朝の支度の時間の話である。今日の支度時間はいつもと比べて用意が早かった。
「6歳のおねえちゃんやけんね!」(6歳のおねえちゃんだからね!)
だそうである。そう、娘が6歳になった。産まれたその日のことを毎年振り返る。それはまだ、娘が産まれてからよりも、私と家人の人生が長く続いていて、その総量が振り返ることができる容量であるからであって、恐らくはあと10年もしたら、振り返る事ができるのは、もう少し後までになってしまうことだろう。
その6歳のおねえちゃんは今のところは一人っ子である。同年の友達には兄弟姉妹が居る子も多い。そういうわけで、妹が欲しかったり、弟が欲しかったり、色々であり、保育園では下の子の面倒をみたいらしい。こればかりは縁があって、我々の所に来てくれるわけで、願いが叶うかどうかは私と家人だけでは決まらないことでも有るのだが。
近頃、急激に学習が進んで、平仮名と片仮名と一部の漢字を読むことが出来るようになった。書く方はまだまだではあるが。数と数字については100までは使えることになった。ただ、桁上りの理解についてはまだ薄い。10進数と60進数という不便な違いがあるため、数と時間の理解に少々時間を要している。年内には使えるようになるだろうとも思う。
食べ物の好き嫌いはほとんど無い。さっぱりした単調な味付けがあまり好きではないことと幼児向けの魚肉ソーセージが嫌いである。シール欲しさに買おうとして、中身は魚肉ソーセージであると伝えると諦めるということを繰り返している。身長は毎月1cmぐらい伸びている。その内、標準身長に追いついてくるだろう(これまでは整列で一番前であった)。
優しい子に育ってくれていると思っている。家人の教育の賜物であるとも思う。ただ、一人っ子だからなのか、本人の性質なのか、あまり、争いごとや競争を好まない性格が見えており、今後の学習や成長でどのような影響が出るのか。あるいは、勉強やスポーツが進捗するなかで、そういった思いが出てくるのだろうか。初めての子育てである。初めての女子の成長を観ているところである。私には解らないことが多すぎて、なるほどと思いながら、今年もまた、親にしてもらっていると感謝している。
家人曰く「娘に甘すぎる」とのことである。何か失敗した時は家人よりも先に私を呼ぶ。つまりは、私は怒らない人だと思われているんだろう。保育園でもそのように思われているということだそうな。登園時に娘の荷物を持っていくのもあまり良いことではないらしい。確かに、来年からは自分で背負っていくのだが、それまでは私が持っていっても良いんじゃないのかな?と思っている。担当の保育園の先生からも「お荷物は自分で持たせてあげて下さい」と冷たい目線で言われる始末。しかし、娘の荷物持ちなんて、一生の内で何年出来るだろうか。そのうち、好いたらしい男が出来て、出て行くのが娘であって、可愛いとは思うし、一生変わらずに彼女は私の娘で、一生変わらずに私は彼女の父で有るけど、私が面倒をみることが出来る時期なんて、ほんの一瞬のことなんじゃないのか?そんなことを考えている(その時点で甘いのかもしれないな)。
というわけで、娘が6歳になった。そして、私は父親6年生。やっと父親小学校に来年から入れるということで、まだまだ、未熟者であるという自覚だけは有るのである。
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