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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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新年を迎えて(2017年)

2017年になった。早いものである。そういえば、平成になって、早くも29年目であり、平成元年に生まれた人は29歳になる年であり、世にいう「アラサー」ではないか。昭和生まれのプロトタイプとしては、隔世の感が拭えない。

そういうわけで、滅多に書かないブログも新年と娘の誕生日ぐらいは書くようにしている。気がつけば、自らはアラフォーであった。そして、柵を減らすべく仕事を進めていたところが、柵が増えた。同じ場所に勤めているということは面倒であってもそういうことは増えるものであると諦めなければならないことなのかもしれない。新しいことを始めるのは骨が折れる事であり、まずは、その環境になれるための努力をしなくてはならない。しかし、その努力をしなくてよい同じ場所に居ることはやもすれば、自分自身をぬるま湯につけているようなことになりはしないか。

そういった心持ちになって、三年目を迎えた。格段に職場環境が良くなったわけではないが、自分自身を自分で見つめ直すという意味ではよい期間を迎えていると言って良い。勉強をしている時は案外と自分で自分が不甲斐ないとも思うが、不甲斐なさもまた自分の姿であって、不甲斐ないと気が付いていればそれを仕立て直すことも出来よう。転職をするかどうかを期限を切って決めている(実は、職場環境の問題は少なくない問題になっている)。自分自身が出来ることはそれほど多くないと知っているから、識らなければならないことは多く有るということでもある。まずは、自分にツールを増やさねばならない。この場合のツールは必置資格を持っているとか、汎用性の高い業務経験を積むとかそういったことである。

昨年は年末近くにいくつかの私的なイベントも有り、ぼちぼち大変だった。年始は静かに過ごしたいということで、家族で温泉に行くぐらいのことで留めておいた。次は何をするかと言えば、今年の年末までにクリアしておかねばならないものをクリアしつつ、次の仕事に備えるより他無い。ゴールが何処なのかについては目算はあるが、来年の夏までかなと思っている。目標がクリア出来たら、私的にはOKの年と言える。

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娘が5歳になった。

昨日、娘が5歳になった。5歳になったからといって、何か大きく変わったわけではない(というか、毎日変化している)。娘はあまり身長は高くないようである。そして、もう少し、身長が伸びたいと思っているらしい。保育園の同クラスの中でも小さい方のようだから、そういう性質なのかもしれず、成長して伸びていくのかもしれず、こればかりはわからない。

「お姉ちゃんになりたい」というのが夢だそうである。なるほど、今のところ、娘には弟妹がおらず、一人っ子である。一人っ子の性質を私は知らないけれど、一人っ子には一人っ子の世界があるのだろうし、兄弟姉妹持ちには兄弟姉妹持ちの世界があるのだろうとは思う。体験したことがないことであり、無論、これからも取り戻すことは出来ない世界の話であって、どちらが良いということでもあるまい。

お盆付近に家人の実家へと帰った時も、娘は歓待され、帰宅してもしばらくは興奮気味であったし、昨日の誕生日当日には、私の母と祖母の住み暮らす家へと立ち寄った。娘にとっては5歳になったことは嬉しいことであったようだ。成長し、歳を重ね、経験を積み、出来ることが増える。この繰り返しが愉しいと思えるのは何歳までの話だろうか。あるいは、今でも、出来ないことができるようになることは愉しいことではあるけれど、その為に、自分の時間と労力を思う存分使えたのはいつまでだっただろうか。記憶には定かではないけれど、私にとっては過去のことではある。その通り過ぎた過去と同じではないけれど、近しい何かを娘が過ごしているのだと思えば、なるほど、そういうものだなあと眺めていて感心する。

そろそろ、習い事も始まるだろうと思う。私の中では保育園に通っている間に習い事をするのは得策ではない可能性も思っていたのだが、音楽に関しては出来るだけ早くが良いともいうし、本人が希望する習い事については、国語力が不足しているように思えて、個人的にはまだ早いかと思っていたが、いよいよ平仮名の読み書きについて随分と出来るようになっている。これから本人の希望も聴いて、決めていければ良いと思っている。

