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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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オムライスの思いで

オムライスについて、どのような印象を持っているだろうか?洋食の中ではメジャーなメニューの一つであり、嫌いな人はほとんど居ないんじゃないかと勝手に思っているメニューだ。

孫の中では年長であった私は特に祖父母に可愛がられた。弟が産まれた頃といえば、祖父が体を壊していたとかで、通院をしながら自宅療養をしつつ、次の仕事への準備を勧めていたことと重なって、祖父母の家で寝起きをしていた。

祖父母ともに、私は大変に可愛がられたし、甘やかされたとも思う。祖母はその頃、公務員(保育園で給食を担当していた)であって、その公務員の祖母の送り迎えも祖父がしていたように記憶している。いつもは、それほど盛り場を通ることは無いが、祖母が休みの日があったり、何かの記念の日であったり、そういう時には祖父母が連れ出してくれた。

決まって頼むのは、「お子様ランチ」であって、ライスに立っている旗が興味を引いて仕方がないのである。そのライスは「チキンライス」と相場が決まっているが、あるところで、祖父母に連れて行かれた福岡県の今は過疎化している街のデパート(とは言っても、ちょっとした大きなスーパーのようなところだが)で食べた、お子様ランチは、確か、そのチキンライスをふわふわとした薄焼き卵で巻いてあったように思う。

30年以上前のことで、私も完全な記憶であるという自信はないが、チキンライスに玉子までついているということは覚えており、その料理が「オムライス」であるということを教えてもらったのは祖父母からだと思う。

昭和一桁産まれの祖父母は同年代の人と比べても若い趣味を持っていて、祖父母は圧倒的に若かった。服装にしても、食べるものにしてもである。それは祖母の仕事も大きく影響していただろうと思う。様々の献立を料理する中で、祖母の料理の幅は同年代の人と較べても、現在の若い人間が食べる料理も多く作り、いわゆる色味のない食卓になるようなことはない。そのようなことで、私にとって、オムライスは特別な料理になった。

祖母はそれから、自宅でもオムライスを作ってくれるようになったし、母もよく作ってくれるようになった。どちらも、たっぷりの鶏肉の入ったチキンライス(とは言っても、炊き込むタイプではない)に、薄焼きの玉子を焼いて、くるりと巻いたもの。上にトマトケチャップがのせられていた。言うなれば、ベーシックオムライスである。祖母と母のオムライスの違いはチキンライスの質でどちらかと言えば、祖母の方が水分が少し少なめでケチャップの量も控えめであったのに対して、母のそれは手加減なしに調味料も入れた水分多めのしっとりとしたものであった記憶がある。どちらもそれぞれに大好物であった。

長じて、外食で自らがメニューを選ぶ時、どこかのレストランで、オムライスを注文した時、デミグラスソースが掛かっているものが出てきて、度肝を抜かれた。

「ケチャップじゃねえ…」

ケチャップの乗ったものしか知らない私には大変な衝撃であって、それはそれはびっくりしたことを覚えている。食べてみれば、なるほど、デミグラスソースのコクと中に入ったチキンライスの酸味が何やら一体となって、旨いものだと関心し、それが自宅ではそう簡単には作れないものであるという事も自らが料理するようになるときに知った。

その後は、地元を離れて、様々な場所で洋食屋に入り、オムライス、カツレツの二つがお約束のメニューとなった。その中で、日本橋たいめいけんの「たんぽぽオムライス」を注文した時、あのオムレツを2つに割るとトロトロの半熟卵がふんわりと広がる名物であって、この「半熟卵」+「チキンライス」がオムライスであるということを知り、自分の知っていたオムライスがまだまだ狭い範囲の話だったことを知った。

かくして、様々な場所で食べた結果、最後には自宅で食べるオムライスが最も好みのものとなり、少々、かけ過ぎじゃないのか?と言われるほどにタップリとケチャップを上に乗せて食べるオムライスの幸せに戻るということになる。色々食べた結果、最終的に最もベーシックな家で食べていたオムライスに戻ってしまった。

最近、このタイプを当たり前に出してくれる店が減った。先月だったか、先々月だったか、私の好きな作家の一人である山本一力氏が何かの番組で力説していたが、私の言うベーシックオムライスの素晴らしさを語っていた。やはり、色々食べた結果は、そこに戻るのではないかと改めて思った。再び、ベーシックオムライスが復権する日を待ち望んでいる。

