世間ではGWにお休みが多いということではあって、GWも人並みには取れた。カレンダー通りではあったけれども。
家人が娘を連れて、知人の結婚式に出席するということで実家に帰っていた。家人の実家は群馬県であり、何度か行ったけれど、なかなか、移動に時間が掛かる。飛行機で福岡から東京というと割と簡単に移動できるわけだが、羽田空港から群馬県までが結構な距離であって、この距離の大変さは移動した人にしか判らないかも知れない。飛行機に乗っている時間以上に電車で移動しなくてはならない。
かくして、私はその家人と娘が実家に帰っている間、一人暮らしを思い出すような日々だったのである。一人暮らしがそこそこの時間あったので、一人で住み暮らす事について、特別の問題は無い。その事で苦労を感じるほどでも無いのだが、それでも、もう、二人で暮らし、娘が居る生活に慣れてきている自分にとっては、その事の方が楽に廻っているということでもある。自分自身の中でその方が良いと思ったから、そうしているのであって、その事を心地よいと思わなくてはならない。娘の成長は再び著しく。日々の日本語の精度もぐんぐんと上がり、毎日の会話が楽しい。嬉しい。早く家に帰りたいと思える毎日はいつぶりだろうか。そのような毎日を欠かさずに見逃さずにいたい。そのような思いは生後間もない娘を見たときよりも圧倒的に強まっている。こうして、父莫迦とも言うべき何かが続いていくのだろうと改めて感ずる。
近頃は別のSNSで経済問題について少々の文章を書くことが増えた。何故かといえば、今の日本は大変に興味深い経済状況にあるし、回復か崩壊かの二択を迫られており、自分自身の身の振り方について、徹底的に見ておかなければ、雇われの生活だけで進んでいけるほどには甘くない世の中になりつつあって、自分自身を守る、家族を守るという「家長」としての役割を考えれば、日々の勉強は欠かさずに行わねばならない。そして、そのようなことに多少の興味と面白みを見付けなくては到底続くモノでは無い。自分自身が雇われで暮らしているということは、そう言った事情を勉強する事をある種否定しているということでもあるからであり、それを完全にこなせるなら自営するという道を選択するわけであるから、それをして居ない時点で、そう言った部分を切り捨てて暮らしてきたはずだと思うからだ。切り捨てたモノをもう一度拾うというのは生半の気持ちで出来る事でもない。
さて、5月の後半には一件の約束と8月には家人と娘の誕生日もある。忙しい夏が始まろうとしている。
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