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片田舎で働く元システム管理者の日記 ver.2

日常の由無し事を書きつくっています。

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平和な国なのかとも思うが。

辞意を表明した首長に対して、どのような言葉をかけるのが正しいのか。それは不明であるが、少なくとも、それが事件を起こしたであるとか、なにか本人が原因の引責辞任のようなものである場合は別にして、まずは、「お疲れ様でした」「ご苦労さまでした」「ありがとうございました」などの感謝の気持ちは誰もが持つものであるとは思っている。それを誰もが持てない空気になっていることが裏寂しい気持ちになったということである。会見に向かった記者も一言それを述べてから、今後について取材するなり、何かを追求するなりすれば、そこまで当たりは強くなかったようには思う。取材現場において、そのようなことをしている暇はないという見方もあるかも知れぬが、その暇は惜しまなくてもいいのではないかとも思う。

 前述のことは、個人の考えの事ゆえ、どちらの見方もあると言ってよい。しかしながら、次の国政を担うのは誰になるのかということについては、本来はもう少し真面目に話題になるべきだと思われる。菅官房長官が自民党総裁選を勝ち抜いた。7割の得票数である。つまりは、圧勝と言える。その結果がどの様になるのかは経過しなければわからない。しかし、現在、私が感じる雰囲気として、なるほど、全体的な目標を立てて、筋道を任せるタイプだった責任者の次は細かい部分から潰していこうという気概のタイプなのだということである。各論を中心にすすめるタイプであることが悪いことだとは思わないが、私自身がそのタイプの人間と合わない部分があるので、部下の人は大変だろうなと思ったぐらいのことである。「トップは夢を語るもの」という人がいる。しかし、どれだけ夢を語っても、それは単なる夢であって、現実化するためにはじっとそれが実現するまで事を起こすしか無いということでもある。それができる人はそれほど多くはないように思う。

 今、求められているのは「何か」は刻一刻と変わっていくものと思うが、おおよそ、人口動態的には、今後均衡が取れていく(出生率低下と死亡率増加の2つが起こっているが、人口は減少したところで均衡するであろうということ)。均衡が取れていく中で、新しい変化が産まれるに違いないと思っている。現在よりも一人あたりの負担は減っていくかも知れないし、年金を含む制度が再びまっとうに動き出す可能性もある。長い年月を掛けて行われる調整と調和がそこに生まれてくれればよいと思う。私が見られる未来であるかは不明であるが、最も確からしい未来の予想がそこにはある。

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Withコロナから、Afterコロナを経て、Beforeコロナまで

現在は、Withコロナ。この後、訪れるのはAfterコロナであるといえる。その点には特に異論はないのでなかろうか。我ながら、不思議なことであるが、今の世の中の趨勢を少々達観しつつあるような心持ちさえ湧いてきている。朝のニュース番組ぐらいで多少の時事問題のチェックぐらいするのが、社会人としての常識でもあったように思うが、その時間の多くが、コロナ騒動とどうでもいいゴシップの類であり、近頃は観るに耐えない。すでに、ある種のAfterコロナという局面であり、とやかく、物申してもしかたのない状況でもあるように思う。飲食店は潰れており、一部の地域では失業者が増えている。また、物騒な盗難事件も多発している。この局面が一種のAfterコロナであると思っている。到底、Beforeへの回帰は難しいものになってしまった。

歴史は繰り返すというが、過去に大きな流行り病が発生したとき、世界はどのように動いたのであろうか。今回のコロナ禍に近いところで申せば「インフルエンザのパンデミック」がそれに近いのかも知れない(医学レベルの問題は別にしてである)。相当数の死者が出て、その間に回復した人は免疫を得て、その病気を乗り越えていくということの繰り返しということ。今現在の世情とそっくりな気がする。ただし、当時と違うのは、医学レベルが相当に上がっており、対処療法であってもかなりのところまで耐えられるということではある。当時は対処療法のレベルも今より低かったであろうから、その点は進歩に感謝しなくてはならない。

私の見解は初期と変わっておらず、このまま、流行り病として認知され、治療が受けられるということになるだろうと思われる。また、予防接種のようなものが確立されれば、インフルエンザの予防接種のようなものが一般化していくのではないかと推測している。そこまでたどり着くのが、度のタイミングなのかは不明であるが、その時がゴールではあると思われるので、そこまでは適度な自粛を含めた生活様式を守り続けるしかないのではなかろうか。