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残業代に関する議論について。あるいは、人不足について。

残業代がなくなるのではないか?という議論について、ホワイトカラーエグゼンプションなる何とも言えぬ横文字の制度を導入しようとしたときのことを、もう忘れている人も少なくはあるまい。この制度そのものについてはそれほどの異論はない。年俸制の給与体系においては、労働時間はそれほど重視されない(本来は、時間外労働を行えば、その部分については上乗せされねばならないが、その部分については曖昧な取り決めとなっている場合が多い)。または、残業時間が月に40時間を限度として、計算されないなどの仕組みを導入している企業も少なくない。法に照らして、それがどこまでが合法で、どこからが違法か?という事について、私自身、専門家ではないので、判定は難しいのであるが、労基を含めた指導機関。あるいは、社労士などのチェックを受けた結果でそれらを運用しているであろう企業が、上記のシステムを運用している以上は合法性が担保されているという事だろうと思っている。

私は残業代を支払わない事に対して、否定的ではない。というか、正確には見込み残業、あるいは、職種による取扱いの差異があって然るべきだと思っている。製造業の製造現場において、どのような努力をしても、拘束された労働時間による生産活動が必須である為、その生産活動が必要な場合においては、残業代は確実に発生し、それは評価されなくてはならない。
しかし、例えば、コンサルティング業務のような業務時間に個人差がより多きな仕事については、時間をかけた方が報酬が多いというのはおかしな話で、短い時間で同じ結果を出したほうが評価されるのが当然ではないか。時間をかけずに同じ結果を出した人は残りの時間で別の業務までこなしたかもしれない。あるいは、新たな取り組みを始めたかも知れない。

立場によって、状況によって、あるいは、その働き手の考えや状況、勤める企業の企業風土など様々な要因によって、決定される事であって、画一的に「残業代」だけの議論を行うことが正解であるとは思えない。

https://twitter.com/noiehoie/status/223563537165991936

をご覧いただきたい。このような状況がまかり通るという世の中には疑問を感ずる。私は、圧倒的に「チンカチンカのルービー」派と仲良くなれるというところがあって、「徹夜したんすよ。寝てないんすよー。辛いわー」派とは仲良くできそうもない。理由は問わずである。手段が10あったら、どの手段がその人にあっているか?は判らないのである。莫大な費用が掛かるとか、とてつもなく、手間が多いとか、そういう誰が見てもの手順を除けば、残った手段は単なる好みの差であることの方が多い。この点について、某STAPのO女史の場合とは異なる。STAP現象については、特定の手順で発生するという事であるので、その特定の技術的な手順の問題を提示しなくてはならないが、世の多くの人はそのようなシビアな手順を求められているわけではないし、「5+1」と「1+5」あるいは、「3*5」と「5*3」は結果としては同じであって、その手順に必要を求めない場合においてはどちらでもよいのである(無論、勉強をしていく段階で先々の理解の為に順番を守って、立式するべきという考えについても完全否定はしない)。

話が逸れつつある。この議論について、画一的な残業代ゼロ。または、アルバイトは業務委託であるという理由で残業代を払わないというゼンショーなる企業のシステムについては同意できない。このような部分を解決しないのであれば、残業代ゼロに突入するのは、あまり歓迎できないのではないかと思う。

