家人と棲むようになって二年である。短いか、長いか?と言われたら、これからを考えれば長いとは言えないのでは無いかと思う。婚姻届を出したのはクリスマスであるので、記念日は12月となり、8月の家人の誕生日が二人で棲み始めた日ということにはなるのかと思う。
その間に娘に恵まれたし、様々の出来事があって、毎日、家人の顔を見ている。特別に飽きるということは無い。「女房と畳は・・・」という言葉もあるが、それを実際に云々ということも無く、平和に暮らせているとは思える。家人の不断の努力の末にそのような事になっていると考えているので、この事には感謝してもしきれない。
二年間で、「状況ではなく、自分自身の何が変わったか?」を自分に問うて、変わったところを考えれば、酒量が減ったとか、趣味に費やす時間が減ったとか、単純な変化と同時に内外の差違が小さくなったということも上げられるのかも知れない。
自分自身の内外の差違とは仕事中などのパブリックな場所に居る自分と自宅に帰りプライベートな自分の違いである。元来、外弁慶の気があり、家に帰れば、それほど騒がしい方でも無い。外に出ると騒がしい。逆の内弁慶も少なくないし、どちらが良いという訳では無い。ただ、私は外弁慶ではあるだろうと自認もし、指摘もされた。
以前はその差違は大変に大きく、家に足を踏み入れて、洋服を着替えた所からは、ほとんど喋らずに何も無かったように、部屋にこもるような事でもあった。それが最近では家でも口を開く事も増えた。娘に話しかけることは楽しいし、家人とやりとりすることで安楽を感じることも多々ある。
このような心持ちは以前の共同生活には無かったと言ってよい。以前は、ドライな関係(つまりは相手に気遣いをすることをむしろ避けるような関係)であった。その事が長続きをさせる秘訣であろうとも思っていたし、その時の私とその時のお相手はお互いの事情もあり、脛に傷有りであり、それを選択するというのが、少ない選択肢の中で最良の選択肢ではあったのだろう(と思われる)。しかし、実際にはそれほど長続きもせず、独り身になっていたのである。家人と住み暮らしていく暮らしは、二人がある程度の所まで踏み込んで行かねば成らぬ。私にとってはこれは意識的にしなくては成らない事でもあった。こんな事を言われたものである。
「私に興味が無いの?」
この言葉は思いの外に重い。興味が無い異性と同室出来るほど私の神経は無神経では無いよと以下のように答えるのである。
「興味の無い女と同じ部屋で過ごす趣味は無い」
この言葉を言わねばならぬことは、ある種、自分自身の不徳でもあろうけれど、それだけ相手に興味が無く見えたということに反省もしなくてはならない事なのだと、ここ二年で気が付いたのである。歳こそそこそこに離れている家人のモノの考え方には疑問を持つことも無いでは無いが(これは無論単なる世代差の部類の話であったり、物事に対する段取りの考えだったりするが、どちらも単純な経験の問題であって良し悪しなどではない)、お互いの考えの落としどころはそれほど遠からずの場所に落ち着くのである。三年目に入ったこの暮らしがどのように進んでいくのかは私の考えよりも家人の考えに左右されていくような気がしている。一家の色を決めるのはやはり女性であり、家人であろう。家人の考える理想にはほど遠いかも知れぬが、目標があるなら、そこには近づいて行きたいし、そこに私の居場所があれば、そこにすっぽりとはまる自分でもありたいとは思う。
[4回]
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