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Withコロナなる造語

英語交じりで造語することが多いのが、日本人の特徴でもある。初代総理大臣の伊藤博文がなぜ初代の総理大臣になれたか?というと、能力が高かったというのもあるが、英語で届く外電が理解できるかどうかという基準もあったという話。日本人だから日本語以外は使えなくて良いという話では到底無くて、国際的な公用語としての英語が使えるに越したことはないのだが、そのことで英語があたかも使えるかのように、英語交じりの造語を作り始める。英語交じりの造語は何やら「エライ」と思われているということかもしれない。実際にはそんなことは全く無いのであるが。

ところで、この「Withコロナ」いつまで続くのか?と言われたら、少し前にも書いたように、特効薬なり、ワクチンなり、あるいは、具体的な治療手順なりが確定してしまえば、騒ぎになるようなことはあるまい。第二の波は訪れるのはほぼ間違いないところだろうと思える。「新しい生活様式」なるものがどのようなモノになるのか。今の所は見えていないが、外出を自粛し、そのまま進んでいくとすれば、いわゆる、第三次産業と呼ばれるサービス業。または、外食産業など多くの業界が逆風にさらされることは容易に想像できる。その結果、街の様子も大きく様変わりするのだろうと思われる。お互いに監視するような風潮も世の中には既に生まれており、その空気がどう考えても、社会生活を送る人々にとって、邪魔になってしまうということでもある。右向け右で何もかもを十把一絡にするわけではないが、物事はそう簡単に進むものでもない。ましてや、人の命や人生が掛かっていることでもある。軽々に判断したり、冗談で話をすすめるわけにもいかない問題である。

また、このタイミングで節目を迎えた人にとっては、大変な苦境であるとも思える。4月入社、4月入学というタイミングの人々にとっては、最低最悪の事態であろうし、来年それを迎える予定の人々にとっても、それはあまりにも大きな苦境でもある。苦境を苦境であると考えられなければ、解決することは出来ない。

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アベノマスクが届き、色々と考えた。

2日ほど前、例の話題の阿部のマスクが我が家にも届いた。デザインは報道されている通りであり、台紙も全く同じものであった。特にこれといって、汚れている風でもなく、普通のマスクである。今の所、我が家では少しばかり高値ではあったが、使い捨てマスクを二箱おいてある。主に家族が使う用ためである。私は布製の洗えるマスクを使用しており、今の所はそれで事足りている。

国の方針としてどうかという議論を呼んだことは記憶に新しいが、他に行うべきことを思いつけなかったという意味で言えば、不幸なことであると思わざるを得ない。本人の発案なのか、あるいは、取り巻きの発案なのか。そのことは今となっては憶測でしか無いが、掛かる金額を勘案すれば、おおよそ正気の沙汰とは思えないマスク配りということではあった。

ただし、他に何か思いつくかと言われれば、思いつかないことも事実ではあり、ポーズという意味でいえば、「何もしていないわけではない」という言い訳の意味もあり、マスクを送付するという事になった可能性もあるだろう。大義名分が必要なことなのかもしれないが、明治の元勲たちの伝記などを読んでいれば、政治家というのはつくづく面倒なことであるし、本来は職業であってはならぬものがいつの間にか職業になってしまっているような気がする。寡聞にして、国会議員が職業欄にどのように記入するのかは知らんが、生家が実業を行っているような人だったり、あるいは、自分で起業して会社役員をしているような人ばかりではあるまいから、国会議員と記入しない場合は、「無職」か、「個人事業主」というような事になるのかもしれない。

海外では、よほど大きなところでなければ、無給で議員をしているようなところも少なくないとのことなので、本来はそういったことなのかもしれない。本当の意味で、自分でお金を出さなければ、議員が続けられないような制度ということでもある。元々、選挙権にせよ。被選挙権にせよ。納税額で決まっていた時代があった(これを制限選挙という)。今のような制限のない普通選挙になったのは、そんなに昔の話でもなく、女性の参政権までを範囲に入れるとすれば、昭和20年の終戦後ということになる。それはおおよそ正しい方向性で時代が進んだということの結果であるとは思うが、それから75年ほどの月日が流れた。人の暮らしは変化し、寿命も大幅に伸びた。定年だって、平成の初頭ぐらいまでは、55歳での定年だったわけである。60歳定年制の導入は平成10年。再雇用の義務化は平成2年。それまでは努力義務ということであり、55歳、60歳で引退し、預貯金と年金で暮らす人も少なくなかったということでもある。それが、65歳、70歳というところまで伸びた。人生の配分を考え直さなければならない。人が全力で走れる距離が同じだったとして、ゴールだけ先に進んでしまったわけで、そう簡単に最後まで同じペースで走れるわけでもあるまい。

