仕事納めである。いよいよ、今年の最終出勤日となった。何も無ければ、このまま大納会に出て終わりだ。2012年という年を振り返る日となった。
今年を振り返れば、多くの著名人が亡くなったというのを思い出す。それは私が歳を取った証左でもあるだろう。私よりも下の世代にとっての著名人は私どものそれとは違うのだろうから。さらには残忍な事件や事故が相次いだ。いじめを苦に自殺した学生の話など大量の事件が明るみに出た。大宅壮一は「一億総白痴」ということを言った。確かに、それは一時期完全にそういう時期を迎えたように思えるので、まさに、正しいことであった。テレビというメディアのお陰でそれは為された。次に到来したネットの時代には「一億層批評」の時代になった。ネットに溢れかえる情報を眺めて、それがソースがしっかりしたものなのか。自分の目で観たものなのか。そんな判断は抜きにして、それが全てだ思い込んでしまう。そして、情報発信も同様に出来てしまうために素人批評を繰り返す。私自身もこのようなことを発信している時点で。または、幾つかのSNSで何かを発信している時点で。その一端にあると言って良い。良くも悪くもそういう事にはなるだろう。自分だけが違うと思うほどの能力も無ければ、うぬぼれも無い。これが2012年という年に大きく顕在化した。幾つかの重大事件では無関係な他人の写真が出回ったりもした。その発信源が誰なのか?についての追求はともかく、それがソースに当たらぬままに拡散してしまう事には一種の危惧を感ずる。その事について自覚的でなければならない。自分自身の情報についても何処までを出しておくべきか?についての考えを持っておかないと何処で何をされるかは解らない。誰もがそれに耐えられるわけでもないのだから、自衛はしなくてはならず、その事は大変重要だ。何年も前から言われていたことだが、教育は技術革新の速度の前には追いついていくような事はなかった。
逆の側面から考えれば、旧態然とした組織とネットの反目がいままで以上に強まった。JASRACの問題などが分かりやすい。迷走するJASRACは近頃では雅楽のコンサートを行った人に対して、著作権料の支払いを求めるまでに質が落ちたという。ネット上での配信に問題があるというなら、その配信されたサイトから再生数に基づいた著作権料の支払いを受けるように姿勢を変更すれば良い。配信方法が増えたなら、その配信方法に合わせた著作権料受け取りを主張すれば良いだけの話だとは思う。
つまり、人の速度とそれ以外の速度に不均衡が生じて、それがより強くなったということである。これからの時代を予測するのは難しいが、その難しい中で、生き抜いていかなくてはならない。自分自身のこれからはより強く考える。では、よいお年を。次は新年にお会いすることになるでしょう。
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