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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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景気に合わせて

最近、景気が良くなったのか、悪くなったのかの見通しについて、様々な意見を見る。けれども、どちらが正しいとかそういうことではなくて、その人の立ち位置によって、感じ方は異なるわけであるから、一概には言えないという話にはなる。よくよく勉強して、株式で自分の資産を運用した人の中には、億単位の資産の形成に成功した人も居るだろう。そういう人が何処で市場を退場し、高みの見物に入るのか?は私がそうでないから、答えようが無いけれども、そういう人もそれなりの数は居るということでは有る。逆に、就職市場が前向きになったという話の中でも、仕事を見つけられず、苦労をしている人の話も聞く。そういう人にとっては前述のような例はお伽話のようなことであって、自分には一生関係ないと思っているということだろう。

自分自身を振り返っても、年収が倍増するわけも無く、微々たる昇給がある程度であって、今後のことを考えても、それほど明るい展望が有るわけではない。しかし、家族を食わせていくという事に関しては、責任を持たなくてはならない。そこで、今年に入って、自分自身にこれまで無かった技量をつけるべく、国家資格を連続して、受験する年と位置づけて、大小様々の国家試験の申し込みを行った。全部の受験が完了し、全て通過すると、今年度だけで5つほどの国家資格が手に入る予定となっており、来年、再来年と続けて受験を繰り返し、予定では10ほどの国家資格を入手する予定となっている。今更ではあるが、それを取得していないと違法になるという仕事は少なく無い。また、法を順守するという観点から言えば、かなり厳しい基準をクリアする必要がある業種や職種も少なくない。

景気が回復していく中では、そのような人間が求められる場面が増えるだろうと見ている。幾つかの難易度の高い資格については、士業の開業も可能であるということで、私が開業する可能性は皆無であろうけれども、それも含めて、目指してみる事にする。結果、どのような領域で仕事をするのが正解か?は模索しなくてはならないが、できることが増えているに越したことはないだろうとは思っている。

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2015:新年を迎えて:見通しと地方

2015年あけましておめでとうございます。各所で挨拶はしておりましたが、改めて。

1/5から、仕事初めでございました。2015年もよろしくお願いしますのご挨拶はそれなりにさせていただいたような気がいたしております。昨年は色々とプライベートでゴタゴタしていたことは何度か書きました。今年ももうしばらくはそうなりそうですが、乗り越えるしか無いということだと思っております。

仕事でいえば、昨年の秋に部署異動等が行われて、新たな業務を抱えることになりました。これまでの職歴的にもボチボチに様々な仕事をしてきましたが、システム管理者、財務、経理、経営企画、総務、法務。この辺りがフィールドだったわけですが、加えて、営業として、数字を作るということについても、裁可が出来る権限が加わり、他の営業を取りまとめるというポジションへと異動になりました。あまり、流れる水に逆らうということを考えなくなりました。これも歳を取ったということかと思いますが、これは衰えではなくて、自分の何かが拡がったんだろうと思うことにはしております。なんとか1月中に片付けたい懸案事項もありますが、それについても法による手続きを取る必要があったりで、勝手には進められませんので、用意をし、対応をするより他ありません。

2015年の予測というようなことを考えてみようと思い立ちました(去年も似たようなことをしていたとは思いますが)。2015年のテーマは今続いているアベノミクスなる短慮(短慮であって、無意味であるということではありません)が、何処まで影響を与えるか?が、前半のテーマになるでしょう。そして、2015年の後半にはほころびが見えてくるんじゃないかと思っています。今より、極端に実入りが増えることが無いままで物価だけはどんどん上昇していくでしょう。今よりも顕著なスタグフレーションが2015年の後半に見えてくると感じています。

アベノミクスと同時に語られることが多い、地方についてですが、地方在住の人間の一人としては。全面的な再編が必要なのではないか?と考えています。これは地政学という学問がありますが、この地政学で考えて再編していくのが、今の日本に必要な視点なのではないかと前々から感じています。

日本の地方を「地方創世」というようなことで話を進めるわけではなく、田舎と都会ということで分けるのではなく、業ごとに地域を分けた方がいいのではないか?ということです。無論、生活インフラを支えるための人は必要でしょう。あるいは、農業、畜産のような一次産業も必要です。しかし、今のように「何処に行っても同じような街並み」というようなことは異例だと思うのです。地方を回った経験者はご理解いただけると思いますが、似たような街並みや風景が、各地方に散らばっています。ヒント無しで道路の写真が出てきたら、何処の県かを即答するのは難しく、あるいは、違う場所の写真であるのに、ほんとうによく似ているということが発生します。これは無駄な投資の結果だと私は考えています。