選挙権だって、喫煙だって、飲酒だって、始まりはもう少し先に伸ばしていいような気もするし、ある程度の年齢になったら、選挙権は返上しても良いような気もする。私も四十路であるが、あと、30年ほども労働者人生が続くとなると少しばかりゲッソリとする気もするのである。その前に、突然死するかもしれないし、事故死するかもしれないし、天寿をまっとうするかもしれないし、コレばかりはわからないのであるが。ただ、いつか死ぬことだけはわかっていることであり、その死んで終わるまでの間のかなりの期間が労働にまみれている状況になっているのが今ということになる。

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財務的思考に則る今後

どうしても、その類の話が多くなってきてしまうのは、やむを得ない事情であるが、まもなく、緊急事態宣言は解除されるとのことである。解除されれば終わりということでもないが、それによって、状況の変化が生まれることは間違いない。良し悪しは別の話としてであるが。個人的には全然治まっていない感しか無いのに、このような状況でよろしいのかと再確認するしかないとは思う。「経済がもたない」という主張はわかるが、そもそも、それほど長く持つと思われる経済状況ではないし、深刻に考えないとしても、BIの導入による様々の簡素化などの方法も先々は現実的な話かもしれない。そもそも、労働者が足りないというだけではなくて、その労働者は裏を返せば、消費者でもあるわけで、そのパイが減っているということには自覚的である必要があることだろう。

さて、私も企業に勤めており、その企業で奉職している以上はその企業のためになることをしなければならない。どのようなことがその企業のためになるか?は、その状況によっても異なるので一概には言えないが、誰もが組織に良いことをするために、業務にあたっているということであるとは思う。

私の担当分野は、IT関連、総務、法務、人事、財務などなど多岐に渡るが、概ね、営業活動以外の全ての経験があるといってよい。営業が強い会社の場合、それ以外の部署が弱かったり、人数が足りていなかったりというようなことが少なくないのだが、営業だけが強くても、組織としては成り立たないので、ある程度、それ以外の部分を組織として運営する人々の存在はなくてはならない。その中で、この騒動では「財務」としての思考を求められている部分が大きい。この騒動で財務的に出来ることは、ほぼどのような組織でも言えることであるが「手元資金を厚くする」の一択であり、そのために、即必要な資金でなくても借入を行うことが肝要であると思える。キャッシュレスといったところで、口座に資金がなければ企業は死ぬ。そうならないためには、口座資金を厚くするための方策を多くとらねばならない。その方法としては口座に残るお金を増やすために、固定経費を圧縮する。一時的にジャンプする。あるいは、補助金の受給をするなどの方法が取りやすい。銀行融資を受ける方法もあるだろう。このご時世で銀行融資は受けやすい。積極的に融資は受けておくほうが良い。そのようなことで、様々な書類を作成し、各自治体や金融機関に連絡をしているということでもある。

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プロフィール

HN:
filemente
性別:
男性
職業:
シス管(半分引退)/パチプロ(廃業)/総務経理系の管理部門(現職)
自己紹介:
田舎で一人、中小企業で、システム管理をしているはずが、いくつかの僥倖もあって、ちょっとポジションが変わったことだけ付け加えておく。格別の特徴は無いが、体型は完全なメタボリック体型である。近頃、とみに体重が増えた。また、歳を重ねる毎にアレルゲンが増してもいる。

学生時代から、バイトも含めて、随分と様々の職種をこなしてきたが、偶然にもシステム屋をしている。向き不向きでいうとそれほど向いているとは思わないが、それでも食い扶持を稼ぐためにはしかたがない話なのかも知れない。

結婚をした経験があり、独り身であったが、こんなメタボなバツありのところに遠いところからわざわざ嫁に来てくれる奇特な女性があった。よって、独り身では無くなった。二人身である。二人分の食い扶持のために働き続ける所存。止まらぬ汽車はまだまだ進むのである。

更に、娘まで授かってしまったので三人で暮らしている。家族となった。元来子供好きだったが、半ば諦めていたのでこれもまた僥倖である。家人には頭が上がらない。

というところで、更に、転職と転居を思い切ってしまったので、同じ片田舎であっても、南から北へ移動した。それは良いことかどうかはこれから答えが出るのではないか。

あと、システム管理者以外の業務が主なので「元」システム管理者になった模様である。

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