いつの間にか梅雨入りしており、いつの間にやら梅雨明けをするような日々が何年か続いた。九州の梅雨はジメジメとしており、それは結構不快な季節である。この時期に体調を崩す人も少なくない。そういった人も多くある。今年は私も夏風邪で少々苦しんだ。今年の風邪は喉くるようだ。この梅雨入りから訃報が続き、様々のスキャンダルが流れて(私にとってどうでも良い話題もあったが)、騒がしい梅雨となった。亡くなった方のご冥福をお祈りするばかりだ。
閑話休題。話が逸れた。最近は娘について少々書こう。昨年の夏。娘が産まれた果たして、健やかに育ってくれるかどうか不安で仕方なかった。何しろ、男兄弟であり、女性の生態を知らぬ。しかも、そんな小さな赤子の面倒を見た記憶もそれほど無い。驚きの連続のままに半年が過ぎて、10ヶ月ほどになった。いよいよ、歩き出しそうな勢いで元気よくつかまり立ちをし、ハイハイをしつつも、周囲の物体に興味津々の様子でもある。近頃はマウスが気に入っているようである。私が今は使っていないUSB接続のマウスを渡した。そのマウスで遊んでいる事も多い。また、第一子でもあり、周囲の方々の暖かな支援もあり、ありがたくも多くの祝いをいただいた事もあって、色々と興味が出そうなおもちゃの類もプレゼントされており、毎日、何か遊んでいる。
家人が勤めに出ている事もあって、娘は0歳児保育をされている。慣れない両親に加えて、プロフェッショナルの保母の方々に面倒をみてもらうこと。そして、同年代の子供達のやりとりは本人にもプラスになっているようで、あっという間に家に居るときに出来なかったことを出来るようになっている。子供の成長は早い。私が何かを身に付けようとすれば、多くの本を読み、知識を蓄えつつ、体を動かし、鍛錬して自分自身を変えてゆくための準備をしなくてはならない。しかし、生後1年以内の子供達は感覚的に何かの要諦を掴んで、ぐいぐいと成長しているようで、その能力は段々と失われていく感覚に違いないのだなと改めて感じたところである。
我が子は当然可愛い。その可愛さを例えることは出来ない。眼の中に入れても痛くないなんてのは、例え話で眼の中に入れれば痛いとは思うが、その気分を理解しないほどの野暮では無いつもりである。家人は娘を厳しく叱る責任の所在である。娘が正しく生育していくためのしつけに対する責任を親がおっていると言うことを考えれば、当然、私も家人も娘を叱ることはある。しかし、私はまだ、娘を叱りつける事が難しい。親に叱られる経験など皆無になった。当然、私が長じた事もあるだろうが、叱られるようなことは高校卒業前後には既に無かったように思える。そして、歳のそれほど離れない弟しか居ないわけで、何か物申すようなことも無い。私は叱ることになれていないようだ。そして、10ヶ月ほどの娘には日本語が通じない。叱られている事が判っているかどうか?が不明なのである。
成る程、親業とはなかなか難しいものであるなと改めて感じる日々である。歯も生えて、体もしっかりしてきている。いつ歩いてもおかしくない。そんな娘を眺めているのは楽しいが、親業の手練れとなる日はいつのことか。子のお陰で親も育つという話もあった。特別なものでありたいとは思わないし、全てにおいて正解を選んで生きてきたとも思わぬけれど、観る者が居る今となってはだらけた事は出来ないということだろうか。娘の日進月歩の姿には到底見劣りするけれど、当面は先に進むしかない事は自覚している。
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