「職住の近接」は大変重要なテーマです。今のように遠方にわざわざ通勤する無駄を省くことが大切だろうと考えていて、例えば、北海道、東北、北陸、中国、山陰、四国、九州・沖縄といった地域の点を結ぶようにインフラを再編します。ネットワークトポロジーで言えば、拡張スター型トポロジーが良いのではないかと感じます。各県に飛行場があるような運用はそもそも費用の無駄であるし、不必要ではないかと思うのです。その上で、各地域の地形と気候にあった産業を中心とした協同組合のようなコミッティを作り、その事業に係る人々にその地域に移住していただき、労働していただくということです。残った、関西、中部、関東をその他のサービス業の中心地とし、中央省庁についても、今で言えば、大阪(加えて、兵庫、神戸)、愛知(加えて、岐阜、静岡)、東京(加えて、神奈川、埼玉)に分散化する。

極論ですが、このぐらいしか、変えていく方法はないのではないか?と思います。何でも、右ならえで同じでなければならないというのは、教育にしても、何にしても、機会の均等を出来るだけ保証したい気持ちはわかりますが、現実には富豪の子供と一般家庭の子供では、あらゆる機会は不公平なわけで、現状として、それは無能な中間層を産み出しているだけだと思うのです。中間層全体のレベルが下がることで、昔は当たり前だったことが、今は中間層で実現できないということです。

地域ごと、あるいは、家庭ごと(出自ごとと言っても良い)に「可否」あって然るべきであり、その為に人は移動し、移住し、動くことによる出会いや関係性が発生し、そこには夫婦が生まれ、家族が出来るということになるのではないかと思います。

考えていることは長くなりますが、そのようなことを2015年頭に考えました。似たようなことを考えて、やってくれる政治家でもいれば喜んで票を投じるのですが。このことはボチボチ考えていこうと思っています。

上のような考えで居ると、私自身も移住ということを考えないでもありません。柵が失くなった時に、その地域に根ざす「何か」を、私自身が持ち合わせてい無いのかもしれませんし、それは何処にいても発揮できるに違いないとも思っているので。

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選びとるのが本人であるということ

母が病を得た。と言っても、風邪でもなければ、完治の期待度が大きい病気でもない。癌である。癌というのは、正確には悪性新生物といってうんぬんという話は別の話なので良い。

母の病について勉強してみた。色々なものを読んだ。聞いた。調べた。それでも、私は医者ではない。医療関係者でもない。何もすることは出来ない。医療行為は医師にだけ許された行為であって、私には許されない。

当然、付け焼き刃の勉強で人の命をとやかくすることは出来ない。長く勉強してきた医師に頼むしか無いというのが正直なところではあるのだから、良い医師に診てもらいたいというのは誰もが願うことではあるが、それすら、患者が最初から選びとることは難しい。まさに、運であるといってよい。

その運はその後にも大事なことだと見える。母は今のところ、それなりの効果ある治療を受けることが出来ている。何よりのことであると言わねばならない。初回に掛かった開業医の先生もすぐに紹介状をしたためて下すった。そして、掛かった大学病院でも、診察即入院ということで素早い処置を取ってくださった。

お陰で母は命を繋ぐことができた。すべては運だったと思える。

医者は今ではインフォームド・コンセントを前以上に求められる。昔はムンテラと言っていたように思うが、今はやもすれば強引になってしまうかも知れない医者の話をそれでは良くないという医療関係者による改善の結果、「十全な説明」と「患者自身による選択」という二つを解決する為に説明をされる機会が設けられるし、患者側から説明を求めた時にはそれに答える事は必要なことであるという認識を持っておられる医師が多いようだ。

あくまで、これらは私の印象であって、私がいかに専門医のガイドラインを読み、用語の解説を読んだ所で、医師からの説明よりも血縁の私の説明のほうが母にも入るのではないということでもあるし、ちゃんと本を読んだり、学習したり、知ろうとしていることを表明することで、担当していただく関係者の方々に前向きに話をしてもらえないだろうかという願いを込めて、勉強を続けた。

