9月が終わり、10月となった。早いモノだ。9月の台風が幾つか通り過ぎた辺りから、何やら、秋の色が濃くなり、気温も下がったように思える。まだまだ、暑い日もあるが、朝夕の涼しさはそれなりに秋だなあと感じる。私がどちらかと言えば好きな季節。秋から冬が近づいてきたといってよい。私自身、10月の産まれ。この月に一段落するわけである。なるほど、やはり、生まれ月に体調が良いというのはそういう記憶があるのかも知れずとは毎年思う次第である(毎年、枕のようにこの感慨にふけっている)。
娘の成長と日々の仕事に邁進していると書けば聞こえが良いが、次々と残念なお知らせは入るし、祖父母の体調もそれほど整わない感じで、何とも閉塞感は漂っていると言って良いのかも知れない。
私は良くこういう言い方をする「心を折る」という。「心を折る」というのは「挫折する」ということではなくて、自分の力配分をシフトするということで、突っ張ってばかりではダメだということである。年齢を重ねるごとに、自分の立ち位置が変わり、自分の力配分も変えていかなくてはならないし、私のように再びの妻帯し、家族を持つということであれば、その為に腐心する事も少なく無い。
観ていて、もう少し、丸みが出た方が良いなあと思う人は居る。加齢で多少の丸みが出る人のほうが数が多い。それは加齢と共に新陳代謝の速度が落ちることで、基礎代謝なるものが落ちるので、同じ食べ物を食べて、同じカロリーをとっても、消費しきれないから増えるのである。理屈は解っている。しかし、その理屈を解っているからといって、自分の好きなものを我慢するとか、酒を控えるとか、自分自身をギリギリの線まで追い詰めるようなことは、そう簡単にできるものではない。人は易きに流れる生き物であるし、若い頃よりは少しばかり、理由と言い訳も増える。まあ、それは良い。体型の話ではない。心持ちの話であるし、人当たりの話である。その時の丸みは必要不可欠と言って良い。そのような丸み無くして、人としての熟成は無いと感ずる。永遠の少年と言われれば聞こえは良いが、それは単なる、ワガママを繰り返す莫迦者なのではないかと思うのである。押し引きの加減を身につける事で出来ることの幅も増えるという次第である。押して押して押しまくるスタイルを否定するわけではない、押し引きの加減を十分に身につけた人々の物事の運びは気がつけば、自分も巻き込まれ、一所懸命にそのことに邁進しているといった事で、どちらにも悪いようにはならない。言うなれば、それは物事の機微を理解しているということに他ならない。
仕事も、恋愛も、家庭も、すべては「機微」で決まっていると言って良い。そのような機微を身につけられなければ、人は何時まで経っても成長も成熟もない。熟れてゆかぬ果物に価値がないように、熟れてゆかぬ人にも価値はないと思うのである。私もそろそろ熟れなければならぬ。そのようなことを感じるのである。
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