震災から、3・11で5年を過ぎた。早かったといえば、早かったといえるような気もするし、もっと、直截な当事者にとっては長い年月だったのかもしれないとも思う。テレビも新聞もネットもあらゆるメディアで当時のことを振り返ることが為されており、それはそれで、忘れないという意味では必要なことかもしれないけれども、忘れることによって次に進むことが出来る可能性も考えた時、必ずしも、それが正解であると思えないのである。
本来は次の一歩へ進む取組について表に出すような機会にするべきではないのかと思えてならない。永遠に戻らない時間と永遠に同じ形にはならない土地。その2つに対して、何が出来るのかと考えた時、それでもそこで暮らす生活が有り、それでも、動かさねばならない設備が有るのだということについて、考えを巡らせないわけにはいくまい。私は原発賛否は別にして、今あるものを止めるのは意味が無いことであると考えている。今あるものは動かして、十分な発電量を担保しつつ、原子力に替わる別の発電方法を模索し、新造していくべきではないか。そうすることで次へ進めるのではないか。
エネルギーコストなどについては、私は専門家ではないので、具体的にこれが良いと思いつくことはないのだが、元々は原子力発電所がない時代もあったわけだし、省エネに関して言えば、技術革新が進んで、同じ規模のモノを動かすのに必要な電力は年々減っているはずであり、そのような努力は様々な企業が行っていることでもあって、そこに対するバランスのようなものが釣り合うタイミングがどこかで訪れるだろうとは予想できる。
そもそも、九州に住んでいると被害を被ることになる、PM2.5などの問題のほうがよほどに思い問題であって、あの化学物質で命を落とす人が居るということはあまり報道されないが、実際にはかなりの数居るのである。原発云々の前に隣の国の事とはいえ、そちらを何とかするべきではないかとも思われるのである。
ともかくも、戻らない、戻れない。それを悲観せず次へと進もうとする人を応援する気持ちだけは亡くしたくないものだ。何が出来るかわからないけれども、少しばかりの募金(小銭程度だが)は5年経った今も継続している。他に思いつかない私の唯一の応援方法であるからだ。
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