病院の評判にも当然詳しくなった。何処の病院ではこのような治療をした実績がある。あるいは、この病院はある治療に強い先生が居る。そのような話はネットにも沢山転がっているし、医学専門誌を読めば、その論文の執筆者の所在は書いてあるので分かることでもある。

意味はわからなくとも、読めるだけ、アラビア語を学習するよりは可能性のある勉強でもある。そういったことで、母にも納得してもらえるだけの私なりの説明はすることが出来たし、同意書の提出を求められた時や治療についての説明を受けた時にも補足説明をすることが出来たりということであった。「十全な説明」=「十全な納得」ではありえない。説明と納得はイコールになってほしいものであるが、それがイコールになるかは双方の歩み寄り方によって決まるものであって、そのようなものが「医者と患者」という関係性があるにせよ。付き合いの長いわけではない人から説明されるだけで十全になることは難しいのではないかと思える。

また、医師にも断定することは簡単ではない。100%確実に治す事のできる治療法が確立している病であればそれは可能かもしれないが、癌にせよ、その他の疾病にしても、どのような方向に物事が進むかは、殆どの場合、統計的な確率論でしか論じることが出来ない。あるいは、経験則による優位しか語ることが出来ない。様々な検査をした結果、病期が末期に分類されるがん患者が病を克服した例が皆無であるか?と言われたら、皆無ではないはずである。ただ、確率として、10人のうち8人がそれを原因にするか、あるいは、それを原因にした結果の病の合併症によって不自由を被る、あるいは、命を落とすことになる。ということを説明出来るだけではある。俗にいう盲腸(急性虫垂炎)のようなポピュラーな疾病であっても、それが原因の合併症で命を落とすこともあるわけで、そうそう簡単なものでもない。

結局、様々なことがあって(ある医療機関の対応の遅れなど)、メスを入れないことを本人が決めた。母の息子として40年近くになる。その性格についてはそれなり知悉しているので、そう決めた以上は我々には特に言うべきことはない。母を応援するという事にはなる。また、応援といっても、頑張れということをいうのではなく、日頃の生活が本人が納得する形に戻れるように応援するということである。もう、三ヶ月ほど入院しているから、一時退院を求められる時期でもあるだろうけれど、自宅でもない病院のベットで他人と一緒に寝泊まりするというのは十分なストレスだろうし、様々な投薬を受けるなどの状況を考えても、十分に頑張っているわけであり、加えて、家族の協力があって、今、なんとかそこまで来たことにも感謝しており、私としては淡々と環境を整えつつ、勉強を続ける以外にない。

何よりも今回のことで、方針を最後に本人が決められたことが最良のことであったと思っている。その手伝いをするための三ヶ月であったと今になって納得をしている。

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ハンバーグの口福

ハンバーグがハンブルグステーキのことであるとか、そういうことをドヤ顔でのたまう方々はそういう要望があるところで食べていただければ良い。Wikipediaでも読んでいたらよろしい。あの巨大な百科事典を目指したサイトは、あらゆる場面で検索上位に顔を出すが、間違った情報の記述も少なくないから、その情報を鵜呑みにして、何処ぞのテレビ関係者のように恥をかけば良い。

子供の頃、ハンバーグというのは贅沢の証だった。私の祖父母の世代、すき焼きはご馳走であったようで、今でも、祖父母はすき焼きを年に数度食べたいものとしてあげる。これは金銭的な問題ではなくて、祖父母の体力的な問題で、近頃ではそれほど肉を食べたくないのだそうである(それでもそれなりには食べているように見えるが)。父母はどちらといえば、ステーキ(私の祖父母の世代はビフテキという言葉を使ったりする)が良かったということである。母は料理好きであったし、父も何故か調理師免許を持っていた(アルバイト経験の中で取得したと聞いた)。私が「ハンバーグが良い」と言うと、「ひき肉はクズ肉も混ざっているようなこともある」というような理由を付けて、あまり良い顔をしなかった。そして、いわゆる柔らかい和牛を良いものであると評価していた。それが贅沢であった世代なのだろう。

話が逸れた。ハンバーグの話しである。子供の頃、アメリカのホームドラマが放送された時、巨大なハンバーグが出てきた。そのハンバーグの上には目玉焼きとパイナップルの輪切りまでのっており、言うなれば、自分の好物がミックスされた上にパイナップルという病気でもしなければ食べられない果物が乗っている。「こんなものが当たり前の食卓に並んでいるのか!なんて羨ましいんだ!」と、いつかはその全部のせを食べたいと願っていた。