私が子供の頃には無かった技術や文化が今の世の中には溢れている。私の体験してきた技術革新のような大きな変化がこれからも起こる可能性はあるが、私の時ほど様々の事柄を一気に進めていくような革新が起きることは考えづらい。おおよそ、IT業界で言えば、その技術革新は一度停滞領域に入っているようにも観えるし、コンテンツも出尽くしたのではないかとさえ思える。リオ五輪の閉会式を観て、「凄いなあ」と思う人がそれほど多いとは思えない。最新の技術ではあるだろう、日本が誇るアーティストも参加しているだろう、けれども、それが目新しいか?と言われたらどうだろうか。私には目新しくは映らなかった。それは新しい技術への欲求が加齢と共に減ってきたからであろうか?それがゼロとは思わないけれど、娘がよく愉しんでいるアニメや動画等を観ていると、それは決して、技術的に優れているとか、目新しい事ばかりではないように思える。

私とは違う世界が彼女には広がっている。彼女がどのように感じたかについて、私に語り聞かせてくれる時間はそれほど多くはないのかもしれないが、出来るだけ娘の話を聴いて、彼女との時間を大事にしなくてはと毎日願っているところでもある。あと、10回ぐらいは娘の誕生日に思いを馳せれればと願っている。そのくらいになれば、彼氏の一人も見付けて居るだろうし、家族ではない誕生日を過ごすようにもなるだろう。斯くの如く、娘の成長は、今のところは、私にとっては愉しく、今年も無事にその日を迎えられたことを喜んでいるところなのである。

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ナポリタンの評価

スパゲティ・ナポリタンというのがある。割りと日本人には認知度が高いのではないかと思うが、イタリアには存在しないという話は有名になってきている。

レシピは様々あるが、ハムか、切ったウインナソーセージあたりを多めの油とバターで、薄切りの玉ねぎと炒めて、他にも、コーンやグリンピースやピーマンのような色味の良い野菜やしめじやマッシュルームのようなきのこ類を加えて、ケチャップを投入し、茹で置きの麺と混ぜたもの。

という具合ではないかと思う。こだわろうと思えば、いくらでもこだわれるのであるが、こだわりすぎればそれは別のものという気がして、近年、ますます、数の減った喫茶店(純喫茶・田園が毎年なくなりつつある。この話は別に)でピザトースト(これは別の機会に)と共に名物として供されることの多いメニューの一つであろう。

この中で最も大事な部分は何か?といえば、人により異なるとは思うが「茹で置きの麺」であると私は確信している。茹で置きの麺とは何かというと、スパゲティの麺を大量に茹でた後に湯切りをし、場合によっては水で締めて、その上でサラダ油をかけておく、そうすると麺のほぐれが良くなり、保存性が増すのである。このようにして、事前に準備した麺を利用して作ることが多いのだが、この「茹で置きの麺」こそが旨さの秘訣であると私は思っている。

家庭で作る時にわざわざこの「茹で置きの麺」を作ってから作るという人は少なかろうから、何やらちょっと「本格」じみたスパゲティナポリタンになるということで昔を思い出す人には、逆に物足りなさを感じるもので、私のオススメはパウチされた常温保存即席麺タイプの「ナポリタン」である。汁気の少ないソフト麺の様な見た目に酸味の強めのケチャップ味の調味料が付いている。三色入り焼きそばのソースのような粉末タイプとなっており、サラダオイルで具材と共にその麺を炒め上げたところに、その付属の粉末調味料を振りかけて、少し長めに火をかけると少し焦げのようなものが出来て香ばしい。料理に「焦げ」が禁物であるというのは当然のことであるが、この焦げが香ばしさを誘う。この少しの焦げはかまど炊きのご飯のお焦げの良さに繋がるもので、是非とも、少し焦げたところを作りたい。では、以下に、私がオススメする完成版の豪華版ナポリタンのレシピを書いてみよう。