この問題がもう少し進んでいく中で、人が集まらないという事態が発生している業種や会社も存在する。例えば、介護の業種は他の職業と比べて、低く見られがちであり、そもそも、介護という職業を独立した職業として認識していない人が多い。夫婦にとって、自分の嫁が家にあって、介護を行うという前提で成り立っていた世の中。そのような世の中では今はあり得ない。関係者には十分な報酬で報いなくてはならない。コンサルが何を言ったところで、ITの技術者が何を言ったところで、痴呆症の老人に飽きもせず対応する、あるいは、下の世話をする。そう言ったことが出来るというのは大変なことであると考えるがいい。ましてや、他人のそれを世話するという事の障壁の高さである。
ある企業は「サービスを開発したくても技術者が足りない」という。しかし、技術者が足りないというのは言い訳に過ぎず、「流行(はやり)の興亡速度」が上がり続けるなかで、自社で技術者を育てるという事をしないだけに過ぎない。この場合の技術者が足りないというのは「瞬間最大風速として人が足りない」だけであって、継続的に人が足りないわけではない。一つのサービスが延々と使い続けられる事はほぼなくSNSという比較的息の長いサービスであっても、オレンジのSNSの凋落を観ても判るとおり、一歩間違えば、それは放置された廃墟のごとく、落ちぶれていくというのが世の定めではある。平家物語の一説のごとく、それは、「盛者必衰の理」があるということであり、「奢れるものも久しからず」「ただ、春の夜の夢のごとし」「たけきものもついには滅びぬ」「ひとえに風の前の塵に同じ」と続く。つまりは、サービスが落ちぶれた時、次のサービスをすぐに作り出せなければ、再び、人件費という費用がのしかかり、人切りという事になるだろうし、最大手のいくつかがシステムの見直しをしようとしており、それは業界的にも信じられないほどの人月が必要であると言われている。その為に、人を集めているというのは、同じ業界にあれば、耳に入るし、実際に、誘われることも少なくない。私のような地方にいる人間の耳に入るぐらいであるから、東京にいる技術者の方々には最も身近なものなのではないか。しかし、それもまた、一過性のものであって、継続的に、その仕事があるわけではない。

「障壁」「一過性」「報酬」これらのことは、それぞれに深い関係性があり、バランスを取りあった結果、着地点が決まる。このバランスは企業と労働者との間では、双方が完全に納得できる着地点とするのは厳しく、どちらかが譲る場合が多い。これも、譲り合いであれば良いのだが、長い不況の間に企業側の立場が強くなりすぎて、労働者側が譲ることが当たり前になり、それがまかり通ってきたという事である。

どちらか一方が正しいという事を言うつもりはないし、どちらか一方が間違っているというわけでもないが「程よい場所と両面性」が物事にはあり、それを「道理」や「理」というのであって、「道理」も「理」もわきまえないままで、先に進む事は出来ない。新社会人が退職した事についての話題をよく見かけるが、それもまた、「道理」も「理」も通じなくなった事が原因ではないかと思うのである。

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震災から3年を迎えて

あの日のことは今でも思い出せる。それは当事者ではないと言われたら、その通りなのであって、当事者以上のことは言えないのかもしれぬ。そして、当事者の方々に対しては、お見舞い申し上げるよりほかない(私は被災者という言葉がそれほど好きではない)。

遠く離れた福岡では、そのような災害が発生していると知る由もなく、平常通りに仕事が動いていた。仕事柄、今後、どうなって行くのか?については、想像に難くなかったが、それよりも先に現地がどのようになっているのか。あるいは、人命救助という点がどのように動いていたのかについての方が圧倒的に重要だったと思う。

私自身が現地に入ることも考えないでもなかったが、夏に娘が産まれる予定だったし、何よりも、少々距離がありすぎた。幾ばくかの募金と同業他社も含めての協力体制で少しだけのお手伝いをするだけだった。無力であるとは思う。けれども、無責任に何かをやりかけることは出来ない。

知人の一家が家ごと流された。生存者は居なかったと聞いている。彼のことを思い出すこともある。けれども、彼の親族の方々とそれほどの交流があるわけでもないし、ただ、たまに思い出した時に、そうだったなと改めて思い返すのである。悲しみということを思わないでもないが、それだけが弔いでもあるまいと思って、酒を飲み、飯を食っている。そして、その年に生まれた娘の成長を愉しみにしている。

そのことが、供養なのではないかとも思う。Twitterでは、こんなTweetが流れた。

=
生きてる奴は飯食ってクソしてわらってりゃあいいんだよ。それが大昔から変わらない弔いってもんだろ。
=

全くもって、ごもっともであると思った。そうあるべきでもあるとは思う。それがまずは私のできることであるだろうと思った。

まだまだ、復興という言葉は現実感が無いのではないかと思う。それはその場に生きている人にとっては永遠に元に戻ることのない実感を伴わない言葉に違いない。しかし、現実というのはその状態のことを指しており、日々、復興に向けての努力は続けられており、時の流れが、時には残酷に、時には清冽にかかわる人々の時間も動かしているという事だと思っている。

