辞意を表明した首長に対して、どのような言葉をかけるのが正しいのか。それは不明であるが、少なくとも、それが事件を起こしたであるとか、なにか本人が原因の引責辞任のようなものである場合は別にして、まずは、「お疲れ様でした」「ご苦労さまでした」「ありがとうございました」などの感謝の気持ちは誰もが持つものであるとは思っている。それを誰もが持てない空気になっていることが裏寂しい気持ちになったということである。会見に向かった記者も一言それを述べてから、今後について取材するなり、何かを追求するなりすれば、そこまで当たりは強くなかったようには思う。取材現場において、そのようなことをしている暇はないという見方もあるかも知れぬが、その暇は惜しまなくてもいいのではないかとも思う。
前述のことは、個人の考えの事ゆえ、どちらの見方もあると言ってよい。しかしながら、次の国政を担うのは誰になるのかということについては、本来はもう少し真面目に話題になるべきだと思われる。菅官房長官が自民党総裁選を勝ち抜いた。7割の得票数である。つまりは、圧勝と言える。その結果がどの様になるのかは経過しなければわからない。しかし、現在、私が感じる雰囲気として、なるほど、全体的な目標を立てて、筋道を任せるタイプだった責任者の次は細かい部分から潰していこうという気概のタイプなのだということである。各論を中心にすすめるタイプであることが悪いことだとは思わないが、私自身がそのタイプの人間と合わない部分があるので、部下の人は大変だろうなと思ったぐらいのことである。「トップは夢を語るもの」という人がいる。しかし、どれだけ夢を語っても、それは単なる夢であって、現実化するためにはじっとそれが実現するまで事を起こすしか無いということでもある。それができる人はそれほど多くはないように思う。
今、求められているのは「何か」は刻一刻と変わっていくものと思うが、おおよそ、人口動態的には、今後均衡が取れていく(出生率低下と死亡率増加の2つが起こっているが、人口は減少したところで均衡するであろうということ)。均衡が取れていく中で、新しい変化が産まれるに違いないと思っている。現在よりも一人あたりの負担は減っていくかも知れないし、年金を含む制度が再びまっとうに動き出す可能性もある。長い年月を掛けて行われる調整と調和がそこに生まれてくれればよいと思う。私が見られる未来であるかは不明であるが、最も確からしい未来の予想がそこにはある。
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