梅雨明けをしたと思えば、いきなりの夏になる。近頃は助走というのが無い気がする。いきなり、気が付いたら、季節の移り変わりをしている。「そういえば…」と言うことでも無く、梅雨明け宣言の途端に真夏であるといってよい。私はどちらかと言えば、寒い季節の方が良いが、年々、暑さが厳しくなるわけで、寒い季節よりも暑い季節の方が長いという気がする。暮らしている地域にもよるかも知れないが。
今夏、様々の出来事が起こる事が確定的で自分自身の身の振り方についても考えなくてはならない季節なんだろうと思っている。恵まれたポジションに居るという見方も出来るだろうけれど、それが確実に恵まれているという保証は何処にも無い。広い視野で見る必要だってあるだろう。3年ぐらいの周期で見れば、定点観測を続ける私の視野の中で5名ほど割と大きな転機を迎えたようだった。転職、結婚、出産、引越し。様々のイベントが起こり、その内のいくつかではお亡くなりになった方もおられた。
生まれて最初に解る事が死ぬ事ではある。他の事情はわからない。大過なく過ごせる人も居れば、あるいは、大病を得る人も居るだろうし、家族・友人に恵まれる人も居れば、仕事で大成功する人も居る。全ては当人の努力次第なのかも知れない。けれども、そういった不確定な要素の中で万人に平等に訪れるのは死ぬ事だけだ。
いつも死ぬ事を考えている事が大事だとは言わない。ただ、確実な出来事は「死ぬ事」であり、確実に誰にも訪れることであるなら、その事はたまには振り返らなくてはならない。それが大人と子供の差なのでは無いかと思うのである。近頃では、成長が遅いとよく言われる。子供っぽい大人が増えたという話である。それは様々の技術が発達し、長生きできるようになり、戦中・戦後を乗り越えて、「死」について向き合った大人達の後輩や子供に対する優しさでは無かったか。「自分たちのような思いをすることは無い」という優しさの中で、私どもを含めた世代はある種の甘やかしを受けてきたのだろうと思える。
日本は豊かになった。路上生活者だって生きていけるぐらいには飽食ではあるのだ。そして、それはある種の豊かさでもある。その中ではそう簡単に危機感を抱えなくてはならないような事は起こらないということでもあるだろう。「子供には逞しく育って欲しい」それは全くその通りで、私自身もそうなって欲しいと思うが、私の周りに居る人々を見て、それほど厳しい教育をしている人々が居るようには思えず、私もまた娘には厳しく出来ない。
これでは何かを悟るような事は難しいのでは無いか?と思えてならない。生家ではない家族を持ち、家庭を作って、初めて、その事に本当の意味で差し当たるような事であるだろう。このような穏やかな心持ちで過ごせることは、家人のお陰だろうし、家族を持ち、家庭を持った事によると思うのだ。それまでは簡単には気が付かない。そう思えば、「近頃の若いもんは…」という言い草も中途半端な時期を迎えた証左では無いか。考えてみるがいい。ずっと年上の人々はそんなことを言わない。
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