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立春を過ぎてから、春の足音とか。

立春は2月4日であったと思うから、すでに、暦では春になっている。今年の気候は少々面白くて、1月末から、2月の頭に、まさに春のような陽気が続き、「もしや、このまま暖かくなるのか?」と考えていたところが、「寒の戻り」という言葉がしっくりと来るような寒さに戻り、雪まで降ってしまった。関東ではそこそこの積雪でなかなか大変だったそうな。

九州も一部ではそこそこの積雪だったそうだが、私の住んでいる地域に限って言えば、ほとんど影響は無かったと言ってよい。元々、気候も含めて、本当に安定した地域でもあるので、福岡に住んでいると、天災の類に関する感覚が鈍くなるような気もする。

2月14日から17日にかけて、里帰りで実家のある群馬県へと旅をした。福岡から群馬となれば、それなりの旅行のようなものであると言ってよい。近間に実家がある方が、双方にとって都合がよいという事ぐらい私にも理解できる。が、そんなことは選択的にそこだけを絶対条件にした場合以外には決められない事でもある。

というわけで、「まるで、雪かきをしに来たようだ」と笑い話になるような降雪を経て、福岡に帰り、翌週には家人がインフルエンザに罹患し、その自宅療養終了直後に、娘にも罹患し…。我が家としてはあまり喜ばしくない状況に陥った。結果、二月の二週目以降の様々の予定は先送りになり、とてもとても、夫婦二人でクリアできるような状況でもなく、私の母の協力も得て、何とか乗り切り、今週からの通常ペースを取り戻したというところである。

気が付けば、2月は終わり、3月となった。逃げ月は逃げて、別れの月を迎えたと言ってよい。別れの季節と言えば、聞こえはよいが、つまりは、人生の岐路に立っている人も増えているという事でもある。近頃の凄惨な事件を思えば、それもまた、春の話題に煽られてなのではないかと思わないでもない。

今日も、朝、娘を保育園に送り、私はそのまま出勤し、家人も無事に出勤出来ており、月末並びに月初の忙しさと年度末の祭りが合わさった慌ただしさが始まったところである。始まりがあれば終わりもあるとはいえ、今月からGWまでの間に息を抜く暇もないというのが正直なところとではないか。

一年の内にも忙しい季節がある。日本人の多くは、主に冬の季節に忙しさのピークを迎えるような気がしている(業界によるとは思うが)。年度という考えに則って、仕事をしている人も少なくない。それを考えるとき、暑い夏に汗を流し、冷え込み、閉じこもる冬にはその成果で食べていたという時代を感じる。年度末を含む、冬から春先の忙しさというのは晩春から、初冬にかけての働きぶりを評価する仕事が主であると思うのだ。

それは取りも直さず、私が「現場」という直截な場所から離れているという事の証左でもあるだろう。ともかく、この初春までを乗り切り、出会いの季節としての春を待ちたい。

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欲しい商品を探す人々との繋がり方と繋げる人々

これ、探してくれないか?と言われて、小さなポーションを渡された。スタバのK-cupというのかなのポーションであり、専用のマシンに取り付けて使うものである。私もものは知っていたが、実物を使ったこともなかったし、どこで買うのかは知らなかったので、amazonで商品を探して、発注しておいた。

このような人たちに対して、具体的にはどのようなアプローチが考えられるか?という事を、先日のリアル店舗の行方についての件の後日談のように考えている。この件はたまたま私がその場にいたから、解決したのであって、その場に私が居なかったら、あるいは、その人はその商品を諦めたかも知れないとも思うのである(都心部のように近所に実店舗でもあれば良いが、片田舎であるのでそんなものは無いのである)。

ネットでの検索には多少の技術を要する。例えば、商品名が分かっていて、それが有名な商品であれば、あるいは、それが販売元なり製造元なりに繋がる場合もあるだろうが、世にある品物全てに商品名が書いてあるわけではない。なので、その商品のヒントになるようなキーワードで検索をしたり、あるいは、その使用用途についての文言で検索をし、その検索結果から、さらに、二次検索を行うというような手順で探していく。結果はまさに様々であって、個人のブログなども検索対象になるし、玉石混合の状態で、結果が表示される。その方法や感覚は様々だし、検索上位にあるものが、必ずしも、最も有益な検索結果であるとは限らないことも長く使っている人ならわかるが、そうでない人にはそれが分からず、検索上位から順番の検索を余儀なくされる。それでは時間がいくらあっても足りない。

