私が物心付いてから、大きな地震というのが今回の熊本地震によって三つ目となった。罹災された方にはお見舞申し上げるしかなく、また、私の出来ることなどはほぼ無いわけだが、そういう中で少しばかりの支援をすることとした。「やらない偽善よりやる偽善」というよく言われる言葉が必ずしも正であるとは思わないが、心持ちは別にして行動する者を非難したり、邪魔したりということについては到底認められる行為であるとは思えない。
震災は様々の条件が重なり、結果としてこのような被害になる複合的なもので、震度や震源地、あるいは、時間帯、発生場所などを単体で比較することは出来ない。それらが全て重なった結果で大きな被害になる。
過去の震災を振り返れば、阪神・淡路大震災の折には地震とその後の火災が大きな被害に繋がり、東日本大震災については地震とともに発生した巨大津波によってあのような被害になった。今回の熊本地震に関しては、前述二つの被害拡大条件は起こらなかった。それはその他の条件によって起こらなかったことでもあろうし、前述の二つによって教訓を身に付けて進歩した部分もあって被害を抑えることが出来た部分もあっただろうと推察している。
その代わりにSNSやTV報道の偏向ぶりには辟易するような事態が多く、放射能の話題を出し続ける人、地震は人工的に起こったものであるという話など、ノストラダムス以下の話題が多く流れてきて、以前よりもより酷いのではないかと思えてならず、他者の信義信条についてとやかく申したくないが、私はそのような話についてネタにするにも程があるだろうし、TPOもわきまえないことだと人品を疑う。
隣接する福岡県まで一部の食料や飲料まで姿を消す騒ぎとなった。家人も少しばかり、水を買っておこうと言っていたものの買うことは出来なかった。私は「さもしいことはしないようにしよう」と家人に声を掛けた。実際に、我が家では何の被害もなかったし、何の問題もなかったのだから、慌てて何かをするようなことはしたくなかったし、するべきではないと考えた。このタイミングで自宅用に水を大量に購入する。食料品を買いだめするなどの行動に出るものは喉元をすぎればそのような備蓄について考えることはしないだろうし、無駄になるだけに思える。オイルショック時のトイレットペーパーが無くなるという流言飛語に近いのではないか。調べればわかるが、あれは単なる流言飛語であると判明しているし、一部の銀行の取り付け騒ぎも同じような流言飛語で発生した事例は幾つもある。
人の本質だけは何年経っても変わらず、あるいは、民度という尺度でいえば、上がっている人と下がっている人の差が顕著になって、良くも悪くも、金銭だけではない格差が拡がっていると思えてならない。
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