないので、まともな事にならない。

ある人が某大手で教育係をしていた。まだ、SEを大量採用していた時代の話で言語がよくわからない新人を研修と称して集めて教育をしていた。その教育係を数年間に渡り、行なっていた氏の発言を思い出す。

「理系文系は関係ない。集中力があり黙々とやれるタイプのほうが伸びる。ある時、美大で絵を描いていたという人間を教育することになったが、数ヶ月でかなりのところまで伸びた。」

ということである。なるほど絵を描くということにも完成やセンスは重要だけれども、一定のところを超えた部分には計算や技術は必要であり、デザインの分野に足を踏み入れれば、それは理論を組み立てた結果として成果物を出すのである。

なるほど同じだなと一つ納得したのだった。web関連の方々もこれぐらいのところから考えたら簡単かもしれないとふと思うのである。

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ある逃亡者について-精神的膂力と関係性に生きる-

事件だというのは簡単だが、そう簡単には終わらせない事情がそこにはある。昨夜半にオウム真理教の元信者(でいいのかな)の菊池直子容疑者が逮捕された。もう主要な逃亡犯で捕まっていない人の方が少ないようだ。時効を迎えている事案もあるわけで、それだけの年月が経ったと言うことは感覚的にも判る。ちなみに地下鉄サリン事件から17年の歳月が経っている。

その犯罪の重さについては今更言い立てる必要を感じない。それがたとえ、狂信的信教から生まれた価値観の相違によって起こった不幸であったとしても、他者へと影響を及ぼす類のものであってはならない。信教とは、自分の心内(こころうち)にあるものであって、それらを他者へと強要するべきものでは無いはずだ。一部の一神教において、それ以外の神をあがめる事を許さず、あまつさえ、他の宗教の神を悪魔だと言い切るような宗教も見受けられるが、私はそのような多様性の少ない宗教についてそれほど感心しない。そういう意味で、日本における「八百万の神」「付喪神(九十九神)」と言った考え方に賛同している。その辺は別の話ではあるが。

逃亡生活について書かれた本はいくつかある。リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の容疑者である市橋達也被告の手記などが記憶に新しいところか。中身については読んでみるより他ない。ただ、そのもやもやとした気持ちを持って暮らしていく事に対しての苦しみとか、その中でしぶとく生きていく様を考えれば、自殺という選択肢を選ぶ人に対しての非難など出来ようはずも無く、それはある意味で繊細で純粋であったという言い方も出来るかも知れないと思ってはいる。

あるべき自分になれない自分との葛藤のようなものを感じさせる自殺が多い。例えば、借金苦にして自殺する事がある。しかし、生業があれば多少の借金などは法的にどうにでもなるものだし、命まで取られることなど無い。借金で命を取られるなどということは余程のことと言って良い。逆に財産のあるところでなにやらの不安を感じて命を絶つ事もある。歴史的に見れば、太宰や芥川などもそうでは無いか。彼らが不安に思っていた事を完全に知る由も無いが、寡聞にして、あの二人がなにやら金銭で困ったというような話を知らない。

私も死にたいと思うことや思ったことは一度や二度ではない。何度かの大きなしくじりで本当に自分を消したいと思ったこともある。短期間ではあるがその時の勤めを辞めて、肉体労働にせいを出してみたこともある。その時の事は前ブログに書いた。鬱々とはしていたが、心は穏やかだったのでは無いかと思う。少なくとも顔で笑っているのに心で相手を蔑むようなマネはしなかったし、周囲の人々もしてはいなかった。平常に暮らして羨ましがられるような生活をしている人でもこのようなことでは何の足しにもならない。

しかし、「そんな何の足しにもならない」ことを唯々諾々と受け入れることは一つにはその方が最終的には楽であると言うことを知っていると言うことでもある(この場合は正誤や正否の問題にはならない)。流される楽さは間違いなく存在している。世間に背を向けて生きるようなマネをすることは精神力を要する。周囲の非難や奇異の目に対して、受け止めて気にしないか、全てを受け流すだけの精神的膂力が必要だからでもある。誰もがそんな膂力を持ち合わせているわけでは無い。成功者の中にもその膂力を持ち合わせて居ない人は少なく無い。結果として、成功者がわずかな躓きで命を絶つケースも少なくない。

このように自殺を選ぶかも知れないほどの事が起きたとき自殺を選ばない事。これを精神的な膂力では無いのかと思うのである。または、本来の邪悪というものが存在するとすれば、その根源は邪悪なものも含んでいるようにも思える。
少し考えただけでも様々方向性や辛さ、重さが思い浮かぶのに、それらを引き受けて逃亡生活を送る人々の精神的な膂力はどうか。果たして、彼らが弱くてそこに至ったと言えるのかと思うのである。私には当然前述の市橋容疑者やその他の類似犯や今回のオウム事件の関係者が弱さからそこから逃げ出したようには思えないのである。そこには力強さが感じられるのである(褒めているわけではない、罪科は償わねばならない)。

その精神的な膂力の端緒が市橋容疑者であれば自己愛のようなものであっただろう。そして、菊池直子容疑者や先だって自首した平田信容疑者については信教だったという事なのだろう。しかし、人は誰でも変わる。それは自分自身の中身が変わると同時に周囲の影響を受けても変わる。多くの新興宗教がある種の閉鎖空間で修行と称するような集団生活を強いるのは周囲の情報や刺激からの遮断である。そして、その閉鎖空間内での情報と刺激のみを与え続ける。そうすると体がそれに順応する。そして、宗教であれば、その教義こそが第一義となり、その教祖を崇めるようになる。しかし、逃亡生活を続ける中で他の情報や刺激を与えられる間に薄まり揺らぐ。そして、醒めていくのだと思う。それが醒めたとき、残るモノは罪悪感では無かったか。当然、それは結構な衝撃であったに違いない。しかし、その罪悪感すら薄めてくれるものが、人の愛情だと言うことに驚く。宗教に殉ずるということ無く、男女の関係を持って逃げ続けた人々の多さにその宗教の怖さと薄さのようなモノを感じる。