ここに感覚が生きてくる。例えば、Aという女優の出演したDVDを探したいとしよう。このAという女優は同姓同名の以下のような職業の人々で一定以上の知名度がある。

A(1)=女優
A(2)=AV女優
A(3)=作家
A(4)=大学教授

というような組み合わせだったとした場合を想定する。Googleで検索結果上位から、そのサイトを予測すると、

1.ウォキペディアのA(1)のページ(さらに、あいまい回避のページがアナウンスされていることも多い)

2.DMMのA(2)のページ

3.A(1)の公式ブログ(主に、アメブロ)

4.A(2)の公式ブログ(所属事務所や専属メーカの用意したものが多い)

5.A(3)の著作に関する紹介など

6.A(4)の研究実績などの紹介など

という具合続く。そして、ページ上部には、概ね、amazonの宣伝が入っていることが多く、その場合は作家の著作を紹介していることが多い。この場合、最も簡単な検索方法としては、A(1)というキーワードに「映画」「DVD」などのキーワードを追加する。昨今ではオートサジェストによって、よく検索されるキーワードが上位に上がるので、それを参考にしたりもする。

上記のようなことで、品物をネット検索することが多いように思う。その間には多くのショッピングサイトが表示され、そこから直接買うことが可能であるということは利用者にとって大変便利なことであるが、ここに何かリアル店舗の入る余地は無いか?と思っている。ショッピングサイトにはいくつかの弱点があると言ってよい。商品対する質問などについての受け答えをしていないサイトもある(あるいは、不便極まりない掲示板がある程度の貧弱な場合が多い)。代表のメール(ほとんどの会社がinfo@xxx.comみたいな。infoメールにしている)の他にsales@xxx.comのようなメールアドレスを用意し、雑多な商品に対する質問を受け付けるだけでも、売上は大きく変わるとは思うが、その為には人力に頼らざるを得ない部分が明らかに存在する。人件費の削減は費用削減のもっとも大きな方法ではある。しかし、その人件費が売上や利益向上に確実につながるなら、その人件費は削るべきではない。そして、リアル店舗側は商品そのものの陳列やメンテナンスに関わる人々にその点を委託できているという事で優位に立っているとは考えられる。

あるいは、商品紹介ページについてのフォームを変更するのも良い。定型のフォームでページ作りを行うというのは出品者側からすれば悪くないものではあるが、某大手ショッピングサイトの商品ページが新聞の折り込みチラシをモデルにしており、ネットでのブラウジングとは相性が悪いという事もある。比べて、amazonは商品が見やすく配置されていることが多いが、並べ替えの段階で想定外に探している商品が検索下位に下がる場合がある。

例えば、ABCという掃除機を探すとしようか。Googleで検索から、amazonや楽天のサイトに接続すると、その商品そのもののページに繋がる。しかし、ページ内で「価格順」などの順番に並び替えると途端に付属品やオプションパーツなどが検索上位に出てくる。当然、本体よりも消耗品の方が安いわけだから、それは表示方法としては正しい。しかし、「掃除機そのもの」の価格について、いくつかの売り手の比較をするときにはこのページは不便ではないか。人間に同じことを尋ねた時には、そのようなことにはならない。顧客がどのような意図でその点について尋ねているか?を理解して、人が処理できるからである。そのリアル店舗の体制をネット店舗との間にアダプタのように存在させることで、どちらにも良い効果があらわれるのではないか。

ネット店舗 <=> アダプタとしての部署 <=> リアル店舗

という繋がりを作ることによる強みがあるのではないか。アダプタとしての部署には両方の店舗からベテランを交換しつつ、どちらも経験がある担当者を配する事が望ましい。それは社内での教育訓練によって、人材育成をしていけば良い結果が得られるのではないかと考えられる。今現在もそのような考えで運営している店舗は少なくないとは思うが、もっと明確に役割を作り出すことによって、より良い人材が育成され、相互に良い効果が生まれるのではないかと考えられる。人は役割によって育つ部分もあるというのは私の持論でもある。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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