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材料:即席麺タイプナポリタン2袋、ウインナソーセージ3本(あまり高級でないものがよい)玉ねぎ1個(小ぶり)、マッシュルーム(缶詰でよい)、しめじ(半株)、ケチャップ、塩、胡椒、サラダ油、バター、玉子1個、チーズ(お好みの量)

1)ウインナを斜め切り、玉ねぎをスライスし、マッシュルームの缶詰を水切りする。しめじの石づきを取ってバラす。即席麺の麺を袋から出して30秒ほどレンチンする。

2)火は中火(それなりの弱さ)。フライパンにサラダ油を大さじ1入れて、ウインナ、玉ねぎ、しめじの順番で炒める。ウインナ、玉ねぎ、しめじに油がまわったところで、麺を加える。全体に具材が混ざり、油を絡めるようにする。ここでコショウを強めで、塩コショウを軽くしておく。

3)火を弱火(かなり弱い)水切りしたマッシュルームを加え、粉末調味料を加えて、さらに、よく混ぜる。フライパンを動かしながら、全体をぐるぐると混ぜる。この段階で味が薄い事が多いので、ケチャップを加えて味を整える。最後に強火にし、少し香ばしさを出すと良い。

4)炒め上がったナポリタンを耐熱皿へ移し、上からチーズをかける(シュレッドタイプのものが便利であり、よく「トロけるチーズ」という名前で売っている)。ラップをし、レンチンで2分程でチーズが溶ける。その間に今使っていたフライパンを洗い、新たにサラダ油を引いて玉子を焼く。出来れば少し多めの油で白身の縁がフライドエッグのようになるのが良い。上手く出来なければターンオーバーでも良いとおもう。

5)レンジから取り出した先ほどのナポリタンに目玉焼きを乗せて、その上からケチャップを少々かけて完成である。

コツとしては前半ではそれほど長い時間炒めないこと。後のレンチンする時間などがあるので、最終的に火が通るのである。そして、ケチャップには少し固めの目玉焼きが合うように思うので、半熟にこだわらない方が旨いと思う。
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かくして、小麦の国(群馬県)からやってきた家人に「旨いとは思うが、これはスパゲティではない」と否定された即席麺を使ったナポリタンが好きである。スパゲティの中では「カルボナーラ」と共に両巨頭として私の評価は高い。


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人品という言葉あるいは民度ということば

私が物心付いてから、大きな地震というのが今回の熊本地震によって三つ目となった。罹災された方にはお見舞申し上げるしかなく、また、私の出来ることなどはほぼ無いわけだが、そういう中で少しばかりの支援をすることとした。「やらない偽善よりやる偽善」というよく言われる言葉が必ずしも正であるとは思わないが、心持ちは別にして行動する者を非難したり、邪魔したりということについては到底認められる行為であるとは思えない。

震災は様々の条件が重なり、結果としてこのような被害になる複合的なもので、震度や震源地、あるいは、時間帯、発生場所などを単体で比較することは出来ない。それらが全て重なった結果で大きな被害になる。

過去の震災を振り返れば、阪神・淡路大震災の折には地震とその後の火災が大きな被害に繋がり、東日本大震災については地震とともに発生した巨大津波によってあのような被害になった。今回の熊本地震に関しては、前述二つの被害拡大条件は起こらなかった。それはその他の条件によって起こらなかったことでもあろうし、前述の二つによって教訓を身に付けて進歩した部分もあって被害を抑えることが出来た部分もあっただろうと推察している。

その代わりにSNSやTV報道の偏向ぶりには辟易するような事態が多く、放射能の話題を出し続ける人、地震は人工的に起こったものであるという話など、ノストラダムス以下の話題が多く流れてきて、以前よりもより酷いのではないかと思えてならず、他者の信義信条についてとやかく申したくないが、私はそのような話についてネタにするにも程があるだろうし、TPOもわきまえないことだと人品を疑う。

