新年度である。日本だけなのかどうか、年明けと年度明けには少々意味合いが違うものがあって、4月の初旬のお祝いムードはその人の生活によって異なるといってよい。ある人は新年こそが一年の始まりと思うだろうし、ある人は新年度こそが新しい年であると思うだろう。それは人それぞれのことである。
我が家ではどうかといえば、家人の奉職する職場が12月が決算月だそうである。私が奉職する企業は1月が決算月であり、双方ともに、3月ぐらいまではそれなりに巻き込まれることが多い。そんな中、娘は4月で進級するわけで、彼女にとっては明日の進級式から先がある意味の新しい年なのではないかと思う。新しい教室の場所を説明し、自らの名前の入った靴箱を案内する様子を見れば、それなりに楽しみなのであろうことは理解できた。自慢気に案内する靴箱には既に名前のシールが貼ってあり、今日も、私が私の母と共に出掛けた時にねだられた黒に紫の色使いのスニーカーを履いていた。そればかり履いてはボロボロになるだろうし、成長期の娘にとってはもうそろそろサイズも合わないことも有るだろうけれど、履きつぶすぐらいに気に入ってくれていると思えば、それはそれで嬉しいものだ。
通勤時に見掛ける中にどうやら新社会人だろうと思われるリクルートスーツ姿の人をちらほらと見掛ける。また、どうやら、新しく進学したのであろうか、真新しい制服を着た中高生の姿もある。リクルートスーツにせよ、制服にせよ、それが馴染むのはひと夏を超えてからのような気がする。ネクタイの結び目一つ見ても、それはフレッシュマンのそれであって、少しいびつながらもしっかりと締められているものでなかなか新鮮だ。私のようなベテランのおっさんになるとネクタイの結び目もそれなりにしっくりと合わせる技術が身につくし、そこまでしっかりと締め切らずに結ぶ人が増える。それが馴染んでいる目印の一つなのかもしれない。
私は通勤時間はそれほどコロコロと変える方ではないので、ほぼ同じ時間に同じ道順で通勤している。その為、通勤路では同じ自動車に出会い、同じ時刻表のバスに出会い、どうやら、通学、出勤する人たちともほぼおなじ人々とすれ違っているようで、何度もそれが続くと、面識こそ無いが、なんとなく、見知ったような心持ちになって、「おや?新車に乗り換えたか」とか、「おお?彼女が出来たか」とか、「第二子ですか?おめでとうございます」などと勝手に親近感を持って眺めていることがある。期せずして、「おはようございます」と挨拶を交わす仲になるようなこともある。そうすると「おお!おはようございます!お久しぶりです」と名も知らぬ相手に一声掛けるような場面まで出てくる縁は奇なものである。
そのような親近感がなんとなく社会の縮図のような気がしてならないのである。この類の社会の縮図が元々の縮尺に変わったものが、今の世の中なのではないかと思えてならない。どんよりとした閉塞感のようなものが世に蔓延していても、この季節の前述のような事によって、私は何やら、くたびれた自分にももう一度活を入れようという気になるのである。とりあえず、5月の連休までに歯の治療を終えよう。そういえば、私の尊敬する出来る人々は忙しい中でも自分自身のケアをおこたっていなかった。私もそれに習おう。そして、フレッシュマンと一緒に仕事にかぎらず何かをやろうと思い立ったのである。
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