母にねだってみたところが、「温かい果物があまり得意ではない」という理由で作ってはくれなかったし、母にどんなにお願いしても、それほど大きなハンバーグにはならなかった。無論、調理道具の問題でもあっただろうし、それを話した頃、我が家は混乱の極みだったし、私は危うく当たり前の学校生活も踏み外しかけていて、その事を失念していたように思う。

長じて、ハンバーグ投げられた事件(頭から水もかぶりましたが)とか、色々とハンバーグにまつわる思い出はあるが、私の中で、巨大なハンバーグというのは、今なお、夢あふれる食べ物の一つである。自宅で作るときも巨大なハンバーグに整形してみたり、とにかく大きなモノを食べたくなる。普通はせいぜい150g程度の量なのだろうが、ついつい、その倍の300g。あるいは、500gというような量に挑戦してみたくなる。上にかけるソースは肉汁を煮詰めて、そこに赤ワイン(あるいは酒)を入れて、グッと煮詰めたものに、ケチャップを加えたものが良い。あるいは、ウスターソースを加えても旨い。ソースの変わりにみりんと醤油を加えれば照り焼き風のソースになる。ハンバーグソースなるものをわざわざ買ってくる必要は全く感じない。あるいは、焼き上がりにシソと大根おろし、加えて、ポン酢をかけてさっぱりといく手もある。惜しむらくは、もう、年齢に抗えず、どうやら、巨大なハンバーグは胃腸に多大な負担を強いるということだけである。その事が、残念でならない。

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娘が三歳になった。

早いもので、もう、娘が三歳になった。2011年の8月28日に産まれたから、今日で満三歳を迎える。健康に育っている事は何よりの幸せと言ってよい。まずは、そのことに感謝しなくてはならない。

今年に入って、ますます、色々と変わり始めていて、例えば、今年の始めから、家人は所属する企業でも立場も変わり、より忙しくなった。つい先日には、母が体調を崩して、おそらくは、人生でも初の少し長めの入院生活を余儀なくされる事になっている。私も久しぶりに社内で人事異動に関するを受けることになっていて、その準備を行っている。祖父母は健在ではあるが、娘の成長速度以上の速度で加齢による衰えを感じてしまう。
自分自身の年齢を省みる事が「成長」ではなく「衰え」によることがほとんどになるのは、いつ頃からだろうか。
「酒が弱くなった」
「食べる量が減った」
「疲れがなかなかとれない」
このようなことは同世代との話題になりやすいから、自分自身がそういう年齢であるという自覚はあったはずだが、平坦な道を進んでいるような話ではなくて、ゆるやかな下り坂とも言うべき傾斜があるらしく、加齢と共に速度を増しているようだ。若いころに自分を心身ともに鍛え上げれば上げるほど、その到達する所は高いところであって、下り坂に入った後の最後の最後は凄まじい速度がついて、一気に駆け下りていってしまうことになるし、自分の衰えに対する驚きもより大きなものになるということだと思われる(この辺りの考えについては別の機会にもう少し書いてみたい)。
逆に、娘はまだまだ上り坂を登り始めたところであって、脚力を鍛えながら、まだまだ登っていくに違いない。実際に、昨年の今頃よりは歩様もしっかりとし、自分で自分のことをしたがる。洋服を着る、靴を履く、あるいは、御飯を食べる。そういった人として当たり前の事に関する習熟度はグッと増して、飲食店でも騒ぐこともない。文字も読めるようになっているようだし、アニメのキャラクターの見分けもついているし、歌も唄える。友達とも彼女たち同士の世界があるらしく、私は日々勉強の毎日となっている。
「明日なら焼肉の日(8月29日)なのになぁ~」
と家人をリラックスさせる為に放った会心の一撃も担当助産師の凍てつく波動(何いってんですか?それどころじゃないですよ(怒))に打ち消されてしまった。あの夏の日がもう三年前だったかと思えば、感慨深い。
これからも娘は次々と成長を続けていくだろう。そして、彼女達の世代がおとなになった時のことについて、私の想像はそれほど明るいものではないのだけれども、時代時代にスマートに寄り添う生き方があると私は思っている。
私でも家人でも無く、彼女の人生であるから、彼女が彼女なりの考えで行動して欲しいし、考えて欲しい。世に言う「三つ子の魂百まで」を迎えるわけで、彼女のこれからも、やっと垣間見えてくるんだなと思えて愉しみなのである。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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