隣接する福岡県まで一部の食料や飲料まで姿を消す騒ぎとなった。家人も少しばかり、水を買っておこうと言っていたものの買うことは出来なかった。私は「さもしいことはしないようにしよう」と家人に声を掛けた。実際に、我が家では何の被害もなかったし、何の問題もなかったのだから、慌てて何かをするようなことはしたくなかったし、するべきではないと考えた。このタイミングで自宅用に水を大量に購入する。食料品を買いだめするなどの行動に出るものは喉元をすぎればそのような備蓄について考えることはしないだろうし、無駄になるだけに思える。オイルショック時のトイレットペーパーが無くなるという流言飛語に近いのではないか。調べればわかるが、あれは単なる流言飛語であると判明しているし、一部の銀行の取り付け騒ぎも同じような流言飛語で発生した事例は幾つもある。

人の本質だけは何年経っても変わらず、あるいは、民度という尺度でいえば、上がっている人と下がっている人の差が顕著になって、良くも悪くも、金銭だけではない格差が拡がっていると思えてならない。

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新年度を迎えて

新年度である。日本だけなのかどうか、年明けと年度明けには少々意味合いが違うものがあって、4月の初旬のお祝いムードはその人の生活によって異なるといってよい。ある人は新年こそが一年の始まりと思うだろうし、ある人は新年度こそが新しい年であると思うだろう。それは人それぞれのことである。

我が家ではどうかといえば、家人の奉職する職場が12月が決算月だそうである。私が奉職する企業は1月が決算月であり、双方ともに、3月ぐらいまではそれなりに巻き込まれることが多い。そんな中、娘は4月で進級するわけで、彼女にとっては明日の進級式から先がある意味の新しい年なのではないかと思う。新しい教室の場所を説明し、自らの名前の入った靴箱を案内する様子を見れば、それなりに楽しみなのであろうことは理解できた。自慢気に案内する靴箱には既に名前のシールが貼ってあり、今日も、私が私の母と共に出掛けた時にねだられた黒に紫の色使いのスニーカーを履いていた。そればかり履いてはボロボロになるだろうし、成長期の娘にとってはもうそろそろサイズも合わないことも有るだろうけれど、履きつぶすぐらいに気に入ってくれていると思えば、それはそれで嬉しいものだ。

通勤時に見掛ける中にどうやら新社会人だろうと思われるリクルートスーツ姿の人をちらほらと見掛ける。また、どうやら、新しく進学したのであろうか、真新しい制服を着た中高生の姿もある。リクルートスーツにせよ、制服にせよ、それが馴染むのはひと夏を超えてからのような気がする。ネクタイの結び目一つ見ても、それはフレッシュマンのそれであって、少しいびつながらもしっかりと締められているものでなかなか新鮮だ。私のようなベテランのおっさんになるとネクタイの結び目もそれなりにしっくりと合わせる技術が身につくし、そこまでしっかりと締め切らずに結ぶ人が増える。それが馴染んでいる目印の一つなのかもしれない。

私は通勤時間はそれほどコロコロと変える方ではないので、ほぼ同じ時間に同じ道順で通勤している。その為、通勤路では同じ自動車に出会い、同じ時刻表のバスに出会い、どうやら、通学、出勤する人たちともほぼおなじ人々とすれ違っているようで、何度もそれが続くと、面識こそ無いが、なんとなく、見知ったような心持ちになって、「おや?新車に乗り換えたか」とか、「おお?彼女が出来たか」とか、「第二子ですか?おめでとうございます」などと勝手に親近感を持って眺めていることがある。期せずして、「おはようございます」と挨拶を交わす仲になるようなこともある。そうすると「おお!おはようございます!お久しぶりです」と名も知らぬ相手に一声掛けるような場面まで出てくる縁は奇なものである。

そのような親近感がなんとなく社会の縮図のような気がしてならないのである。この類の社会の縮図が元々の縮尺に変わったものが、今の世の中なのではないかと思えてならない。どんよりとした閉塞感のようなものが世に蔓延していても、この季節の前述のような事によって、私は何やら、くたびれた自分にももう一度活を入れようという気になるのである。とりあえず、5月の連休までに歯の治療を終えよう。そういえば、私の尊敬する出来る人々は忙しい中でも自分自身のケアをおこたっていなかった。私もそれに習おう。そして、フレッシュマンと一緒に仕事にかぎらず何かをやろうと思い立ったのである。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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