新年ということになった。2018年である。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
毎年、年末には某かの日記を書くことを自分でやってきたのであるが、今年はそれが出来ていない。忙しさは理由にはならない。ただ、書いていないだけでもあるだろう。
昨年の秋から、転職活動を本格化している。自分で言うのも何だが、そんなに簡単に考えているわけではない。転職というのはそれなりの労力を伴うものだし、自分自身がその渦中に自分を置くというのはそれなりのリスクを取るということでもある。黙っていれば、家族が食べていく程度の収入を得ることは難しい事ではない。自分自身がやっている仕事に対しても、多少の自負はあるとも思う。自分が居なければ仕事が廻らないとまでは思わないが、少なくとも、自分が行っていることが無駄なことではないとは思う。
しかしながら、自分の身勝手だけで暮らしていくことは難しい。祖父母を無事に送ることが出来た。こうして、私の身内は大きく分けて、直系の親族では母と弟の二人だけということになり、傍系では従兄弟のみとなった。私が大きく気にしなければならないのは母のことだけということになり、その母も大病を乗り越えて、自らで立とうとしている。
私は次はどうするのかと言われたら、家族を中心に考えなければならない。つまりは、家人と娘のことである。今のところは私を含めた3人家族であり、この3人家族の小さな集まりが私にとっての中心となっている。この暮らしを廻していくことが、私の目下の命題であって、それに関しての最良を目指していかなくてはならない。それを妨害するものは除外しなくてはならず、障害になる要素は少しでも少なくする必要がある。
家人は三十代前半である。私は四十路。つまりは、不惑である。あと、20年弱は娘の行く末を見守る必要が少なくともある。そこに対する責任は果たさなくてはならない。その後、娘がどのように成長するかについては、私がとやかくすることではない。自己責任とは思わないが、目鼻を付けて、生活力を付けてやることぐらいしか、私が出来ることはない。そのために最良を探すことが私に求められていることでもある。
「仕事にやり甲斐」などというのは綺麗事であり、その見返りを求めて行くと決めたからには、綺麗事だけで仕事をするつもりはないということでもある。「金に色は付いてない」ということであり、そのことに考え至っている。まだ、「金に色をつける」には至っていない(個人として)ので、娘が大きくなっていく課程でそのようなタイミングを目指したほうが良いかも知れないとも思うが(つまり、宝くじ当たりたい)。
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