男女の気持ちは様々である。誰が誰を好きになるか?などと言うことは人によって違うのだ。色恋はまさに複雑怪奇だが、誰が誰と恋に墜ちるか?などと言うことは割り切れるものでも無い。本人同士にしか判らない恋の墜ちる時がある。恋に墜ちた相手が既婚者だったというのも相手の立場で影響されるものでも無いと言うことでもあるだろう。代表的な例としては川田順の「老いらくの恋」や谷崎潤一郎と佐藤春夫の「細君譲渡」などが上がるかと思う。犯罪者と獄中結婚の例も永山則夫死刑囚の例などがある。こういったことを考えると男女というのはなんとも不可思議かつ様々の問題をはらんでいるし、それが恋なのか愛なのかは知らぬけど、どちらにしても関係する相手なくしては成り立たないものではあると思い至る。

「人は関係性の中に生きている」というのは誰の言葉だったか。しかし、なるほど改めて気が付いたのは私にとっては収穫だったのかもしれない。

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ミネルヴァのふくろう

Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug.

という言葉がある。翻訳すれば「ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛び立つ」となる。ミネルヴァのフクロウとはヘーゲルの「法の哲学」の序文に登場する。ミネルヴァは知恵の女神(知識の女神に非ず)。フクロウはその使者である。ヘーゲルの研究の大家の方々の目に付くとは思えないので、解釈については私なりの解釈で書かせていただくと、

人は一日の終わり(夕暮れ、黄昏)には、その日の失敗を積み重ね、何故そうなったかを考えて賢くなっている。その賢さ(知恵)を集めるのがミネルヴァのフクロウである。という事を転じて、様々の知恵の集合が新しい知恵の源になっていくと言うことが考えられる。実際には「法の哲学」では別の意味合いも含まれてい、今日(こんにち)的な私の意訳を含めた意味では無い本来の意味は別の所にあるのだが、今回はこの点については触れない。興味があるときはヘーゲルの著作をいくつか読んでみるのが良いかも知れない。国内におけるものでは牧野紀之先生の著作などがよろしかろうと思う。元々、簡単な話では無いので読むのも大変かも知れないが、読み応えだけは保証できる。

私はこの「ミネルヴァのふくろう」とは「知恵の象徴」であると思っている。そして、黄昏(夕暮れ)とは古い知識という事だけでは無い。人生の事でもあるように思う。「おばあちゃんの知恵袋」という言葉があるように含蓄された知恵はその人生の時と一緒に蓄えられていくのだと思える。そして、黄昏から夜へと進み、夜明けを迎えるのは死である。その全てとは言わないが、いろいろなモノが失われていくのだ。伝承という言葉があるように伝えられていくモノはあるが、経験を含めた知恵は完全に同一の形に他者に受け入れられるわけでは無い。このこともまた、事実ではあるだろう。このことを思い出すときに、私の中で紐付いているのは任天堂で数々の名作を作られた、故・横井軍平氏の言葉である「枯れた技術の水平利用」という言葉である。「枯れた技術」とは言うなれば、長く使われて黄昏を迎えて、その終焉を迎えようとしている技術である。あるいは取って代わられるかも知れない技術。それを別の角度からスポットを当てて、別の方向へと転換し、再度の命を吹き込む。つまりは、「枯れた技術」は知(知識)であり、「水平利用」という言葉が知恵と同意であると思っている。多くの天才が知恵を持って、ドラスティックな変革を世に問う。彼らの発想の最初は思いつきかも知れない。そして、その推論を理論や実験で埋め合わせていき、合理的な答えを出すのだ。不足する知を後から集めて行く。彼らはある分野には精通しているが、他の部分に脆かったりということがままある。無論、そのようなドラスティックな事を行う人々であるから、他を切り捨てて注力した結果だろうか。
振り返って私はどうか?私は私自身が凡人である事をよく知っている。私の能力(があるとするなら)の多くは才能によって培ったモノでは無い。経験や知(知識)を集合した結果にすぎない。天才的な発想とは縁遠い所で生きている。縁遠いからこそ博覧強記足らんと夢見ている。知を求める道は多くあって良い。才気煥発の天才はその道を行けば良く、そうで無ければ博覧強記を目指して多くの知を集合し、それを経験で料理をするほうが良い。出来ない事を嘆くのは簡単だが、どう考えても前に進むと決めたときに見えてくるモノがあるように思える。そこをこそ目指すべきでその時に目の前に「ミネルヴァのふくろう」が降りてくるのではないかと思うのだ。

私も再度の家庭を持った。娘も抱えた。黄昏を考えるには早い年齢なのかも知れない。しかし、黄昏はいつか訪れる。そのいつか訪れる黄昏について考えを向けないことは無責任では無いかと思うのである。責任を取ることに早い遅いは無い。ともかく、未だに現れない「ミネルヴァのふくろう」の登場を全力で待っている。私の「ミネルヴァのふくろう」がいつ来るのかは私には想像も付かないが、その時には黄昏の寂しさを知ることが出来るかも知れないし、今よりはましな人間になっているに違いない。

そういえば、黄昏(夕暮れ)の寂しさには牛乳が似合うんだそうな。乾杯しましょう。いつかの黄昏に。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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