2日ほど前、例の話題の阿部のマスクが我が家にも届いた。デザインは報道されている通りであり、台紙も全く同じものであった。特にこれといって、汚れている風でもなく、普通のマスクである。今の所、我が家では少しばかり高値ではあったが、使い捨てマスクを二箱おいてある。主に家族が使う用ためである。私は布製の洗えるマスクを使用しており、今の所はそれで事足りている。
国の方針としてどうかという議論を呼んだことは記憶に新しいが、他に行うべきことを思いつけなかったという意味で言えば、不幸なことであると思わざるを得ない。本人の発案なのか、あるいは、取り巻きの発案なのか。そのことは今となっては憶測でしか無いが、掛かる金額を勘案すれば、おおよそ正気の沙汰とは思えないマスク配りということではあった。
ただし、他に何か思いつくかと言われれば、思いつかないことも事実ではあり、ポーズという意味でいえば、「何もしていないわけではない」という言い訳の意味もあり、マスクを送付するという事になった可能性もあるだろう。大義名分が必要なことなのかもしれないが、明治の元勲たちの伝記などを読んでいれば、政治家というのはつくづく面倒なことであるし、本来は職業であってはならぬものがいつの間にか職業になってしまっているような気がする。寡聞にして、国会議員が職業欄にどのように記入するのかは知らんが、生家が実業を行っているような人だったり、あるいは、自分で起業して会社役員をしているような人ばかりではあるまいから、国会議員と記入しない場合は、「無職」か、「個人事業主」というような事になるのかもしれない。
海外では、よほど大きなところでなければ、無給で議員をしているようなところも少なくないとのことなので、本来はそういったことなのかもしれない。本当の意味で、自分でお金を出さなければ、議員が続けられないような制度ということでもある。元々、選挙権にせよ。被選挙権にせよ。納税額で決まっていた時代があった(これを制限選挙という)。今のような制限のない普通選挙になったのは、そんなに昔の話でもなく、女性の参政権までを範囲に入れるとすれば、昭和20年の終戦後ということになる。それはおおよそ正しい方向性で時代が進んだということの結果であるとは思うが、それから75年ほどの月日が流れた。人の暮らしは変化し、寿命も大幅に伸びた。定年だって、平成の初頭ぐらいまでは、55歳での定年だったわけである。60歳定年制の導入は平成10年。再雇用の義務化は平成2年。それまでは努力義務ということであり、55歳、60歳で引退し、預貯金と年金で暮らす人も少なくなかったということでもある。それが、65歳、70歳というところまで伸びた。人生の配分を考え直さなければならない。人が全力で走れる距離が同じだったとして、ゴールだけ先に進んでしまったわけで、そう簡単に最後まで同じペースで走れるわけでもあるまい。
選挙権だって、喫煙だって、飲酒だって、始まりはもう少し先に伸ばしていいような気もするし、ある程度の年齢になったら、選挙権は返上しても良いような気もする。私も四十路であるが、あと、30年ほども労働者人生が続くとなると少しばかりゲッソリとする気もするのである。その前に、突然死するかもしれないし、事故死するかもしれないし、天寿をまっとうするかもしれないし、コレばかりはわからないのであるが。ただ、いつか死ぬことだけはわかっていることであり、その死んで終わるまでの間のかなりの期間が労働にまみれている状況になっているのが今ということになる。
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